生き残った記憶

東日本大震災:津波写真掲載広報、大反響で在庫切れ――岩手・宮古

今日そんな記事を読みました。
震災による津波被害の写真を特集した岩手県宮古市の広報誌「広報みやこ」が当初の3万部に加えて1万部を増刷してもわずか3日間で在庫がなくなったというニュース。

先週、岩手の沿岸部に実家のある友人が久々に我が家に遊びに来て、ランチを一緒にしました。
彼女の実家は長く続いた造り酒屋。今回の震災で工場、店、長年手伝ってくださっていた方の命や、弟さん妹さんの御自宅などを失くしてしまいました。幸い彼女のご家族はみなさん無事だったようですが、ご親戚などでは、まだ見つからない方もいるのだという話も聞きました。

いま、彼女は岩手から出て来たご両親と一緒に東京で住んでいます。
着のみ着のまま被災されたご親戚や知り合いの方々のためにと震災後しばらくしてからは救援物資の衣服集めに奔走していたようです。私も微力ながら協力させてもらいました。それからバタバタしていたのでしょう。ずっと連絡がなく、先日ようやっと、その友人と会えたのです。

ご家族が無事だったとはいえ、あの時はみなさん九死に一生を得たくらいのギリギリの瀬戸際だったようで、彼女の妹さんは小さな子供を背負い、義理の御両親とともに車もろとも津波に飲み込まれました。

苦難の末、やっとのことで4人は海の中で車から脱出。流されながらも、折れずにその地に植わっていた木、笹、流れ着く廃材に登ったまま真冬の冷たい濁流のなかを2時間近くも身動きが取れませんでした。

子供を背負った妹さん、実はこの時妊娠5カ月。

雪がちらつく中、彼女は途中何度も何度もご両親に「お母さん、お父さん、もうダメです」と冷たさに感覚のなくなった手で掴まっていられないと弱音を吐いたのだそうです。

その度に夫の両親は「あなたが諦めちゃだめ!あなたには子供がいるのよ、絶対に手を離しちゃだめ!」と励まし、また時には弱気になる彼女を叱責しながら声を掛け続けました。

それから2時間後、引き潮に注意しながら、流れ着く瓦礫や廃材を足場にかろうじて流されずに残った近所の家の二階に4人は辿り着くことが出来たのです。
そしてそこからさらに救助が来るまでの長い時間を待ったのち、やっと救助の小舟が来たときには、そのご両親はまず嫁と子供を先に行かせ、その後も「自分達よりまず若い人を」と最後までその場を動かなかったそうです。

その話を聞きながら、私は流れる涙を抑えることができませんでした。人というのは何とすごいものなのか。自分ならくじけそうになった妹さんの気持ちはよく分ります。
けれどその極限状態で嫁を励まし続けた義理の御両親のような行動が果たして出来るでしょうか。当然のことですが話している友人も泣いたままです。

続いて聞かせてくれたのは、彼女の実家の造り酒屋で長い間手伝ってくれていた56歳の男性、越田富士夫さんのこと。
地震が起こった時は、停電になったため一番必要だった現地の人達に情報が行き渡りませんでした。当然津波警報はおろか緊急アナウンスもサイレンすら流せません。
消防団の団員であった彼は誰かが不安に思う前から「津波が来るかもしれない!」と真っ先に消防署に向かい、サイレンが鳴らせないと知るや火の見櫓に登って半鐘を鳴らし続けました。
まさに津波がそこを襲い、濁流に飲み込まれる一瞬の寸前までずっと。

その彼が新酒を仕込んでいるありし日の姿の映ったDVDを友人が見せてくれました。そんなことが起こるとは想像だにしなかった平穏な造り酒屋の光景と、かつて賞を取ったこともある跡継ぎの開発したリキュールのボトルの誇らしげな写真、そして震災後の何もかもが攫われて跡形もなくなった想い出の地の現在の風景。

はるか数キロ先にまで流されたタンクや機材のひとつまで捜しあて、写真に収め、そしてそれを編集して音楽までつけたのは、造り酒屋を継いだ彼女の弟さんです。

その映像を見ながら、また泣いてしまいました。先程の御親戚、そして妹さんや越田さんの話も重なって今度はもう号泣です。涙は長い間止まりません。

正直、彼女とは20年以上の長い付き合いです。私の苦しい時、また彼女の苦しい時、何度も一緒に抱き合って泣きました。けれど今回の涙はそのどれとも違っています。
なんのために彼女はそのディスクを持ってきたのでしょう。
当然、私に見てもらいたいからに違いありません。

あの日、その場にいて生き残った人達のなかには聞いてもらいたい、見てもらいたいと思っている人が大勢います。
東京で震災の話になるととても遠慮して(それはそれで、すごく考えられた配慮だから責めるつもりはまったくありませんので誤解しないでください)、当事者に聞いちゃ失礼、物見遊山に思われては申し訳ないので現地に行きたいが行けない、そんな話をよく聞きます。

でも、あの日、あの時を迎えた人の中には(あくまでも中には、ですが)その話をしたい、その場所を見てもらいたいと思う人がたくさんいるのも事実です。

生き残った記憶、それらは辛く悲しい記憶ですが、同時にほかの誰かに伝えたいと身体の底から湧いてくる感情をともなっている記憶でもあるのです。
震災による津波被害の写真を特集した岩手県宮古市の広報誌「広報みやこ」が増刷してもあっと言う間に売り切れた理由が、よくわかります。
記事にあるように、あの災害を自分の身近な人に、そして後世に語り継ぎたい、そう願っている人は、3ヶ月たった今だからこそ別の場所に住む我々が思うより多分、ずっとずっと多いに違いありません。

 

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44マグナム でも4ではオートマグ

今日は渋谷NHKでラジオ「渋谷スポーツカフェ」の収録。

収録の前に、色々雑談をしていたら何故か父親、飯干晃一の話に。
「やっぱ、色々ヤクザ関係の裏話なんか聞いたりしたんですか?」とそこで質問が飛んできました。

正直、私は父が仕事である小説の話をしているのをほとんど聞いた記憶がない。

「自分が父親でも子供には、そういう話はしないと思うなぁ」と答えると「ですよねー」ということに。
「でもね、モロにそういう話は聞いたことがないけど周辺機器に関する雑誌なんかは結構その辺りに転がってたよ」
「周辺機器ってなんです?」
「ん~、たとえば月刊ガンとか」
そこでしばし銃の話に。
たとえばダーティハリーの44マグナムとかルパン三世のワルサーP38とか不二子ちゃんならベレッタのチーターをガーターに挟んでくんないとね、とか。ごくごく普通のよくある話です。

私としちゃ、銃のことなんか全然素人で(じゃ玄人って何だってことになるけど)まったく何も知らないのだけど、それでも話していると「何でそんなに銃に詳しいんすか?」と驚かれたりして、むしろその反応に自分は驚いてしまいます。

私にそんな知識を教えたのは父と言うよりは6歳年の離れた兄。幼いころの私にオートマチックとリボルバーの違いだとか、戦争映画を見ながら各国の戦車や戦闘機、軍服やヘルメット、手榴弾の違いとかを教えてくれましたっけ。
実際、その差が分ると次に戦争映画を見る時にとても助かるので(笑)役に立ったと思います。
そのうえに、その月刊ガンとかが自宅に無造作に置いてあったわけで、そこのグラビアとかを見ながら「ダーティハリーの新しいオートマグってこれか~」とか思いながら赤いサテンの生地の上にうやうやしく置かれた銃を眺めていたりしたのですわ。

正直言うと、私の銃の知識は1980年代前半くらいで止まっているので(そこまでしか実家にいなかった)その後の銃の事は何もわかりません。ただ、おおざっぱにライフルとショットガンとマシンガンくらいの差はぱっと見と撃ち方でなんとなく識別が可能なくらいでしょうか。

トカレフも今や最もポピュラーな名前になりましたが、私が良く聞いたものは銃身を下にしてズボンとかに挟んでいると弾が重みで落ちてくるという冗談を言ってたくらいの粗悪品だったころの時代。
もう何の役にも立ちません、てか、こういう話ってさー自分の今やってる仕事どころか生活に一度も役になんか立ったことはないんですが(笑)。

そういえば、私がクリスマスのプレゼントにもらったクマのぬいぐるみに「リヒトホーフェン男爵」と名づけたのも兄でした。
そう、あの第一次大戦時、帝政ドイツ陸軍の騎兵将校(航空士官)でレッド・バロンと異名を取った撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェンから取った名前です。理由はたったひとつ。入っていた箱が赤かったから(笑)。
お、そういや、彼を描いた映画が公開されてるんだっけか!ひょっとしてもう公開終わったかな、しまった見逃したかも!

