クライミング!

お仕事で、プロフリークライマーの尾川智子さんにお話を聞く機会がありました。

フリークライミングと言っても競技は多種にわたり、自然の岩場を登るものから室内に作られた人工壁を登る物まで様々。

一見したところ、とても小柄なかわいらしい女性です。
そんな彼女がどういういきさつで始めたかというと、大学時代ワンダーフォーゲル部に所属していた際に、「山岳競技」に出る選手が足りなくなり先輩に誘われたということがきっかけらしい。

山岳競技って聞いたこともなかったのですが、どうやら縦走とフリークライミングを組み合わせて競う競技らしい。
そんなのがあったのか!

たちまちクライミングに魅せられた尾川さん、始めてわずか3年でアジアのトップに。

とにかく、ひとつひとつをクリアしていくのがすごく楽しくて、努力の成果が目に見える達成感にとりつかれたのだそう。

クライミングというと、古い話で恐縮ですが、80年代一世を風靡したロックバンドに「ヴァンヘイレン」というのがありまして。
当時、そこのヴォーカリストだったデイヴィッド・リー・ロスがやたら股関節の柔らかい男で、映像などで見せるジャンプしてのものすごい開脚に、たまげたものでした。
(あの頃のアイツなら、回転ソバットやワンジャンプ3人連続蹴りが出来そうだ)

のちに彼の趣味がクライミングと知り(確か自分のソロシングルのMVでもエアーズロックかなんかを登るそんなシーンがあったような、なかったような)そうか、ああいうところを登るには股関節が柔らかくないとあかんのだと強烈に納得したことを覚えています。

実際、クライミングにはその柔軟性も必要だそうですが、何よりも必要なのは負けず嫌いな性格なんだとか。

誰もがいきなり上手に登れるわけでもないそうで、そこで物を言うのが反骨心。
「できない」ということを「くそ、今度こそ」とトライし続けることのできることが大事らしい。
ああ、自分には無理かも、聞きながらそう心の奥で思ったことは内緒(笑)。

ぱっと見、本当に普通の女性なので、そんな凄いクライマーには思われないでしょうね、と言うと、やおら腕をまくって力こぶを見せてくれました。
おお~すげぇ。

「電車のつり革とか握る時、ちょっと恥ずかしいです」との返事。
そして、両手を合わせてくれると、指が真っ直ぐにつかない。
「気がつけば、こうなってしまいました」。

そういえば何年かに一度、世界中の有名なビルに登っちゃ逮捕されるフランス人がいましたな。
やはり、そういう有名な建造物とかを見ると、つい登りたくなっちゃうものなんでしょうか。

「ええ、建造物だけじゃなく、神社仏閣の大きな庭石とか・・・気になるものは見ながらすぐに、どうアプローチしようかと考えてしまいます(笑)」

ちなみに一番登りたいと思ったのは、バルセロナにあるサクラダファミリアだそう。

世の中をそんな視点から見る人達がいるとは!

渋谷スポーツカフェ(尾川智子さん)

Van Halen -JUMP
David Lee Roth- Just Like Paradise

 

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映画 1911(2011年・中国)

ついさっき、東京六本木で行われたTIFF東京国際映画祭のオープニングを飾る「1911」を観てきました。

総監督
成龍(ジャッキー・チェン)

監督
張黎(チャン・リー)

出演
成龍(ジャッキー・チェン)
趙文迹пiウィンストン・チャオ)
李冰冰(リー・ビンビン)
孫純(スン・チュン)
陳冲(ジョアン・チェン)

とにかく成龍が男前。

最近のくたびれたオッチャンや埃まみれな姿は別に嫌じゃなかったけど、あらためてこういう役の成龍を見ると「はら~この人ええ男やわ~」と感心してしまいます。

扮するのは黄興という、孫文の右腕として革命軍の大元帥を務めた男。
いつもの笑顔はほとんど出ませんが、んま、演技うまいから問題なし!

しかし、全編普通語吹き替えなので、当然成龍の声も配音演員です。
始まってすぐ、台詞を聞いて驚くとともに思ったのだけど、私、彼の普通語配音を初めて観たんだと気がついた。

自分が成龍映画を観始めた頃はまだビデオデッキすらない時代だから(ふるっ!)当時映画館では広東語版を鑑賞。
しかもその声がアフレコで別人だったということも随分あとになってから知った事実。
そんな馴染みもあって、やはり本人の声か広東語配音の方が自分としてはしっくりくる。

それがいきなり普通語吹き替えで、しかも本人とは雰囲気すら1ミリも似てないためか、慣れるまでに少し時間がかかってしまったのでした。
演技の節々で「ああああ、これが本人の声ならなぁ」と何度も思ったのが、仕方ないとはいえ少し残念だったかなぁ。

それにしてもすごい人数の俳優さん出てました。

李冰冰は最初キャスティングを聞いた時に「成龍の妻役って大丈夫だろうか?父娘に見えないか?」などと心配したのですが、まったく問題ありませんでした。一安心。

とても彼女に似合う役、雨の中ドロドロなのにお美しい。

それにしても戦場シーンが多いうえに、登場する人物の数がとにかく多いこの作品。
個体認識がさっぱりできずにちょいと苦戦。
中国映画が少々好きみたいにここに書いていましたが、と~んでもない!中華芸能人なんかほとんどわからない、好みが片寄りすぎでまったくもって勉強不足だということが心底わかりましたでございます。とほほ。
主役級の役以外で識別できたのは姜武と房祖名と余少群と杜宇航くらいなもので。

↓出演者みなさんをまとめた写真はこちらで

そういえば、陳冲(ジョアン・チャン)が相変わらずよかったなぁ。
彼女を最後に観たのは姜文監督の「陽もまた昇る」か。その作品でも彼女はいつもの通り、ユニークなキャラクター。
今作もやはり一癖も二癖もありそうな演技で存在感が光りました。
彼女の中華名を今、初めて書いたのですが、中国語で冲という字には「激しいきつい強烈」という意味があるのですね。なんだかとっても納得した次第です。
「1911」11月5日から日本全国一斉公開