 

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サンテレビモバイルサイト 阪神タイガースコラム「シロボシキボウ」

関西の阪神タイガースファンにとって、身近な存在であるサンテレビ
タイガースファンだった父親の影響で、私も幼いころからサンテレビの野球中継を見て育ちました。自分で野球をしたこともない私は誰からも野球について教えてもらった覚えはありません。この私にルールを教え、球種を教え、バッテリーと打者の駆け引きを教え、そして野球にとって大切なことは何か、全て教えてくれたのはサンテレビです。

なんとなくこうしてTVの仕事をするようになって、サンテレビに出演できるようになりましたが、今でもふと不思議な気分になることがあります。
あの子供の頃の私に「アンタ、大きくなったらサンテレビに出てタイガースのローテーションのことを語ったりするんだぜ」って教えたらさぞ腰を抜かすに違いありません(笑)。

そのサンテレビのモバイルサイトで2009年からタイガースコラムなるものを書かせて頂いてます。タイトルは「飯星景子のシロボシキボウ」。
今回自分のブログを立ち上げるにあたり、サンテレビさんから許可を頂き(なんという太っ腹!愛してます、サンテレビ!)過去のコラムをこちらにもアップできることになりました(日付は混乱を避けるため当時のまま)。
そんなサンテレビモバイルで書いたコラムや、ほかの記事や観戦記など、取り混ぜてお送りしたいと思います。

CS出場や優勝を逃した試合、など印象に残るゲームも結構、観ています(笑)。
まぁ、ただのアホなファンのぼやきですが、よかったら覗いてみてください。

 

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錦衣衛 / (邦題)処刑剣 14 BLADES 香港DVDのちに劇場で日本語字幕版―ドニー・イェン 甄子丹

映画の内容をあらかじめ知ってから観たいという人は結構います。どちらがいいか人それぞれですが、自分自身はできたら先入観なしの方がいいタイプ。

でもドニーさんのように日本で主演作がほとんど公開されないとなると、どうしても作品より先にネット動画とかでアクションシーンを見てしまうことが多くなってしまう。

事前にアクションだけを見てしまって心から後悔したのは『導火線』。
後半のあのシン・ユーならびにコリン・チョウとのバトルが呆れるほど凄すぎただけに、映画の流れに沿って初見であのシーンを観たかった!
きっと腰抜かすくらいスゲーびっくりしたんだろうな~(いや、アクションシーンだけ見てもびっくりしたけどさ!)と思うと実に勿体ない事をしました。

この導火線、07年にとっくに香港で公開したのに、どっかが買ったという噂を最後に待てど暮らせど日本では公開せず。結局2011年になってやっと未公開のままDVD発売。まったくふざけた話ですよ。

かと思えば、あらかじめどんな感じのアクションをするのか先に知っておいた方が助かるというケースも。私にとっての『錦衣衛』はそんな1本でした。

当時この新作のニュースに「今度はどいつが相手だ!」と色めき立った私。
やがてショウブラ功夫映画でお馴染みの陳観泰(チェン・クアンタイ)と闘うという情報が飛び込んできました。いいよいいよ~渋いじゃないか!

06年の龍虎門(邦題、かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート)というドニー作品でマフィアのボスにして養父という役で出演していた時はアクションらしいアクションもなく、髪も白髪になりすっかりおじいさんの風情だった彼。

もうアクションをしないとも聞いていたけど、近頃は再びするようになったのでしょうか。どっちにしてもこれは結構楽しみです。

しかし、いざむこうで公開になって色々映像や情報が出てくると、チェン・クアンタイのチの字もない。ううむ、これはどうやら彼はラスボスではないみたいだ。
じゃあサモハンか?といえばそれもなさそう。と、ゆーことは・・・あのブルネイ出身のアイドル君だろうか。えーとどう反応すればいいのでしょう。
いや、まてよ、ひょっとしてあのミス香港じゃないよな、まさかそれはいくらなんでもねアハハハ、などと戦々恐々としていたら、その嫌な予感は見事に当たりました。

なんと!あの細っこいOLさんみたいな元ミス香港、ケイト・ツイがラストファイトの相手とは!!!
ダニエル・リーめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。

明の時代、悪魔のように恐れられた錦衣衛。昔の武侠映画なら、悪の限りを尽くす存在として描かれる組織です。
この映画ではドニーさん扮するその錦衣衛の長官、青龍が陰謀と裏切りにより追われる身となり、己の尊厳をかけて巨悪に立ち向かうというお話。
そこでドニーさんは14本の剣を納めた木箱を背負いソードアクションを披露するらしい。こりゃいきなり、いわゆる武侠映画の匂いがぷんぷんです。

で、もってラスボスがミス香港では、最後の闘いはガチファイトとは対極にあるスローモーション多用でVFX使いまくり~のでファンタジー要素が絶対強いな。ワイヤー全開、空飛びまくりと思って間違いないはず。

このネタをDVDで初めて観る前に知っていて良かった、つくづくそう思います。
なにも知らずに観たら、「ドニーさんの無駄遣いはやめろぉぉ」と、ものすごーくガッカリ感が強かったに違いない。
ほんと、なにが幸いするかわからんもんです。あらかじめ相当覚悟したせいでしょうか、いざ届いたDVDを観てみると楽しかった!

オープニングからなにやら重苦しい雰囲気。
セピア色の画面では錦衣衛として生きる悲しい宿命がざっと説明され、やがて青龍として成長したドニーさんが刺青を彫っているシーンへ。

もっとカメラさん寄ってちょ、あ、今度は寄りすぎだってば、いい塩梅に背中の筋肉を見せんか、コラ、と思ったのもつかの間、龍が空を舞う軌道を模したようなCG画像をなぞるように主人公の半裸の腕や胸に入れ墨が重なってゆきます。こ、これはサービスカットということで、よ、よろしいのでしょうか?

そんな(おもに女性の)観客の狼狽を察したかのように、すかさず14の剣を納めた<大明十四刀>の説明に移り、錦衣衛としての非情な青龍の仕事ぶりが映し出される。
そしてタイトル。ここまでは、さすがダニエル・リー。音楽もいい。かっこいい映像作るの本当に好きだなぁ、この人。

最初のアクションは、上官の命により錦衣衛を引き連れて押し入った重臣の屋敷で彼らが粛々と行う殺人のシーンから。相手の護衛がね、もう声を出す暇もないその鮮やかさ。
やがて敵の兵から身を隠すために、ドニーさんが大事に抱えた箱をちょいといじると、とたんにそこからワイヤーが飛び出しその箱に乗って彼の身体が宙を舞う。すげー箱だ、まさに秘密兵器。

不穏な気配に気がついた直臣が妻子を逃がし、護衛を連れて書斎に籠もろうと扉を開けると、そこにはすでに箱を持ち椅子に座って待ちかまえていたドニーさんの姿が。
当然護衛は彼に斬りかかる。
するとひらりと箱を開け中から小刀を取り出し投げると、今度は蛇腹のような仕掛けから何本もの刀が飛び出し、そのうちの一本を素早く抜きとる。おお、この装置かっこいい。

なんか知らんけど、手のひらでくるくる剣がまわるまわる。こ、これは達人の技なのか?
それを見てあっけにとられている私たち観客と護衛。(今更追記:このクルクルの元ネタは武侠映画の傑作、狄龍主演『(1976年・香港)』でやんした)

転瞬、その刀を握り直すと彼は息も切らさずに次々と護衛の兵士を斬ってゆきます。気がつけばみんな床に転がってる。
重々しい錦衣衛の衣装姿のドニーさん、素敵じゃありませんか!