「1911」日本公式サイト
sina新浪娯楽「辛亥革命」サイト
辛亥革命香港予告
辛亥革命最新6分予告
辛亥革命国際予告
辛亥革命日本予告
辛亥革命成龍功夫編

最後に、上映前には舞台あいさつもあって成龍はもちろん、ショコタンや江角マキコさんも登壇。(前日の来日会見の模様はこちら
今ちょうどサンダーアーム3の撮影中でこの2日間で1時間しか寝ていないと言う成龍。
「震災後、初めての日本での映画祭だからどうしても来たかった」とコメントをくれました。
ありがとう、「愛心無國界311燭光譎囗vのライブ、観ました。あらためて心からあなたに感謝します。

それにしてもショコタン、かわいいな~もう。
「こうしてジャッキーさまと同じ舞台に立てるなんて、きっと中川家の先祖代々の霊が今頃後ろで喜んで酔拳の型をやってると思います」
なんてナイスなコメント(笑)笑っちゃいました。

ところで「孫文の義士団」のあのトレビアンなオープンセット、あれ以来、色んな映画に使い倒されてますな~。
谷垣さんに聞いたら「レジェンド・オブ・フィスト」も同じだし、恐らく「李小龍 Bruce Lee My brother」も「1911」のあのシーンもそう。

一瞬も観てないけど、くさいのは「大武生」もそうなんじゃないか(笑)。
最近中国でこの辺りの年代を舞台にした映画が増えてるのは絶対にこのオープンセットの存在がデカイと思う。
まぁ、あれだけ素晴らしいセット作ったんだから、使わなくちゃね!

最後に、あまりにこの写真がよかったのでちょっと貼らせてくださいまし。
ははは、余少群です。前にも書きましたが、本当に現代に生きる人とは思えない。

 

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武侠(邦題:捜査官X)香港BDにて-ドニー・イェン 甄子丹

2011年のカンヌ映画祭に中国作品として唯一招待されたピーター・チャン監督、甄子丹(ドニー・イェン)主演の「武侠」。
もうずいぶん前に香港版が届いたのですが、とにかく書きだすと長くなっちゃうので、やっとその時間が出来ました。

なにしろめちゃ仲のいい友人すら「あんたの書く甄子丹レビューは長文過ぎて読む気がしねぇ」と言い放つくらいですからねぇ(笑)。

いや、もうね、分っちゃいるんですが、なんかもう、止まらんのですわ、自分でも。
色々と考えすぎたり、深読みしたりしておりますが、最初に断言しておきます。
これは傑作です。

そしていつものようにお断りします。以下、超ネタバレですから!

まずこの映画、クレジットタイトルが終わってから最初の4分が、とにかく素晴らしい。

ひょっとするとこの4分がこの作品で一番の見どころじゃないか、ってくらいに。

オープニングはらせん状の線香のクローズアップから。
紐が線香で焼き切れると金属の球が受け皿に落ちて「カン」と鳴る。
これは当時の目覚まし時計なんだそうで。
その音に目覚めてゆっくりと身体を起こすドニーさん。
辮髪の前頭部が伸びた髪。
ベッドから起き上がろうとすると自分の上着の裾を妻のタン・ウェイが握ってる。その手をそっと離し、かわりに蒲団を握らせる夫。

この夫婦にはかわいい二人の息子がいる。

どうやら乳歯が抜ける時期らしくお兄ちゃんが紐に結んだ弟の歯をドアで抜こうとしています。
なのに口から紐を離す弟。朝からそれで兄弟はひと悶着。
何故か一階の屋根では牛の親子がそんな騒ぎをよそにくつろいでいる。なんという平和で穏やかな家族の風景。

仕事道具を手入れする父親の足元に弟が寄ってくる。「父さん」
父親は「どうした?口を開けてごらん」と子供と同じ目線にしゃがみこんで「これかな?いや、こっちか」なんていいながら手早く乳歯を抜いてしまう。
ほら、抜けた、ははは、と楽しそうなドニーさん。
しかもこれ、クローズアップなしの引きのワンカット。
その全身から溢れる父親の愛情のきめ細かさ。
ああ、こんな旦那が欲しい、スクリーンを目の前にたくさんの女性が一瞬思ったのでは(笑)。

それにしても、こんなに父親役とアクションが同時に成立するアクション俳優がいたかしらと、ふと思う。いや、いない。
そう考えると、この人が映画界でどれほどユニークな存在になったのかとあらためて感じてしまいます。

職場での出来事を話しながらの朝ごはんを家族で食べ終えると、父親は仕事に出かける。
笠をかぶって、もちろん徒歩で。彼が歩く雲南のその村の景色の、溜息が出るくらいに澄んでいて美しいこと。
もう、全編このノリで家族の話でもいいっすよ!アクションなくても許しますから!とドニーファンにあるまじきことが脳裏をよぎるくらい、なんともいえない暖かい気持ちに包まれる。

ものがたりは、そんな良き父親であり良き夫であるドニーさんが、ある強盗事件に巻き込まれたことをきっかけに、その捜査にやって来た金城武くん扮する徐百九が、武術、医学の知識や鋭い洞察力で事件を解明しようとします。

そして、自らも過去に傷を持つこの捜査員の男が正義を貫こうとすることで、次第に明らかになってゆく善良な男の過去。

この村の風俗とかなり面白い金城くんのキャラクターが混じり合った前半部から相当に気に入りました。
劉金喜演じる途中までのドニーさんは、驚くらい人のよさげな表情で、見ようによっては、なんという見事なアホ顔(笑)。
やがて徐百九の質問に対し、子供の頃に可愛がっていた馬をめぐるショッキングな話をしてからの、あのミステリアスな表情とのギャップの大きさ。

特に、寝ているところを観察する徐百九の偏執ぶりもさることながら(ここ相当笑える)、気配を察して目が覚めても、慌てず騒がず怒りもせずに平然と水を飲みに行く彼はかなり不気味です。

物語の分岐点では、リミッターの外れたドニーさんがいよいよ唐龍に戻った瞬間に「キタ―!」と誰しもが心の中で叫んだことでしょう。

この時の音楽もまたいい!担当はお馴染み陳光榮(チャン・クォンイン)と金培達(ピーター・カム)という「孫文の義士団」コンビ。(追記:これにタイ人作曲家、チャッチャイ・ポンプラパーパンを加えたトリオでした、失礼)

その急上昇するテンションが、そのままあの惠英紅姐さんとのアクションシーンに繋がるのですから、なおのこと血が湧きあがり、そして物語はとうとう父親であるジミーさん(王羽)との最後の決戦に!

もうね、映画「武侠」はこのジミーさんなくしてはあり得ない、そう思わせるほどの存在感と禍々しさ。
かつて一世を風靡した天皇巨星とドニーさんとの闘いは「なんという瞬間を目撃しているのだ!」と身体中が沸騰しそうな興奮を覚えました。自分には、このシーンだけでお金を払う価値が充分あります。

だからでしょうか?
ジミーさんのあの最期には、えええええええええ、と思わず声が出てしまいました。

あまりに度肝を抜かれたので、間髪いれずにもう一度観るしかありません。

2度目の武侠、1度目より一層面白かった!

再度観て、落ち着いて字幕をつたないながら読んだところ、「武侠」という作品のテーマが「罪を犯した人間は生まれ変わることが出来るのか、そして人はそれを赦すことができるのか」という永遠の命題とともに、家族における「父性という伝統と呪縛」、このふたつの柱があるのだと、言葉が分らぬうえに、読解力の弱い私はやっと分った次第。とほほ。

「お前の命は私のもの、お前の息子の命も私のもの」
そう叫ぶジミーさんは過去人間の歴史がずっと背負って来た家族という伝統を凝縮した姿です。

逃げることが出来なくなった主人公は自分の片腕という犠牲を捧げることで、すべてを清算しようとしました。が、祖父は続いてその血の伝統を「孫」という存在に継承させようと、またそれで支配、清算しようと、宿命のように考えている。

その支配と伝統を断ちきるために父親である唐龍は必死に闘いますが、直接は勝利することは出来ませんでした。
自分は初見でそこの部分にビックリ仰天したのですが、立ち止まって少し考えれば、それで良かった気もします。

なぜなら祖父が継承させようとしていたその家の伝統とは「暴力そのもの」だったのですから。

もし、父親が家族を守るためだとしても、結果同じ暴力で解決してしまっては、その連鎖を断ち切ったことにはなりません。

だからこそ別の人間の力を借りての「落雷」だったのではないでしょうか。
ラストシーンで分る通り、少なくとも、これで彼は盗賊団七十二地辣桙ゥらの復讐の連鎖を受けることを免れました。

自然現象に助けられた結末は、ただの偶然でしたが、その落雷を呼び寄せたのは男たちの「信頼」です。
この信頼こそが、劉金喜と徐百九ふたりがその関わりの中で生み育てたものにほかありません。好意的に解釈するとすればその信頼こそが「武侠の精神」なのかもしれないのです。

そして再び他人を信じることができたことで、徐百九もまた最期に自らを解放することができたのだと、瀕死の己の姿に涙を流す彼を見ていてそう感じさせてくれました。

ピーター・チャンはこの作品を作った動機を「たまたま見たディスカバリーチャンネルで銃の弾丸がどのようにして人体に影響を与え死に至らしめるのか、CGをまじえ解説している映像を見て、これを功夫の技に応用してみたいと思った」と語りました
「まずは、そこありきだった」と、そして「こんなアプローチの仕方は自分が映画を作って初めての経験だった」とも。
つまり、監督は自分の考える「武侠」へのアプローチを描きたかったにすぎません。

「武侠」というと人は、江湖で繰り広げられる命より義を重んじる侠客の生きざまをイメージします。
「武侠映画」というと古装の空想世界で登場人物が重力を無視して空を舞い、信じられないような超人技を繰り出して闘うファンタジージャンル映画のことを意味します。

しかしピーター・チャンは「自分の武侠映画には、動作監督の甄子丹が不可欠であった」とインタビューで答えています。

ドニー・イェンといえば、リアリティのあるアクションを目指す志向の明確なアクションコレオグラファーであるわけで、わざわざ「武侠」というタイトルにしたのにも関わらず、彼が必要だったと言うことは、それだけで監督がいかに既存の武侠映画と違うものを目指したかったかがわかります。

しかし固執してしまったこの「武侠」というタイトルのせいで、結果的には香港映画のひとつの弱みを露呈してしまったことも感じずにはいられません。

これは同時に香港式の大変な強みでもあるのですが、ラストも漠然としているうちに撮影に入ることも珍しくないそうです。

キャスティングが直前になったり、脚本も撮影中にどんどん変化するため、現場で素晴らしい柔軟性を発揮する代わりに、時間切れで撮りたかったシーンを諦めるという事態も少なくないということで、そのためにストーリーやテーマが矛盾をはらんだものや説明不足になりやすいという弱点を抱えています。

事実この映画では、その強みを発揮した素晴らしいケミストリーが起こります。
この作品の大きなキモの一つ、「ドニーさんが自らの腕を切って片腕になる」というアイディアはジミーさん参加が決定し、そのシーン撮影の直前に急遽決まったものでした。

ジミーさんの出世作といえば、なんといっても「獨臂刀(片腕必殺剣)」。
彼の出現によってそのアイディアを実現する見事なまでの即興性は、さすが香港映画で鍛えた監督と感嘆するほかないし、またその片腕アクションを準備期間なしでやってのけるドニー・イェンという役者のスキルの高さにはただただ驚くばかりです。

この腕を切り落とすシーンは観ていて本当に胸に応えました。
(ちなみに、この腕を切るシーンはジミーさんの「片腕必殺剣」というよりも自分にはデビッド・チャン主演の「新・片腕必殺剣」を彷彿とさせました。両方ともにご存知チャン・チェ監督)