密令で取り戻さねばならない「大事な物」の在りかを聞き出すために重臣の幼い息子を腕に抱く青龍。
錦衣衛だもん、ここは子供の指でも切り落とすのかと思いきや、さすがにヒーローにそんなことなどさせるわけもなく(笑)ちょっとしたハッタリをかましただけで相手はあっさり「大事な物」を取り出しちゃう。

そしてその大事な物が実は皇帝の印である「玉璽(ぎょくし)」であることが分ると、ちょっぴりたじろぐドニーさん。
と、そこへ無数の弓が降り注ぎ、別の何者かがその玉璽を奪って去ってゆきます。

後を追いかけようとした彼が次に見たものは、最強と謳われた自分の部下たちの死体。
眉間にしわを寄せ、わずかに残った部下二人が連行されるのを、カラクリ道具を使い軒下からじっと見つめる青龍は、やっとそこで自分が嵌められたことを知るわけです。

と、まぁ、なかなかここまではよい滑り出し。
大明十四刀の機能や内包する武器もさりげなく(笑)見せて観客に強く印象づけました。

続く場面は捕えられた二人の部下の処刑シーン。
ここで元ミス香港、ケイト・ツイ嬢登場。思った通りワイヤーで宙を舞いVFXで魔法のような脱衣の術を駆使します。
んで名前が「脱脱」て(笑)。とにかくやたらと、この妖術使いのねぇさんが強い。そうか、こいつが最後の相手か。

身の潔白を晴らすため奪われた玉璽を取り戻したい主人公は午馬(ウー・マ)や馮克安(フォン・ハックオン)のいる民間の運び屋に自分をかくまい運んでもらうことになります。

ここから色合いはすっかりロードムービー。
ドニーさんの衣装も錦衣衛の堅苦しいのから、アースカラーのロングコートにくせ毛の長髪と、ちとワイルドな扮装。なにやらウェスタンな香りがそこかしこでしてきます。

まずは旅の始まりにチンピラ盗賊どもを片手で軽くいなした後、森の中で追手の錦衣衛達に襲われて、そう、ここからがアクションは本番っす。

馬車にいると見せかけて、木から敵の頭上に飛び降りてきて奇襲をかけるドニーさん。
相手は50人ほどもいるでしょうか。
自分を取り囲こむ陣形を見て「それは俺の考えたフォーメーションだ!」と恫喝する台詞が「お前らごときに俺は倒せん」と余裕を感じておもしろい。
あとはひたすら早い剣さばきで次々に元同僚をなぎ倒す。

ひらひら舞うコートの裾がセクシーですドニーさん。そういえば長袍といい、こういうコートといい、どうも私は動作中の丈の長い衣装に弱いような(笑)。

アクションが進む間に青龍は弓を構えた敵に刀を投げたため、とっさにビッキー・チャオ扮する喬花の刀を彼女ごと振り回す。(14本も剣を持ってる意味がないじゃん!)
こういう男女の組み合わせアクションというのは昔から結構あって、大抵は動けない女が足手まといになって苦戦するというのが定石。
過去ドニーさんも『洗黒銭』の劇中、手錠で繋がれたロザムンド・クワンのせいで殴られたりキックが届かずひっくり返ったり、散々な目に遭っていましたっけ。

が、そこはさすがプロの殺し屋、錦衣衛青龍。
びっくり眼のビッキーと一緒でもヘマなんかおこしゃしません。
しかし、別に縛られてるわけでもなし、なんで2人そろって刀を持つのかちょっと必然性が薄いような・・・。
まぁ、このあとの男女の機微の前振りなんすかね。
それとも単純に「同じような剣術アクションが続いても観客は飽きちゃうからさ!」という苦肉の策だったのかしらん。

とにかくビッキーにとっては自分の意思と関係ないとはいえ、自らの手で人を斬ることになるわけで、これってものすごいトラウマになる衝撃的な出来事だよなぁ(その後全然平気そうだったけどね!)、なんて思っていたら棺桶の中から出てきました、やっとです、チェン・クアンタイ。

冷静に考えたら「あんた、錦衣衛のなんなのさ」というコスチュームと風情ですが細かいことなんか気にしちゃいけません(笑)
おおお、クアンタイさん龍虎門の時よか若返ってる!風になびくロン毛ストレートがとっても新鮮でしてよ。

動作監督はユエン・ウーピン組の谷軒昭(コク・ヒンチウ)。
ここは過去にショウブラザース作品で武打星として輝いたチェン・クアンタイとドニーさんの場面ですからね、とたんに拳対決。

おお、しかもクアンタイさん『少林虎鶴拳』つまり洪熙官の時と同じ虎形拳じゃあありませんか!しかもご丁寧に虎の咆哮「ガオー」のSEつきだ!
こういうリスペクトはいいよ、いいよ~、いいっすよ~。
木葉舞う中、過剰すぎるワイヤーも最小限に、ここは男くさいアクションに仕上がってる。

彼の事を偉そうに語れるほどそんな数は見てないけど、昔からその風貌もあいまって男っぽい役柄が多く、今もやはりその雰囲気を残しております。

ここでも虎形拳の威力を見せ付けるために木はえぐれるわ、服は破るわ、お約束が一杯で嬉しゅうございます。クアンタイさんが馬を倒すとこなんか、レトロ調でよかったわ!

しかし勝負は後半、ドニーさんの大外刈りに背負い投げが決まり、挙句得意の手首固めで「こきゅ」。最後は敵の首を掴んだまま背中にしょって、クアンタイさん絶命と相成りました。

注文付けるとしたら、せっかくの武打星同士。
もう少しカット割りをシンプルにしてカメラもちょこまか動かさんとじっくり動きを見せて欲しかったなぁ。
真剣に観てたら酔っぱらいそうだったよ、それにカットが細かくてカメラがやたら動くから内股か大外刈りかわかりにくいじゃん!
だけど、そんな不満もダニエル・リーだからなぁと思えば仕方ない。ある意味、カメラはブレるが本人はブレない監督とも言えるわけです(笑)。

そしていよいよ、新たなバトルの相手はブルネイ出身のアイドル、ウーズン。ジャック・スパロウじゃん!と見た人のほとんどが突っ込んだであろう出で立ちにもめげず、カッコよく撮れてます。頑張りましたね。衣装武器ともに彼のために考案され、その期待に応えての熱演です。
「このコインが止まる前にお前を倒す!」な設定とか、ちょっとワクワクするじゃん。
本来は緊迫感あふれる場面のはずですが、そこはかわいい彼のこと、なんとなく友好ムードが漂ってる。
でもそんなことは無問題。ドニーさんも微笑をたたえつつ、軽くお相手。若いっていいなぁ(笑)。

場面は変わって、妖術使いのケイト・ツイとの第一ラウンド。
いきなり闘うわけじゃなく、なにやら色々話し込んでる(笑)。
一応監督は、ここでそれぞれ孤独な存在である二人の立ち位置を見せたかったらしい。妙に気の合うふたり。
ま、男と女だからね。少しこういう色があったほうが、後々のアクションシーンに想像をふくらませる余白を残せるということでしょうか。

で、花火の音を合図にバトル開始。ミス香港の鎖みたいな武器、強力です。一振りで柱とか折っちゃうんだぜ!ひらりひらりお互いに店内を破壊しながら飛んでおります。

彼女のいいところは、その衣装。非常に無国籍風でエキゾチック。
特にヘアスタイルと眉が繋がったように見える入れ墨はさすが美術監督出身のダニエル・リーらしいアイディア。
これでもう少しアクションに対しての方向性が近ければなぁ。綺麗な絵撮るの上手なんだから。

あとは盗賊団、天鷹幇が関所を襲うシーンとか、飛び道具満載です。派手です。楽しいです。
舞台が砂漠だからこそのシチュエーションが生かされたアクションが次々登場して活劇を盛り上げてくれる。
ここまでくるともうね、すっかりウェスタン映画(笑)。いうなればクンフーウェスタンか!
実はここだけの話、今回のアクションシーンで一番気に入ったのはこの砂漠の迷路で待ち伏せするシーン。なんというか妙にワクワクしてしまいましたわ。

その辺りで気がついた。この映画、音楽がいい。
担当はダニネル・リーとよく組んでるヘンリー・ライ。最後に歌われるサー・ディンディンの主題歌のメロディをモチーフとして上手に使っていて、すっかり気に入ってしまいました。
とくに後半はとにかく笑っちゃうくらいにウェスタン。なにしろ口笛っすからね、口笛(笑)。

彼はアンディ・ラウ主演の三国志でものっけからエンニオ・モリコーネみたいな曲で我々の度肝を抜いてくれましたが、今回は西域が舞台だけに心おきなくウェスタンしております。てか、心おきなくウェスタンしたかったのは李仁港監督の方か(笑)。
さて三国志では思い切りモリコーネでしたが、今回はそこまで巨匠じゃなく、むしろモリコーネを影で支えたブルーノ・ニコライにインスパイアされた感じ?とニヤリ。
元ネタになっただろうなーという曲を知っておりましてよ、ヘンリーさん(笑)。

さて青龍をとりまく人々がなぜ彼のために手を貸すのか、ちょっと強引な気もするけど、そんな細けーことはいーんだよ、とにかく馬に乗って砂漠を疾走しなきゃさ!

「天鷹幇、見参!」といちいち叫んで登場するウーズン君とケイトのファイトはそれまでのワイヤー不足を一気に解消する勢い。
不思議なものでドニーさんが関わってなければ別にこういうコレオ、自分はそんな嫌いじゃない。やれやれ、もっとやれ~。

ここまでくると、最後の闘いがミス香港であることも、もうどうでもいい気分になってきた(笑)。
それを計算に入れてるんだとしたら、監督すごい、と思うけど彼はそこまで絶対に考えてないと思う(笑)。

ラストファイトは、案の定、暗い室内でのワイヤーとCGとスローモーション使いまくり。
覚悟してたといはいえ、いざ始まってしまうと、こんな細っこい体幹の弱そうな小娘にドニーさんがやられるってのは納得いかんなぁと感じてくる。

と、そこで、急にひらめいた。

これってさぁ、恋愛どころか誰とも人間的なふれあいなど一度もした事のない脱脱って女の、激しい(激しすぎるけど)青龍への一方的な恋の告白なんじゃなかろかと。
彼女がどういう人生を送ってきたかは知らないけど、闘う事しか知らない、しかも最強の彼女が、生まれて初めて手ごたえを感じた男が青龍なわけで。
追ううちに彼の内面や信念を感じとって本人も知らぬ間に敵に恋してたとしても、映画では不思議じゃない。

なるほど、その視点で観れば、まいっか~、という気分になってくる。
そういや酒場で「追う方もつらいのよ」とかなんとか言ってなかったか。ここで、あのふたりのシーンが生きてきたのですね、監督(笑)!

いったんそう思い出したら、最後の最後に「お前も道連れだ!」とばかりに脱脱を抱いて自決用の最後の剣を自らに向ける青龍と対照的に、目を閉じてその時をじっと待つ彼女の姿はファンとしてはちょっと羨ましいくらい(笑)妙にエロティックだ。

と、ここまで全力で解釈した自分をほめてあげたい。さすがドニーファン。

 

 

のちに日本語字幕版を劇場で観た追記。

読み返してみて、自分でもこの錦衣衛にここまで語ることがあるとは思いませんでした(笑)。なんという長文。
劇場で観ると、最初の印象よりやっぱり割り増ししてよくなるんだとあらためて感激。初見より、ずっとずっと面白い!皮肉ばっか言って申し訳ありませんでした監督!(笑)

それにしても音楽いいなぁ。
結局、最後のテーマを歌うサー・ディンディンのCDまで追加して買っちゃったくらいだもんね。
向こうの映画のテーマ曲ってイメージソングと言うよりは映画の内容をズバリ歌詞にして歌うことが多いのですが、彼女のこの曲も青龍を思う喬花の心情を歌っています。

このCDを買ったばかりの時に勢いに乗って自分でこの歌詞をなんちゃって意訳してみた(笑)のですが、その答え合わせを今回日本語字幕でできたのが嬉しかったです。
自分が苦労したところを翻訳者の方も苦労したのだと、しのばせる訳になっていて秘かにひとりで共感してしまったのでした。

ところでこの映画のサントラって存在しないんですかね。あちこちの通販で捜してるけど見つけられない。あったら即買いだったのに残念。すごく欲しいです。

それと、この映画で唯一男くさいアクションをドニーさんと見せてくれたチェン・クアンタイですが2011年度の香港金像奨作品賞に輝いた「打擂台(邦題:燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘)」にも出演。
等身大のクンフーアクションを披露してくれてるらしいです。
すごく気になってるこの映画、私がじれて香港からソフトを買う前に日本でも是非公開してください。観たい!

処刑剣14BLADES日本公式サイト

sinaエンターティメント 錦衣衛プロモーションサイト

追記
ヘンリー・ライの錦衣衛のサントラが買えるサイトを見つけました。
最新作の関雲長もあります。もちろん即買い。
アメリカとか日本と違い、中華系ってほとんどサントラって発売されないのね。
ラッキーなことに発売されてもすぐに完売廃盤だし。

いいな~、陳光榮もこういう具合にDL販売すればいいのに~。
SPLとか導火線とか孫文の義士団とか武侠とか、すくなくとも自分は全部買う自信あるよ!

川井憲次さんはファンが多いから、なんとか聴くことはできるけれど。
セブンソード」と「墨攻」は日本でもサントラ発売されています。
あとは龍虎門から2曲ばかしK-PLEASURES3~Kawai Kenji BEST OF MOVIESというアルバムに収録されているくらいかな。
日本で「イップマン」シリーズのサントラくらい発売して欲しい・・・。

 

 

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マクド アイクラ

先日、ある男性と話していたときに、ちょっと関西弁を使ったら「イーボシさんは関西の方ですか?」とすごく驚かれました。

「はい、大阪生まれの大阪育ちです」と答えたら「うーん、関西弁は使わないほうがいいですよ」と真顔で言われちゃいました。

あの真意はどこにあるのか、関西弁嫌いな人だったのか(でも本人はバリバリ関西人)それとも私の関西弁が変だったのか?いや、私のことをどこか違う土地の出身だと頑なに信じてきて裏切られたような気にでもなったのか、ちょっとわからずに今もモヤモヤだけが残ってます(笑)。

さて、嫌がられようがなんだろうが自分は関西人なものですから、もちろん家族との間では関西弁オンリー。京都大阪など関西方面に行くと、やはりすぐ関西弁に戻ってしまいます。
カメラの前ではなんとかなりますが、休憩時間とかオフとか言うとまずあきません、無理ですわ。マクドナルドも自然にマクド(笑)。それにしても何故マックが関西でだけマクド。これは私にも分りません。

マクドのように短縮語なのに何故か関西だけ違う言い方をするものって結構あるそうですが、なかでも笑ったのがクラッシックの楽曲名。(そこまでも!)
モーツァルトのト長調K.525。別名セレナーデ第13番、日本名小夜曲、つまり<アイネ・クライネ・ナハトムジーク>。
これはタイトルが長いというのでクラッシック業界では「アイネク」と略すそうですが、なぜか関西方面ではこれを「アイクラ」と言うそうで。
マックとマクド、アイネクとアイクラ。共通点があるようなないような(笑)。

クラシックといえば昨年の夏に九州交響楽団のコンサートの司会をした経験があります。間近で聴くオーケストラの調べは本当にわくわくして楽しい仕事でした。

そこで、モーリス・ラヴェルの「ラ・メール・ロワ」という楽曲、しかもそれをフルオーケストラでの演奏にのせて私が<眠れぬ森の美女>を朗読するという機会に恵まれたのです。

もともとこの曲は友人の子供たちのために作曲されたピアノの連弾曲。とてもロマンティックな美しい旋律で管弦楽組曲版の終曲ではラヴェルらしい壮麗なオーケストラレーションで締めくくられます。こんな美しい曲で朗読できるなんて。

実は私、恥ずかしながら若いころは女優志望でした。
もう喜び勇んで、姫、魔法使いの老婆、結婚を申し込む若者、妖精、王様、王子、ナレーション部分と7色の声を使い分け(だいぶ宝塚風味だったけど)、滔々と朗読させて頂きましたが、原稿を読んでいて何度も鳥肌が立ちました。
あの音楽と言葉のタイミングの合った時の気持ち良さったら!本当に夢のような素晴らしいひとときでした。

そうそう、ラヴェルというと最近ずっと原稿を書く間、ラヴェルの<亡き王女のためのパヴァーヌ>を聴いています。
仕事中あまり音楽を聴くことは少なかったのですが最近、マンションの上の階に住んでいるオチビちゃんが走り回る音が良く聞こえるようになって、それが気にならないように聴き始めました。
これとマスカーニの<カヴァレリア・スルティカーナの間奏曲>とマーラーの<交響曲第五番のアダージョ>とこちらはジャズですがキース・ジャレットの<ケルンコンサート>この四曲をとにかくヘビーローテーションで聴きまくっています。

慣れると他の曲じゃダメなんですよね、不思議だけど。
もちろん、ポップスや古いロック、歌謡曲、ジャズや民族音楽も大好きで私のi-podには二千曲以上入ってますが、仕事する時だけはなぜかこの四曲。

古い友人にも最近クラシックが好きになったという人がいて、何も言わないのに先日ご飯を食べに行ったらいきなりモーツァルトのピアノ協奏曲20番と21番、それにベートーベンのヴァイオリン協奏曲のCDをくれてびっくり。もちろんクラシックファンにありがちな楽曲や演奏者の詳しい注釈つきで(笑)
最近、仕事中に<亡き王女のためのパヴァーヌ>ばっかりかけてるといったら辻井伸行さんのピアノのはいいよ、と推薦してくれました。今度聴いてみよ。
28年前は二人でイギリスのバンド、ロキシ―ミュージックの武道館コンサートに一緒に行ったのにね~、と顔を見合わせて笑ってしまいましたわ。