しかし一方で、ピーター・チャン監督がこの作品で大いなるリスペクトを捧げたというチャン・チェ監督に代表される武侠映画は、それがたとえ義によった行動だとしても、ほとんどのことは「復讐」に次ぐ「復讐」で、内容はその連鎖が生みだす暴力の物語にほかありません。

せっかく暴力の連鎖を止めることを(結果的であれ)軸に据えることで着地したのに、プロモーションで繰り返された武侠映画への熱いリスペクト談話により、ある意味矛盾を生じさせてしまった格好です。

もし、そのチャン・チェ、武侠、というキーワードがなかったとしたら?
つまり、既存の武侠映画と違うものを描いたというピーター・チャンのこの作品の本質は「武侠」であって「武侠でない」、いわゆる従来の「武侠」へのアンチテーゼだったともいえるでしょう。

2度観て、私はこの作品のタイトルをエンドクレジットで流れる竇唯の曲のタイトル「迷走江湖」と脳内で変換することにしました。(この映画のエンド曲にこのタイトルをつけた遯ヲ唯に私は大いなる共感を覚えます!)
それで正直大部分は解決ですし、不思議なことに観れば観るほど、どんどん好きになってゆく魅力あふれる傑作です。

もし、1度観たもののラストに御不満をお持ちで、再度見てもいいという奇特な方がいらっしゃるなら、この作品を2度見ることを強力にお勧めします。

そう考えれば、この映画はタイトルと宣伝の仕方を変えれば最初からまったく別の反応になったかもしれません。

このフイルムをカンヌでお披露目する直前、フランスを除く欧米の配給権を買ったワインスタイン社がいち早く欧米向けのタイトルを「Wu-Xia(武侠)」から「DRAGON」に変更しました。
カンヌ直前、そのニュースを聞いた時は、「アメリカ人め~(笑)」と思ったりしたのですが、映画を観た今ならその理由が理解できます。
さすがアカデミー賞請負人、よくわかってらっしゃる、ともいえるわけです。

さて、続いては、ドニーさんについて。
アクションコレオグラファーとしてのドニーさんはまさに今円熟期を迎えつつありますね。
彼はこの作品の主人公の使う武術について洪家拳のいくつかある型のうちのひとつ、豹拳をベースにしたと、ある脚本家の微博(中国のツイッター)でフォローした際に語りました

ポストプロダクションを優先させる派手な絵を求めるからそうなるのか、もともと武術家でない役者が演じるケースが多いからそうなるのかはわかりませんが、最近は説得力をもって既存の拳法をコレオグラフする動作監督は少ないし、そもそもそれを演じられる役者もすっかり少なくなりました。

しかも、ドニーさんの場合、その拳法のデモンストレーションに終わらず、葉問でそうだったように、最終的にはすべて甄功夫になるのがよいところ。
しかもご本人ギリギリのラインで功夫らしさ、武侠っぽさ(ファンタジー要素)も出していると感じました。(久々1カット10手くらいのシークエンスがあり、すんごく見ごたえがあって嬉しかった!)

ちなみに自分の一番好きな場面は、雑貨店 での徐百九の妄想シーン。
強盗閻東生と対峙したまま、劉金喜が足元の円匙をゆっくり引き寄せると目をそらさずに窓枠に蹴りあげ、窓を閉じるカット。

その行動だけで、彼がどれほどの高手であるかが一目でわかるし 、それまで散々「ひやぁ~」と受け身一方だった劉金喜が、まさに唐龍に変わった節目でもあります。また、こんときの音楽がいい!(音楽担当の金培達によると、ここは西部劇をイメージしたらしいですぜ)。

逆光の中、フルショットのシルエットでそれを見せるあたりに「どうすれば俺様がカッコよく見えるか」をよく熟知した(笑)ドニーさんのセンスをひしひし感じ、これから始まるだろうアクションシーンへの期待を否が応にも盛り上げてくれました。

その後のアクションの素晴らしさはもちろんのこと、カメラのことはよく分りませんが、とにかく高価な高性能のものを使っていることは、こんな自分にもよく分りましたよ!

そして、いつも言うことですが、この映画の中でも彼のアクションには見事なまでに感情が込められている。
特に盗賊団、七十二地煞登場後、闘うたびに、劉金喜の苦悩と唐龍としての本能が交錯することに観ていてキリキリ胸が痛みました。
(七十二地煞、ななじゅうにちさつ。そう、あの水滸伝で洪信が開けてしまった伏魔殿の扉の中に隠された石碑から飛び出した、あの七十二地煞からとった名前でしょうね)

ピーター監督は「甄子丹はこの演技で映画賞の主演男優賞狙うよ!」とリップサービスしてくれましたが、もし投票権を持つ関係各位がこのアクションにおけるドニーさんの感情豊かな動きや表情までを演技と認識してくれるなら、その話も遠い夢ではないこともないかもしれない(どっちや?)。ま、ここはダメ元ということで(笑)。

続いてこの映画のもう一人の主人公、金城武くん、彼の演技もとても良かった!

飄々としていて話題の四川語はこんな自分にも訛ってることはよく分りました(笑)。
とにかく、いつもの二枚目と違う変人の役は新境地。
過去に見た彼のキャラクターの中で、間違いない、一番魅力的でした。
思い込みでドニーさんにトラップ仕掛けるところなんかおかしすぎる。それこそ彼が主演男優賞を獲っても不思議はない見事な演技です。

それと忘れちゃならないのが、タン・ウェイさん。

リアクションの多い役でしたが、彼女には演技の底力があるなぁ、と。

妻もまた過去に悲しい傷を抱える女性であります。穏やかな生活の中で妻が見せる繊細さはこの過去と無関係ではありません。
この夫婦の一見羨ましく見える関係性に彼女の演技がどれほどの重要さを占めているか、言葉では言い尽くせません。いっぺんでファンになりました。
「ラスト・コーション」の役柄だけで理不尽な不運が続いていて気の毒なタン・ウェイさんですが、将来の活躍を心から願います。