そういえば毎年年末になるとベートーベンの交響曲の一番から九番までを演奏するコンサートを聴きに行くという知人もいましたっけ(一体何時間かかるんだろう?)。

さて、このベートーベンの交響曲ですが聞いたところによると業界ではすべてを番号で呼ぶわけではないらしいです。

一番、二番、エロイカ、四番、運命、田園、ベト、八番、第九、と呼ぶそうな。なんか、面白いですね。

 

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東松島でボランティアに個人参加した

毎年、タイガースの交流戦を観戦するために地方遠征をするのが習わしになっています。
2011年は楽天戦を見に、5月の仙台に行くつもりでチケットを予約していました。

実は私、2年前から1年にワンクール「とうほく食文化応援団」という番組で仙台放送にお世話になっています。宮城を中心に東北の食に関する様々な分野で頑張る人や活動を紹介する番組で、今回の大震災で被害に遭った三陸沖は何度も何度も訪れています。
観戦を一緒にするのは仙台の友人です。そこで、東京からただ野球を見るために1人ノコノコ仙台に行くだけではどうよ!ということで、前乗りして個人ボランティアに参加することにしました。

どうしたらいいか解らないのでとりあえず宮城県災害ボランティアセンターサイトをチェック。そこでそれぞれの地域で個人ボランティアを募集しているところを参考にすることに。

個人ボランティアってどうしたらいいの?
多分、みんなそう思うでしょうね。私もそうでした。でも、サイトを見ればおおよその事は、すぐに分るようになっています。

私の場合、早朝東京を出ても在来線や電車の復旧していないところを代行バスで移動することを考えるとどうしてもボランティアセンター入りが午後になってしまうので午後からの参加が可能であることがひとつの条件になります。

そこで午前、午後、と日に2回募集している地域、ということでいくつか候補地を出し、そのなかの一つ東松島市災害ボランティアセンターに確認のためにまずはお電話をしてみました。当然先方のお仕事を増やすのを承知でわざわざお電話をした格好です。
しかしサイトを見ると当日の仕事がどういうものに当たるかはその時にグループ分けしなければわからない、ということだったので「参加したはいいけれど、体力がなくてかえって足手まといになること」が不安でした。「40過ぎの女性ですがかえってご迷惑になってはと思いお電話してみました」と正直にお話したら「大丈夫かと思いますよ!」という明るいご返事。この方のとても親切な対応に感激して、私はその東松島に行くことに決めました。

そこから慌ててホームセンターなどを回り、とりあえずサイトに書いてあった「持参してもらいたい物」を購入。
必要な物として表記されていたのは、長靴、マスク、丈夫なゴム手袋、ヤッケなどの水や汚れに強いウエアの上下、何かの時のための消毒液とカットバン、そして自分の飲み水、もしランチを挟む作業の場は自分のお昼ごはん、そしてその上に汚れるかもしれないので着替え、などなど。
私が買ったのは、長靴、粉塵用マスク、そして厚手のゴム手袋。
防水仕様の上下は、大昔ボーイフレンドと行った山登りの際に購入したものと一瞬だけカヌーをしていた時に作った上下があります。両方久々に出してみたところ(いやマジで久々だから!)カヌーウエアの方が防水仕様が強力そうだったのでそれを持っていくことにしました。

朝、07時16分発の仙台行きの新幹線に乗り、そこから当時在来線の仙石線でとりあえず行けるところの最終だった東塩釜駅まで。あとは代行バスで東松島市役所のある矢元まで向います。
この代行バスと言うのには初めて乗りましたが、これはJR仙石線の「代行バス」という意味なのですね(ごめん、当り前か)。なので切符はちゃんと仙台→矢元までを買わなくてはいけないのでした。何も知らない私は東塩釜までしか買っておらず、なので結局矢元駅で清算することに。

そこから道を駅で聞いて徒歩約5分、東松山市役所内のVC(ボランティアセンター)へ。

受付には矢印で「初めての方」や「経験者」と区分けがあり、私は当然初めての受付の方。そこで住所氏名や生年月日などを書いて、センターからグループ分けをされるのを待つわけです。その間に私はトイレで作業着にすばやく着替えて名前を呼ばれるのを待つ・・・のですが、着替えてやっと、防水完璧と思ったウエアが実はめちゃ派手でひとり浮いているのに気がついた(汗)。
他の人は紺や黒の地味なヤッケ、か、もしくは慣れた風情の方々等はつなぎの作業着という服装。作業が作業だから誰も気にするはずなど当然ありませんが、オレンジと紫のパッチワーク風の上下ウエア(カヌーの時には目立って安全と思った色合い)はさずがにちょっと場違いなような。
やがて名前を呼ばれて男性6名女性私1名、合計7名のグループに参加することに。

向った先は住宅街にある理髪店兼住宅。
作業は、奥の納屋にある津波に浸かった家電製品や畳などの家財道具を取り出す力仕事と、庭に積って乾いたヘドロを取り除き土嚢袋に詰めて出す、そのふたつです。

私は庭のヘドロ出し係に任命され、早速作業に取り掛かります。
ぱっと見は少し荒れたくらいの庭にしか見えませんが、掘ってみると表面はすべて泥のようなヘドロで覆われており、それをこそぐと変な匂いが立ちあがります。
すでに乾いていたので最初は気づきませんでしたが、災害直後や雨の降る日などは恐らく町中がひどい匂いだったに違いありません。掘っていると一緒に金属片やガラス、生活用品、瓶や缶など様々な物も出てきます。恐らく津波とともに流されてきたのでしょう。

私は、閉店間際の近所のホームセンターで購入した一番ちゃちい長靴をはいていたので、注意しないと変な物を踏み抜いて怪我をするなと感じました。実際、一緒に作業をしていた若い男性が結構ソールの厚いブーツをはいていたのに、漁業関係の道具でしょうか、先のとがった大きな針のようなものを踏んでしまい足を怪我した模様。
あらかじめサイトで「応急処置の仕方」を読んでいたので、「大丈夫です、あとで」なんて暢気なことを言っていた彼に、すぐに足の傷口を洗う水とあらかじめ持ってきていた消毒液、そして応急バンを渡すことが出来ました。こういう時は破傷風が怖いのでほんの少しの傷でも消毒することが大事なのだと、後から合流した女性が教えてくれたおかげです。

彼女のように途中休憩前に新たに2名が追加され、庭の方は合計4名での作業となりました。
休憩中、せっかくだからとその場にいらした方々と「どこから来たの」という話題に。
先月も東松島でボランティアしたという神奈川からの22歳と19歳の兄弟は公園でテントを張り1週間いるらしい。ほかにも関東から参加の人が結構多く、おひとり参加の初老の男性や、週末を利用して松島の温泉旅館にお金を落とすと同時にボランティアという二人組、遠いところでは大分から大阪の弟をピックアップしてマイカーでここに来た20代の男子など様々な人達が集まっています。

私のやったことは、ひたすら表面をこそいで土嚢につめて表に出す本当に単純な作業で、時間にしてもわずか数時間のお手伝いでしかありませんが、その仕事も結局は人力でしか出来ないことなのです。
しかも4人の大人がやってもやっても、4,50平米くらいの庭のほんの少ししか進まない。
今日はたまたまこのお宅のお手伝いでしたが、同じように助けを必要としているお宅は数え切れないほどあるでしょう。人が住み暮らしているところですら、こうして人力が必要であり、しかも被害の規模と範囲を考えると、全てが元通りになるなんて「一体、何年かかるのか」と気が遠くなってきます。

作業を終えて、ボランティアセンターに帰ると、センターのみなさんが「お疲れ様」と出迎えてくれるではありませんか。

こういう事に慣れてない私が着替えたりしてモタモタしていると、そのうちのどなたかが「ひょっとしてイーボシさんて、あの飯星さん?」という展開になりました。
別に知ろうが知るまいがどっちでもいいと思って1人で来ましたが、別に嘘をつく必要もありません。「そうですよ」ということになり、とたんに即席の写真撮影やサイン会が始まりました。
普段、地味に暮らしていて、こういう風に他人に囲まれるような場面には慣れていないのですが、もし喜んでくださるのなら私も嬉しい限りです。

そうこうするうちに、地図を拝見しながら近隣地域の被害やその日の状況などを個人的にうかがう機会も出来ました。
なかで被害の大きい地域の一つである石巻で家をなくし、このボランティアセンターで働いているという、ひとりの女性が話をしてくださいました。
石巻は自分もロケで立ち寄ったことがあり、実はこの目で見てみたかった地域でもあるのですが、ボランティアをするわけでもないのに見るだけでも見たいなどと思うのは物見遊山な気がして、さすがに躊躇していたのです。
けれど実際に被災された方の話を聞いていて、これは見て帰らなければいけないという気持ちが湧いてくるのを止められません。
「まだ陽もあるから行ってみようかな」とぽつりと言うと彼女が「是非見てください」となんと私を自分の車に乗せて連れて行ってくれたのです。

ニュースでは見ていました。何度も何度も見てわかっていたつもりでした。けれど、実際にこの目で見ることはなんと違う風景と経験でしょうか。
かつてそこにあったものが、すべてなくなっている光景に言葉など見つかりません。
ただ黙ってその場に立ちすくみ、手を合わせる以外に思い付く事などないのです。
道路はかろうじて車が通れるように瓦礫は取り除いてありますが、家々があったはずの場所にはまだなお、流されてきた瓦礫や廃材が山のように放置されたままになり、ただのゴーストタウン、いや、タウンですらないのが現実です。

沿岸部にあった飼料工場が破壊されその悪臭が石巻の街を今なお覆い、少しいけば坂道になっているために、たった一本の道路を隔てた「被害のあった区域」と「あわずに済んだ区域」の境がはっきりと目に見えてわかります。
家を失くし家族を失くし全てを失くした人々に較べれば「幸い」にも最小限の被害で済んだと言われてしまうかもしれない、そしてなおこの街に住む以外道のない人々にとっても、悪臭とともに様々な意味で辛い苦しい日々が続いているのだと想像できて、また新たに胸が詰まりました。

政治のことは今ここで書かずに違う機会にしたいと思いますが、人々が「普通に暮せる」ようになるには、たった一人でいい、腹をくくって決断する人物とそれを実行するお金と人力が今すぐ必要。ほんの数時間お手伝いしただけの人間でもそれくらいのことは分ります。

ここでは、これを読んで下さったなかに、もしボランティアに興味のある人がいらっしゃるなら、と仮定して最後にお伝えします。

私がたった数時間やったこのヘドロ掻きのような作業は、ずっと広範囲にわたって、これから何年にもわたって需要がある作業かもしれないと実感しました。
なので別の視点で考えれば、今行けなくても明日行けなくても構わないとも言えるわけです。数カ月後、いや数年後でも、もしあなたが東北に行く機会があるならば、その前にちょっとその県や地域のボランティアセンターサイトを覗いてみてください。

たとえ数時間の作業であっても「明日は、別のチームがきますから!」と言ってその場を後にする人がひとりでも多くなることが、どんなに大事なことでしょうか。

加えて、たとえ体力に自信のない方であっても車を運転できる方なら、どこでも多分ボランティアドライバーは必要とされていますし(車があればなお嬉し)、力のいる作業する人間を現場まで運ぶのも、ガソリンの入った車なのです。

そして現地に行けなくても土嚢袋を送ってさえくだされば、いくつもの現場で削ぎ取ったヘドロを入れるのに役立つはずです。是非、各自治体のボランティアセンターのサイトを覗いてみてください。そこではそれぞれ、今、必要な物がお知らせとしてアップされているかもしれません。
このようなことは明日、そして来年、終わることでは決してありません。

残念ながら明日ではありませんけど、私もまた必ず、あの場所に再び行くつもりです。

 

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ2天地大乱  長年にわたり自宅で様々なソフトで鑑賞、その後劇場のデジタル上映で ―ドニー・イェン 甄子丹

まぁ、なんだ、本当に2011年はドニーイヤー。

葉問1,2が公開、孫文の義士団と錦衣衛公開、んでひょっとしたら9月に精武風雲も公開かと言われるなか、シネマート六本木でひっそり行われている香港電影天堂スペシャル。そこでも、あの不朽の名作ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナシリーズが1~3まで公開。まさか、今頃ラン提督をスクリーンで観ることが出来るとは夢にも思っていませんでしたよ。なんという怒涛のドニー波状攻撃!!!

で、さっそく第一回めの公開日にいそいそ行ってきました、ワンチャイ2天地大乱。

お客さん一杯かと期待したんだけど、案外そういうこともなく(笑)客層は見事に年配率高し(笑)。でも隣の初老のオバサマ4人組は昔にこのシリーズのファンだったらしく上映前のおしゃべりで「イ―さんと黄飛鴻は血がつながってないのよねぇ」とか、「シリーズ3まではこの俳優さんだけど、その後は違う人がやってたわ」などと、なかなか渋い会話をしておられました。

さて肝心の映画ですが、自分ン家のモニターでさんざん観た作品もこうやって映画館で観るともう全然違う。

なんといっても懐かしのゴールデンハーベストの「ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、パパパパラ~」っていうクレジットがスクリーンに登場しただけで一気にアドレナリンが噴出(笑)。まさかこのクレジットを再びスクリーンで観ることが出来るとは。

デジタル上映は初めてで、おそらくBDかDVD上映みたいなものではないかと画質は期待してなかったけど、問題はそこではありませんでした。せっかくゴールデンハーベストのクレジットで胸を高鳴らせたのに、テーマソングの「男兒當自強」の音響のショボさに一気にガックシ。いやいや、そこは肝でしょうよ、ここでまず盛り上げてくれないと!劇場全体に男兒當自強が鳴り響くことを期待していた私はそれでかなり気落ちしてしまったのであります。

本編自体はそんなに音響悪いと感じなかったのに、クロージングの成龍の男兒當自強になったら、またショボくなってしまい、歌の部分だけ音響がガクっと落ちるのはソフトの問題だったのでしょうが、本当に残念でした。

しかし武打片はスクリーンで観るに限ります!そのひとつひとつの動きはやっぱり劇場で観るために作られているんだと言う事を実感しました。目の前のでっかいリンチェイが長袍の裾をぐっとたくし上げ、見得を切るだけで「おおおおお」と鳥肌。

白蓮教とのストリートファイトでの黄飛鴻師父の見事な扇子さばきやら無影脚やら、もうね、のっけから「至福の時」ですわ。我が家のモニターで観ていては気がつかなかったセットの細部とかエキストラの衣装とか佇まいとか、とても新鮮。

さすがゴールデンハーベスト作品。当時の香港映画としちゃ、めちゃ金かかってる!そのうえ、ロザムンド・クアンはいちいち可憐だわ、リンチェイは萌え死にそうなくらい可愛いわで、やはり観に行ってよかった。

しかし、こうして見るとツイ・ハークって才能ある。本編の始まり、白蓮教の少女のアップを観ただけでそう分る。混沌とした世界観を描かせたら天下一品やね。

私は雑多な人々が飯屋で食事しているところに流しの胡弓弾きの爺さんが歌う場面がとても好きなんだけど、その唄の内容とカットバックで入ってくる殺伐としたシーンは何度観てもいい。あれだけで充分、清朝末期という時代と広州という土地の混乱ぶりが伝わってくる。だからこそ、その後に登場する広東省の役人ラン提督の立場や考えが理解しやすいようになっていて、彼がただの乱暴者の悪役でない事を観客に知らしめることができているわけです。うまいなぁ。

さて、ここでアクションシーンの感想です。

あらためてこの作品を大きなスクリーンで観て思ったことは、この先映画でもうこんなアクションシーンは作れないかも、ということ。

特に感じたのは「くまきん」こと熊欣欣が机積み上げて「祭壇だ!」とか無茶ぶりするシーン。今ならこの場面ほとんどCG処理ですよねぇ。それをあのワイヤー処理だけで全部描き切るって、今、そんなことが出来るんだろうか。そんな人材がいるのだろうか。てか、そんなことが許されるのだろうか。そりゃ補助となるワイヤーは使いまくりっすよ、でもさ、机も人も何もかもみんな本物じゃないの。しかもグラつく机の足、一本一本から、すべてのものをちゃんとカメラで押さえてある。なんという気の遠くなる作業でしょう。そう思うとやっぱすごい作品なんだわ!

それを作ってる人達の心血を注いだ努力を考えると、こう、なんというか、この作品にかかわった全ての人へのリスペクトの念が次から次へと沸いてきてしまいました。

それにしても、ユエン・ウーピン、不安定なところでアクションさせるのホント好きやね~(笑)。あのグラグラの積み上げた机のシーンを見てて(しかもそのうえで美しい見得を切るところまでお約束)、その軸のブレなさに感服いたしました(笑)。香港アクションの真髄として、この「不安定な」グラグラは特徴的な要素のひとつだよね!