あと、武侠映画へのリスペクトを結果的に加速させたと思わせる、ショウブラ映画時代からのふたりの武打星にも触れましょう。

天皇巨星ジミーさんは怖いと言うかなんというか、もうねすごい迫力で恐ろしさ満点。

なんつっても鉄布衫(鉄の身体)ですから(笑)!
まさに雷でもなきゃ殺せんよ、というくらい圧倒的な強さのなかに、彼もまた唐龍という息子への屈折した愛情をところどころに滲ませていて非常にインパクトのある名怪演技だと感激しました。

そして、かつてショウブラ映画で女武打星としてキャリアをスタートさせた惠英紅姐さん。彼女との場面は、アクションが際立っていて、実はこの映画の大きなハイライト。

ワイヤーを使わなかった(と、いうより状況的に使えなかったのだそうな)という屋根の上の驚異のマジパルクールをはじめ水牛小屋のアクションは、ものすごく大変な撮影だったと、報道されていましたね。
ふたつの剣を鮮やかに操って、さすが劉家良仕込みの功夫スキルはまだ錆ついていませんでした。嬉しゅうございます。
彼女をこの役にオファーしたのはドニーさんだそうですが、本当にいいところに目をつけたものと感心してしまいます。すんばらしい!

ついでにもう一人、七十二地煞長男役で「弟が~唐龍が死んだ~」と歌った男優さん。
彼が、隠し撮りにきた中華マスコミから渡辺謙さんに間違われて「渡辺謙武侠出演」の誤報を生んだ俳優かと思われます(確かに似てる!)。
名前を尹鑄勝という、舞台を中心に活躍する名優だそうで。←あの歌は現場での即興だったと記事は伝えています。
さすがの存在感で、しっかり印象に残りました。

そうだ忘れちゃいけないのは、今回メイキングにも何度も登場したドニーアクションチームの方々。
ロケハン中、あわや危機一髪という怪我をした谷垣健治さんをはじめ、耳を切られた喻亢さんや厳華さんなど、お馴染みの面々がちゃんと重要な役として登場しておりました。

とにかく色々考えさせられましたが、この作品は自分にとって観れば観るほど好きになる一本です。気がつけばお気に入りドニー作品のかなり上位にランクインしてしまいました。

字幕も必死で読まずに済むほど観れば、演技の細部もよくわかります。ドニーさん、本人比でかなりイケてます。

結論とすれば、これはピーター・チャンの「武侠」という言葉に惑わされるかどうか、それだけが別れ目のような、そんな不思議な作品です。
そして読んでいてお分りの通り、その罠にまんまとハマったのが、この私でございます。とほほ。
アクション映画なんだから、小難しい事を考えて小賢しい事なんざ言わんでよろしい!と一喝されれば、まったくもってその通り。いや、そうしたかったんすよ、ほんとうは(←言い訳)。
くそ~、まんまとピーターにしてやられたわ!(笑)

それにしても、このところのドニーさんの驚異的なハードルの上げっぷりにはファンの自分もびっくりでやんす。
彼がすでに撮影を終えているのは「モンキーキング」という、孫悟空を主役にしたそれこそファンタジー映画だから、そちらは考え込むことはないだろうけど(・・・いや3Dという別の不安があるけどさ)。

さて、この「武侠」の普通語配音員は、私一押しの陳浩老師
今回はエンドクレジットにちゃんと名前がでてました、よかったよかった。

彼にとっては多分7本目のドニー配音かと思いますが、今後はずっと彼に統一して頂きたいと願うくらいに素晴らしかった。

特にオープニングの家族のシーン。あなた違和感なさすぎる(笑)。
ひょっとしてドニーさん、彼に吹き替えてもらって結構得してる?と思うくらいのデキ。
どうやら金城くんだけでなく、普通語ドニー配音も実は少し四川訛があるとかいう噂。(そこまでは自分には到底わからなかった)
唐龍の出身が、四川省だからということらしいのですが、そういえば老師も四川出身でしたね。

広東語版のドニーさん本人の声も非常によろしかった!
最初の朝のシーンは残念ながら陳浩老師に軍配はあがりますが、あとはドニーさんの声で見た方がやはり良かった気がします。
特に、正体を明かしたのちの台詞など、本人の方があっさりしていて、むしろ説得力が増したような(激しくえこ贔屓)。

が、この武侠が日本で公開されることになっても、多分金城くんの四川語を活かした普通語バージョンの方での公開でしょうねぇ。

そして、もし日本で無事にソフト化されたとしても、この普通語と日本語吹き替えしか収録されない、と今から残念な予想。

最近思うのですが、中国語で2パターンあるんですから日本でソフトにするなら、せめて主役が喋ってる広東語版も入れようよ~。字幕一緒でいいんだし、お願いします。

あ、あとジミーさんも別人の吹き替えだったわ、カンヌの後、脳卒中で倒れてしまったから御自分で出来なかったのでしょうか。
(ちなみにジミーさん、「ドニーがあまりにも強すぎて自分は脳卒中になってしまった。この自分が彼の技を受けて半年後になったのだから、普通の人なら即、脳卒中になるね」とジョークを飛ばしてました)
懸命にリハビリにも励まれたようで、台湾香港のプロモには元気な姿を拝見できて安堵いたしました。
こちらのほうはメイキングで観た御本人の声の方が(あれよりも!)ずっとずっと怖かった・・・。

配音演員

さて、関連動画飛ばしていくよー!!

武侠 Wu Xia FACEBOOK(HK)
武侠 韓国公式サイト
武侠トレーラー1
武侠トレーラー2
武侠8分トレーラー
武侠エンドクレジットソング窦唯「迷走江湖」
武侠トレーラー(広東語バージョン)
メイキング~湯唯編
メイキング~湯唯編2
メイキング~金城武編
メイキング~甄子丹編
メイキング~甄子丹編2
メイキング~惠英紅編
メイキング~王羽VS甄子丹編
ピーター・チャン監督映画「武侠」を語る
武侠音楽特集「甄功夫亮相再升級金培達創作音楽助“新派武侠”」

それにしても、武侠のサントラ、激しく欲しいぜ!!!!