こうして20年の時を経て見ると、主演のリンチェイも共演のドニーさんも監督のツイ・ハークもアクション監督のユエン・ウーピンも、そして香港映画の持っていた勢いも、みんな、みんな、ある意味一番いい時に撮った作品なのかもしれないなぁ。

さて、そんなしみじみしてしまった流れの中ででてきたリンチェイとドニーさんのアクションシーンですが、このふたつのシーンについては普段からさんざんネット動画や自分のソフトなどで目を皿のようにして観ているせいか、むしろほかの場面より新鮮味に欠けてしまいました。しかしこれはひとえに自分の所業のせいなので文句は言うまい。でもさすがにラストバトルで布棍をはらりと出した際には「きた!」とつぶやいてしまいましたが(笑)。

ドニーさんの著書「ドニー・イェン アクションブック」(キネマ旬報社)で彼はこのラストバトルについて、衣装が豪華で動きにくく特に玉飾りのついた帽子はしょっちゅう吹っ飛んだりずれたりして苦労したと語っていますね。そしてチャン・イーモウ監督の『HERO』でリンチェイと彼のやったことは実はこのワンチャイですでにやりつくしていて、テンポとパワーはワンチャイのほうが優れている。当時ドルビーがすでにあり、撮影技術も現在のレベルならさらにすばらしい出来になっただろう、とも言っています。

ああああ、今の技術で撮られたらこのバトル、どんなことになるのか想像しただけで興奮してしまいます。

男兒當自強の音響にちょっとがっかりしちゃったけど、スクリーンでこの映画を観られたことには心から感謝します。やはり、たくさんの人がいて同じせりふや演技で一緒に笑うってすごく楽しいもんね。

帰りはなんだかとってもウキウキしてしまって、自分のi-podの男兒當自強を聴きながら六本木から40分かけて歩いて帰ってしまいました。私の功夫プレイリストにはこの曲の様々なバージョンが入っておりますが、実は一番好きなのは男性合唱団によるワンチャイ3のこのナンバー。聴きながら「この先、自分の人生にものすごい困難がやってきて死にたくなったら、絶対にこの曲を聴こう」となぜか強く決意してしまったのでした(笑)。

しかし、このシネマートの香港電影天堂スペシャル、何気にすごいライナップなんだよね。なんだか勢いでレスリー・チャンのチャイニーズ・ゴースト・ストーリーシリーズや男たちの挽歌シリーズも観に行ってしまいそうです。

やっぱ、この頃の香港アクション映画はいいなぁ!

 

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中国魅録-「鬼が来た!」撮影日記 香川照之著

先日、姜文(チアン・ウェン)監督主演の映画「鬼が来た!」を観たと書きました。
この作品への興味が尽きなかったので、しばらくしてから、重要な役を演じた俳優香川照之さんの著書<「中国魅録-鬼が来た!」撮影日記 >も読んでみたのです。

なんといっても彼の文章のうまさに、まず驚き。うらやましい。
それにしても、すごいところだ、中国。
あまりの壮絶さ現実のおぞましさに、読んでるこちらの動悸が激しくなってくる。

中国の映画作りに関しては、うっすらと想像はしていましたが、そんな私の想像なんかはるかに超えた事実に心から驚愕しました。
凄まじい環境下で訓練に耐え、仕事への意識の違いに耐え、異文化どころか身の置き所のない孤独に耐えて、あの演技をした香川さんはじめエキストラも含めた日本人俳優たちに、あらためての賞賛を贈りたいと思います。

現在、映画に対しての投資ブームが凄まじい中国。
どのくらい凄いかと言うと、ネットで閲覧できるちょっとしたニュースに「映画への損をしない投資の仕方、見極め方」なんて記事が具体的な作品名をまじえて載るくらい。

そんななかチアン・ウェンは今も同じような撮り方をしてるのでしょうか、それともあれは彼だけの話?・・・な、わけないよね(笑)。
必ず衣装をなくす衣裳係とか、車が意味なく渋滞しても平気なドライバーとか、翌日の予定なんか絶対に教えない制作とかって、どんな監督にもついてるんだよね。

さて、そのチアン・ウェン監督主演で昨年2010年に中国で公開された譲子弾飛
ここではどんな監督ぶりだったのでしょうか(実はこれすごく観たいうちの1本。あのチョウ・ユンファも出演)。こうなったら、ますます観たいわ。

今の中国大作映画は「監督と主演男優を香港で固めて、中国内陸の女優を添える」のが圧倒的に多い。それは、あの本に書かれた想像を絶するディープな中国の姿と何か関係があるのでしょうか。
本を読めば読んだで、次から次へとまた新たな興味が湧いてきてしまいました。困ったものです。

そういう私も実は1980年代に中国の雲南省の昆明、西双版納タイ族自治州と北京、上海、大理、広州と1か月間にわたってドキュメンタリーのロケで滞在した経験があります。

私はそれが初めての仕事で、何もわからなかったお蔭か、(これが一番大きいのでしょうが)スタッフがみんな日本人だったせいか、日記に書かれた中国映画の現場の恐ろしさに心から驚きました。
私の場合は映画ではなくドキュメンタリー。
当時はまだ外国人クルーが中国ロケをすることが珍しかった時代だったので、メンツを賭けた中国政府が気を遣ってくれたのかもしれませんし(実際にその時ついた日本語のできるコーディネーターはかなり優秀な役人だったと思います)なによりそのロケには姜文がいなかった(笑)。

とはいえ、ドライバーは走ってる間中必要ない場面でもずーっとクラクションを鳴らして猛スピードでかっ飛ばす。こんなところで死ぬのは嫌だ、と何度思ったことでしょう。
見ると彼らはハンドルを持った手の指を必ずクラクションのボタンに置いている。それがハンドルを握る基本姿勢。
つまり、悪路にガタガタ揺れる反動で、何も考えなくてもクラクションが鳴る仕組みになっていたというわけ。

招待所のお湯が出ないとかは当然普通。
自分は夏のロケだったので気にしなかったけど、ひどい時はその水すらチョロチョロで持っていった石鹸の箱に水を溜めて30分くらいかけて髪を洗ってました。
トイレもねぇ。全員同じ条件と思わないとやってられん。
「メイヨー」な国というのには同感です。なんでもかんでも「メイヨー」だし。

そういえば街を歩いていてほどけた靴ひもを結び直していて、ふと顔をあげると三重くらいの人垣ができていてじっと私を見つめているとか、よくあったっけ。でも香川さんほどつらい思いは絶対にしていないツ黴€。
彼の本を読んでいて当時の自分がどれほど幸運だったかと思い知らされました。

そういえば、このドキュメンタリー、今じゃ想像もつかないけどVTRじゃなく「フイルム」で撮影したんだよね。リポートの台詞が長いうえに地名や歴史や人名がたくさん登場して、しかも映画畑の人たちだったから「カンペ」という存在がまったくなく、最高で20回以上のNGを出した覚えがあります。
うう、今思い出しても冷や汗が出るわ。

 

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映画 ブラッド・ブラザース 刺馬(1973年・香港)

ご存知武侠クンフー映画の巨匠、張徹(チャン・チェ)監督の代表作のひとつ。

監督
張徹(チャン・チェ)

主演
狄龍(ティ・ロン)
姜大衛(デビッド・チャン)
陳觀泰(チェン・クアンタイ)
井莉(チン・リー)

動作指導
劉家良(ラウ・カーリョン)
唐佳(トン・ガイ)

これは、07年にピーター・チャン監督で<ウオー・ロード/男たちの誓い>というタイトルで、ジェット・リー、金城武、アンディ・ラウ主演でリメイクされた作品の元ネタになった映画。

ショーブラザースの作品は00年以降、日本でもDVDが発売され、今まで噂にしか聞いたことのない映画もたくさん観られるようになりました。
私自身はそれほど多くのショウブラ作品を観ているわけじゃないけど、最近はなぜか無性に好きになってきました。これはハマっていると言っていいのかも(何をいまさら!)。

カメラはチェ監督に欠かせないと言われたカン・ムートー。
この人実は日本人。本名宮木幸雄。当時は何人かの日本人カメラマンが香港に渡りたくさんの映画を撮っていたことは有名なことなんだそうな。
当時あまりなかった手持ちカメラでの長回しは、闘いの緊張感を否が応にも盛り上げます。