 

 

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ラ・トルチュ

友人たちと広尾のレストラン「ラ・トルチュ」に行きました。
ここはあのパリ「ステラマリス」でミシュランの星を獲得した吉野建さんが今年4月にオープンさせたビストロ。

たくさん美味しいものがありましたが、一番気に入ったのはサーモン。
パリでも出していたこのメニュー、やはりさすがです。
燻製にしてほんの少し炙ったというこの一皿は、ほのかに香ばしく、でも食感は生に近いその塩梅が絶品。ワインにとてもよく合います。

本当はここで写真のひとつでも載せるべきでしょうが、美味しい食事をしていると、そういうことなんか、もうすっかり忘れてしまうわけで。(あと、なんとなく食事中に写真撮るのもちょっとヤボだしなぁとも思うのもあるかなぁ)

途中、シェフの吉野さんもお店にいらして閉店後も、パリ店の加藤シェフとともに長い時間お話する機会に恵まれました。
フランスと日本を行ったり来たりの吉野さんですが、今は日本の方が少し多いとか。
今後、どういうところにお店を出したいとか、そんな話で盛り上がりました。

結構な酔っぱらいの女3人(男性も一人いたけど)を相手に、酔っぱらいゆえの放言にお付き合いくださり、遅くまで本当にありがとうございました、吉野さん(笑)。
そしてそんな女たちに呆れるどころか、美味しいシャンパンを御馳走くださって重ね重ね感謝申し上げます。

STELLA MARIS PARIS

Tateru Yoshino

 

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ステルス戦闘機

昨日、ミヤネ屋で久しぶりに森本繁さんとご一緒。

「お元気でしたか?」と声をかけたら、「この間までテキサスにいて」とのこと。
森本さん、最新鋭のステルス戦闘機F-35の視察に行って来たのだそうです。
「シュミレーターを操作させてもらいましたよ」

日本の航空自衛隊が採用しているひとつがF-15(別名イーグル)であることくらいはぼんやりと知っている。

その後にステルス機のF-22というのも存在するらしく、森本さんによると日本の航空自衛隊はこれを導入したかったのだそうですが、アメリカ合衆国議会が輸出を2015年まで禁止する条項を明らかにしたために実現しなかったということでした。

そんな話をしながら、ふと基本的な疑問が湧きあがりました。
そういえば、ステルス戦闘機ってなんでレーダーに映らないんだ?

「レーダーってのはね、金属への電波の反射を感知するわけです。簡単に言うと、その電波を反射せずに吸収する塗料を使っているんですよ」

帰宅してちょっと調べてみたところ、このステルス機の構想はレーダーが実用化された第二次世界大戦の頃に遡るようで、当時資材難であった英空軍が開発した木材に合板を張り合わせた爆撃機が、たまたまレーダーから感知されにくかったという二次的効果を生んだのがステルス機の発想につながった一端のようであります。

やがて、別素材からレーダー波を吸収する塗料を塗布するという方向に。

しかし、このステルス機にも一長一短があるようで、爆弾やミサイルなどを外部に設置すると反応してしまうために弾薬倉内部に搭載する必要があり、兵装備の量が少なくなってしまうらしい。

森本さんいわく、同じ理由で燃料タンクも小さくならざるを得ないので、長距離移動にはむいていないのだとか。
「外部に燃料タンクをつけて、長距離移動をしようとすると途中切り離すとか、そういうことになるのかもしれませんね」

それにしても、戦闘機に乗るってどんな感じなんだろう。

聞けば、パイロットになる前には鼻中隔彎曲症の検査を必ずすると言います。
左右の鼻の穴を隔てている壁は普通、多少どちらかに曲がっているものですが、鼻中隔彎曲症とはその曲がりが強い状態のこと。
曲がりが強いと鼻づまりの原因になるそうで、そういう体質の人はまず耳抜きができないので、気圧の変化に対応できずに一瞬にして頭に激痛が走るそうです。
同じ理由で耳や口の空気の通り具合も重要。

なのでこの検査に合格しなければ、まずはパイロットにはなれない。

そういえば、スキューバダイビングをしているときに、いちいち鼻をつまんで耳抜きをしなければいけなかったなぁと思い出しました。
それも結構何度も必死にトライして、耳の中でキューンという音をさせて、やっとこさ少しづつ抜くことが出来たという。

ん~、こりゃ戦闘機には乗れないかも。(乗る気なのかよ!)

 

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TPP

戦略的経済連携協定に交渉参加することをなぜ反対するのか、訳がわかりません。
日本の農業の問題は関税「だけ」でないことは、国民みんな分ってる。
票に直接結び付く問題だからという理由が透けて見えるだけに、国益よりも再選しか考えてない政治家の思惑には本当にうんざりします。

関税がなくなることで国内自給率が10数%に落ち込むなんて、今更言われてもねぇ。
農家人口の減少と高齢化、後継者不足、そして農地法の不備は以前から指摘されている問題で、いまのままのシステムでは自給率が落ちることは充分予想がついていたわけです。
これはTPPに交渉参加しないことで解消する問題じゃ決してありません。

関税があろうがなかろうが、日本の現在の農業はシステムの転換を余儀なくされているわけで、むしろこれを、ひとつのきっかけにするくらいの気持ちで肝を据えなければ、自給率なんか消滅の一途をたどるだけ。

おまけに農業問題だけでは説得力ないとみたのか、最近はTPP交渉参加しただけで海外から労働者が大挙して押しかけることになる、なんていうわけのわからないことまで懸念事項として言われたりして、まったくへ理屈にもなりゃしない。
国内法があるんだから、即そんな事にならないことは言ってる人にも「本当は」分ってるはず。

デメリットを主張する意見を見ると、アメリカが政治的圧力をかけてくる、とか農作物輸出を締め付ける国が出てくるかも、などという意見が目立ちますが、そもそも、自分がいないところで勝手にルールを決められた方が恐ろしい事態になりかねないよね。

交渉参加は即実施になるわけではありません。
とにかく先にルールを作る立場に参加しなければ、自国に有利な流れには決してならないと思うのは当然のことかと思うのですが。
何もかも出来上がった後に参加しても、すでに決まったものに変更を求めることは容易じゃないし、日本にそんなことができるのかと、という。
だったら、最初から参加したほうが、まだ少しでもメリットに転換させる余地があるはず。

一方、アメリカの上下両院は日本時間13日朝、韓国との自由貿易協定(FTA)を実施するための法案を可決しました。このままでは輸出戦略でどんどん韓国に引き離される一方で、産業界の焦りはもっともです。

いずれは中国も参加するだろう、このTPP。
少なくとも、あの国より先にルール作りに加わったほうが絶対にいいに決まってる。

 

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suppoko

昔からエアポケットにすっぽり入ったみたいに苦手な言葉があったりします。
つまり、一瞬考えないと混乱してしまう単語。

私の場合、なぜか子供の時から「エスカレーター」と「エレベーター」がそうで、いまだに一瞬考えないとわからなくなってしまうことがある。

昨日、職場でそんな話をしていたら「下にガールをつければ一発解決じゃん!」と言われました。

その手があったか!!!!

その発想はなかったわー、いや、ほんと、マジで感心しました。

すると誰かが「大阪の阪急デパートには、確かいまだにエスカレーターガールがいるよ」と言いだした。
エスカレーターの横に立ち「いらっしゃいませ」とお辞儀するのだそうな。
「えええ、そんなのがまだあるのか」と一同驚愕。

大阪だけに「それはエレベーターやろ!」と突っ込んで欲しいのに、誰も突っ込まないから何十年もずっとそこに立ち続けてるのかもしれません、エスカレーターガール。

さて、その苦手な言葉感覚に似ているというか、違う意味でエアポケットに入ったというか、昨日、久しぶりに「脳の回路が繋がらない」言葉に出会いました。

実は仕事で、宮城県の美里町の名物料理「すっぽこ汁」を取材したのです。
干しシイタケと油揚げで出汁をとったスープに根菜を中心とした野菜と麺を入れ、とろみをつけた郷土料理。
やさしくヘルシーなその味わいが身も心も温める、とても美味しい一品であります。

しっかし不思議な名前だ、すっぽこ汁。
そしてヤバい事に、なぜだかこの「すっぽこ」という名がすんなり覚えられない。
これは誰のせいでもない、完全に自分のせいなのだけど、気を許すとすぐに「しっぽこ」なんて別の音が浮かんでしまう。
・・・なんだかとっても嫌な予感。

「すっぽこって覚えにくいよねぇ」
スタッフにもらしたら最後「そっとこ」だの「しっぺこ」だの「すっぺこ」だの「ぺったこ(もはや原型なし)」だのと、誰かれなく次々と私の耳元で囁いてゆく。

やーめーてぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!

その悪魔の罠に見事はまりました。
シュート直前には真面目に言ったつもりが「しっとこ汁」になってしまったじゃないの!

これはマジで本番中に間違って言い放つかも知れん。
焦った私はおまじないに自分の指にボールペンでこっそりと「す」とひらながを書きました。こんなことしたの初めてです(笑)。

でも、そう書いてさえおけば、ヤバくなったらその字を見ればなんとかなる。そう思ったわけですね。

で、照明のセッティングも済んで間もなく本番、そんなタイミングで、誰かが私に尋ねた。
「で、なに汁でしたっけ?」
自信満々に私は答えましたよ。

「すっとこ汁ですっ」

・・・スットコかよ!
「す」書いた意味ないじゃん。

昨日は久しぶりに、なかなかスリリングなインタビューになりました。

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マイケル・ナイマン

基本、自分は面白くなかった映画の感想は書きません。
てか、すごく面白かった映画も書ききれないほどなのに、面白くなかったものを書く暇はない。
でも、これはつまらなかったと書いていい気がする映画をひさびさに観ました。

「女と銃と荒野の麺屋」
巨匠チャン・イーモウが監督です。
寝て起きたらまだ死体を運んでるってどういうことや。
30分で済む話を延々見せられたような、この脱力感。
舞台設定やキャストはよかったのになぁ。
特に、孫紅雷(スン・ホンレイ)は勿体ない使い方でした。
それもこれも全部チャン・イーモウが悪い。

そんなことを飲みながら友人に話していたら、そもそも「女と銃と荒野の麺屋」というタイトルからして地雷くさいじゃん、と言いだすじゃありませんか。
「コックと泥棒、その妻と愛人」じゃあるまいし、だそうです。
いやいや「竜馬の妻とその夫と愛人」ってのもあってだね、それは別に悪くなかったよ~。

そういえば、「コックと泥棒、その妻と愛人」の音楽はマイケル・ナイマン。
実は「ピアノレッスン」が公開されたあと、このマイケル・ナイマンにインタビューしたことがあります。

どんな話をしたか内容は忘れてしまいましたが、彼のサントラを何枚も持っていた私は、その映画公開前後にトヨタの自動車のCMでナイマンが提供したオリジナル曲「ANOHITO NO WALTZ」を気に入り、わざわざトヨタに電話をして(その頃はネットがなかった時代)タイトルとCDが発売されているかどうかを聞いて購入したことがあります。

で、そのインタビューの際に「私はあなたがトヨタのために書き下ろしたANOHITO NO WALTZのCDも持っています」と話したわけです。
するとナイマンさん「いや、それはピアノレッスンだから」というご返事。

そういえば、その後ピアノレッスンのヒットを受けてトヨタはピアノレッスンのサントラ曲もCMに採用したりもしてました。ああ、ややこしい。

「ええと、あなた確かトヨタにオリジナルスコア書きましたよね」と言っても「だから、それはピアノレッスンだってば」と話は噛み合わず。

結果、こんなにナイマンさんのファンなのに、ご本人には「インタビューしてるくせに、あの最大のヒット映画であるピアノレッスンのサントラすら知らない無礼な奴」と思われたらしく、それからすっかりへそを曲げられてしまったのでした。なんという逆効果。とほほ。