2011年のカンヌ映画祭にて唯一の中国映画として特別上映された<武侠>を監督したピーター・チャンがこの監督について「自分は武侠映画のファンというより、チャン・チェの描くヒーローが好きだったんだ」と語ったように、おそらく男を描かせたら天下一品の監督のひとりだと思います(エグイ凄惨なシーンがお得意だけどね!)。
そんな監督の代表作ですからねぇ、この刺馬でも3人の個性の違う男を上手に描きわけています。

デビッド・チャンは相変わらずのニヤニヤ顔が活きている。
この人の魅力はなんといってもその笑顔。シリアスな表情と笑顔のギャップが大きくてそこに女性はまずやられちゃう。そのうえに、その笑顔も底抜けに明るいわけじゃなく、どことなく寂しさを感じさせるという。
当時、香港東南アジアで女性を中心にものすごい人気だったそうですが、さもありなん。見ていると所々、トニー・レオンに似てるなと感じる表情もあったりして、中華芸能界における人気男優の系譜を垣間見た気になりました。
彼は92年の、<ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ2天地大乱>にも孫文の同志である陸皓東役で出演していて、いい感じに年齢を重ねているようです。
んで相変わらずのニヤニヤ顔というよりは、なかなか味わい深い笑顔(笑)。自分はこの映画何度も観てるしソフトも持ってるけど、実は長い間、あの役が彼だと言う事に気がつきませんでした。その時は一切アクションしなかったしねぇ。不覚です。

チェン・クアンタイは、相変わらず非常に男くさい役どころ。
関係ないですが、Take2の深沢邦之さんは、この若いころの髭のないクアンタイに似ているのではなかろうか、と常々感じております。とくにちょっとした横顔なんかが。
何度かご一緒に仕事をした事もあるのですが、その度に「似ていますね!言われたことありませんか?」と話しかけたい衝動を抑えるのに必死です。
ですが、そういう話をしても、多分、「チェン・クアンタイ、誰ですか?それ?」ってことになるのだろうなと(笑)言うのを躊躇して未だにそのお話はしたことがありません。
いつか彼に言う日が来るのだろうか、いや、ないんだろうな、きっと。

この作品のクアンタイさんについては朝廷の兵士、しかも結構な上官になってもなお、出陣するのに上半身裸で盗賊テイストを残しているのに少し笑ってしまいました。
ワイルドで相変わらずかっこよいのですが、わかりやすい朴訥というか単純な人物として描かれていて、もう少しヒネリがあれば後半の悲劇性は高まったかなと思ったりもしました。
とくに私は<少林虎鶴拳>のアットホームなクアンタイさんが好きなので、このようなステレオタイプのワイルドさについては、ちょっぴり残念な部分ではあります。
これは多分監督の個性の違いですかね。

そして主役の中で野望と裏切りの男マーを演じるのは、ご存知ティ・ロン。
いやはや、お美しい!なんでしょうか、あの目の覚めるような美男子ぶりは。あまりのお美しさに、登場するシーンなんか思わずちょっと口あんぐり。

とにかく、彼が色気のある武打星のひとりであることは間違いありません。
男前の俳優というのは世の中、腐るほどおりますが、面白いもので、こういう色気というものは、あとから取ってつけることのきかない部分でもあります。
やはり持って生まれた才能なのでしょうね。まさに神様からの贈り物。
この撮影の助監督に、あのジョン・ウーがいたことは有名ですが、彼はのちに自分の監督作<男たちの挽歌>でこのティ・ロンを主演で起用しています。この作品から13年後のことですが、相変わらず色気のあるところを見せてくれていましたっけ。

さて、この作品では、チェン・クアンタイ演じるホアン・チュンの嫁のミラン(チン・リー)が重要な鍵になるキャラクター。
しかし、このチン・リーさんは当時一体何本のショウブラ作品でヒロインを演じているのでしょう。私の観た数少ない作品のほとんどは彼女がヒロインなような気がしてきたぞ。

ともかく、作中このミランとマーが互いの気持ちを知る場面があるのですが、これが結構押さえた感じで描かれていて大変よろしかったです。
いきなりガバっと抱き合ったりせずに、そっと顔に手をやる、それくらいの方がエロティックさは絶対に出るよなぁ、うん、うん、そうだよなぁ。
ハリウッド映画なら間違いなくキスしてるし、イタリアのマカロニウェスタンなら(Cイーストウッド除く)そのまま互いに洋服脱いじゃうようなシーンです。ここをこういう感じに描くのは、日本の映画か、まさしくクリント・イーストウッドくらいじゃないでしょうか。

武術指導は、ラウ・カーリョンとトン・ガイ。

ラストの復讐のバトルが非常にいけてます。まず、刺さったナイフを抜かずに闘うティ・ロンを見てると「そうかそうか、ここで抜いたらむしろ血がドバッと吹き出して致命傷になるのか」となんとなくそんな風に思えてくるから不思議。
いざ対決になった時に、総督の衣装をはだけて登場させるところなんざ、よくわかってます。
ワイドショットで延々にこの二人の闘いが丁寧に映し出されて、非常に見ごたえがございました。

ラストは、マーを暗殺したデビット・チャンが処刑されるところで物語は終わるのですが、その処刑した役人の嬉しそうな笑顔でフリーズするとこなんか、当時としては相当斬新だったんだろうなと想像します。

結局義兄弟の契りを交わした3人の男たちは皆死んで、あとには真実も彼らの生きた証も意味のないことと思い知らされる。
大きな歴史のうねりの中ではたった3人の男たちの生きざまなどは権力に対して何の影響力も影も落とさない、そんな残酷な現実を監督は上手に表現していて、さすが巨匠といわれるだけはあります。その主題は、ウオーロードでピーター・チャンにもきちんと受け継がれていましたね。

とにかくこの主役3人が非常にカッコいい。
もうね、嫌ってほど男くささにあふれかえっていている映画です。

ブラッド・ブラザース予告編

 

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カヌーの冒険野郎

今、NHK第一ラジオで「渋谷スポーツカフェ」(毎火曜20時05分~20時55分)という番組を持っています。

先日もお客様にITの伝道師と異名をとる東大名誉教授、月尾嘉男さんをお迎えし楽しいおしゃべりをしました。

まもなく70歳を迎えるという月尾さん、若いころからアウトドアスポーツに親しんで50歳でチャレンジしたのがカヌー。
で、60歳の還暦祝いに南アメリカ最南端のホーン岬を20日間かけてカヌーで廻って来たというのだから驚きです。

私はよく知らなかったのですが、このホーン岬と言うのは非常に自然環境が厳しく「海のチョモランマ」と例えられるくらいの難所中の難所として有名なんだそうですね。

帆船時代から現在までその海域で難破したり沈没したりする船は数限りなく、ここを廻って来たと言えば、どんな海の男に対してだって威張ったり自慢したりできる権利があるんだそうな。

20日間といっても、天候があまりにも変わりやすいためにそのうちの8日間くらいはテントに籠り回復するのを待つだけの日々も含まれるのだとか。
いやはや冒険野郎にもほどがある。

「奥さまはよくその計画に賛成されましたね」と感心すると
「いや、世界中で1社だけそういう冒険に出る人間向けの保険がありまして。それに入りましたので、むしろ生きて帰ってガッカリしたかもしれません」と笑っておっしゃる。
いやいや、そういうことじゃなくて(笑)。

そこまでしてカヌーをする楽しさって何ですか?と伺ったら
「普段見ることのできない目線で海や自然を眺めることが出来るから」というお答え。
ああ、わかる気がする!

実はこの私も20年ほど前に一瞬だけですが、カヌーをしていたことがあります。

インストラクターや同じクループの皆さんの足手まといになるくらいのチョボチョボ初心者にとっても、あの川面すれすれの場所から眺める景観はほかでは味わえない醍醐味だったということはよく覚えています。

お話を聞きながら、何故私はカヌーから遠のいてしまったのだろうとふと考えたら、ひとつの理由に思い当りました。

カヌーって川でも海でも水に出た場所と流れにのって到着する場所がまったく違う。
だから当然、水に出た地点で陸に残した荷物やらを到着地点まで運ぶ車が必要。
またカヌーに乗るための道具類や船などとにかく装備が大きいので、私たちと同じように楽しむわけでもないのに、それらをお手伝いしてくださる第三者が不可欠であります。

つまり気軽にひとりでさくっと楽しみ、さくっと終わるわけにはいかないスポーツなわけですね。

ああ、これが性に合わなかったんだと思い出した次第。

でも話をしたら、あの爽快感が蘇ってきてカヌーが少し恋しくなっちゃいました。

 

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