多分、ナイマンさんご自身もあのオリジナル曲のことを忘れていたか、ひょっとすると、どっかの映画で没にした曲をマネージャー主導でトヨタに出しただけだったのかも。(当時のトヨタの広報のお姉さんは「書き下ろしナンバーです」と誇らしげに教えてくれたけど)

なぜか「女と銃と荒野の麺屋」を観たら、そんな苦い記憶がよみがえってきたのでした。
そしてYouTube捜したらあったわ。「ANOHITO NO WALTZ」
ナイマンさんのあの冷たい視線を思い出すと辛くなるので(笑)長い間聴いてなかったけど久しぶりに聴いたらこんな曲だったのね!
明るい色調だけど、しっかりナイマン節です。

マイケル・ナイマン「ANOHITO NO WALTZ」

 

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映画 「ラップランド・オデッセイ」(2010年・フィンランド)

今日、マネージャーからロケの日取りが決まったとメールが。
するとチケットを取ったシルヴィ・ギエムのバレエ公演に行けないことが判明。
これにはかなり凹みました。

気を取り直して友人と有楽町にフィンランド映画祭2011に行く。

映画「ラップランド・オデッセイ」(2010年・フィンランド)

監督
ドメ・カルコスキ

出演
ユッシ・ヴァタネン
ヤスペル・パーッコネン
ティモ・ラヴィカイネン
パメラ・トラ

「ダメ男映画」というのは洋の東西を問わず、ジャンルとしてしっかり確立されてると思う。
世の中には、そういうダメ男映画が好きって人は結構いて、「フルモンティ」だ「トレインスポッティング」だ、いや「ビッグ・リボウスキ」だ、なんの、松尾スズキいるところダメ男ありじゃねーかと、実に話が弾んだりします。

そういえば森繁さんの「夫婦善哉」も考えれば結構なダメ男。
そして私がなぜか市川雷蔵で一番好きな映画「ぼんち」もまごうこと無きダメ男です。

そこでフィンランドで昨年、一番愛されたという「ダメ男」映画を観ました。
失業中のヤンネは長年同棲している恋人からデジタルチューナーを買って来いと50ユーロを手渡される。
しかし、そこはダメ男、いつの間にやらその金を友達とのビール代に使ってしまい、恋人の逆鱗に触れ、「翌朝までにチューナーを買ってこないと追い出してやる!」と放りだされるわけですな。
そこで仕方なく、ダメ友達2人を連れて遠く200キロ離れた町まで買いに行くことに。
金はなし、意気地もなし、生きる気力もなし、そんな男たちは果たしてチューナーを翌朝までに買って帰ることができるのか?

それにしても寒いよ、フィンランド。
午後3時でマイナス15度って。暗いし。の、わりに結構薄着だし。

監督のインタビューによると、フィンランドは極めて男女平等な国であるにもかかわらず、機械を修理する仕事、ビデオカメラやデジタルチューナーを購入する仕事、それは全部男性の役割だとされているらしい。

日本以外のダメ男映画を観ると、いつも思うのは「なんだかんだいって日本って実はすごく男にとって住みやすい国なんじゃないか」ということ。

だって別にドアを開けてくれなくても女は別に文句言わないし、重い荷物をトランクから出してくれないタクシーの運転手なんか腐るほどいる。
デジタルチューナーを自分で買えない女なんて、電球を取り換えたことがないというお嬢さんくらいなもんで(実際にそういう女性もいるにはいるけど)。車がなくてもデート後の彼女を家の玄関まで送る日本人男性はどのくらいいるのでしょう。

そういうと、きっと男性陣はあれこれ文句を言うんだろうな。
「いや、お前らは俺らの苦労を分ってない」と(笑)。

ダメ男が存在するためには、相対的な存在である「女」がいてこそで。
彼らは母親なり恋人なり妻なりがいてこそ、ダメ男としての本領が発揮されるわけです。
そして、世界中の女にとってダメ男は、どこの国の男であろうとも一緒。
現実は「ダメ男」がダメじゃなくなることは多分難しく、むしろダメ男が「クズ男」にならなければセーフだったりするのかもしれません。

でも映画のなかのダメ男たちは違います。
彼らはちゃんと100分過ぎには「今までの自分と決別する」瞬間を見事にむかえます。
この作品の主人公と友達も1晩の間に起こったたくさんのハプニングを通して、わずかではありますが、変化を遂げました。
とにかくこれは、男たちのロードムービーであるわけで。
フィンランドの雪に埋もれた風景やオーロラ、ブリザードなんかも話を盛り上げます。

劇中、恋人の昔のボーイフレンドてのも登場するのだけど、仕事をもっていて羽振りも良く一瞬まともな人に見えたものの、結局そいつも別の意味で超ダメ男でして(笑)。これには笑いました。
この映画、誰ひとりとしてダメじゃない男が登場しねーじゃないか!(笑)。

日照時間や歴史的宗教的背景もあって、メンタル的にはラテン系ダメ男より、日本人にはずっと共感しやすいこのフィンランドの男たち。
そんな男たちの、冒険とちょっぴりの成長を観るのはやっぱり楽しいものです。

「ラップランド・オデッセイ」フィンランド公式サイト
「Napapiirin sankarit」予告編
フィンランド映画祭2011
ドメ・カルコスキ監督インタビュー(日本語訳)

 

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映画 少林寺VS忍者(1978年・香港)


監督
劉家良(ラウ・カーリョン)

出演
劉家輝(ラウ・カーフェイ/リー・チャーフィ)
倉田保昭
水野結花
劉家良(ラウ・カーリョン)
八名信夫
袁小田(ユエン・シャオティン)

武術指導
劉家良(ラウ・カーリョン)

やっぱり大好きだ!劉家良。
この映画にもし、気に入らないところがあるとしたら、邦題くらいかな。
え、えーと、少林寺って、一体どこにでてきました?

原題は「中華丈夫」訳すと「中国の夫」

つまり、中国に嫁いで来た日本人の妻(水野結花)が結構な日本武術の達人で、これまた中国武術の達人である夫(劉家輝)と「どっちの国の武術がすぐれているか」と意地を張り合ううちに誤解が誤解を生んで、というのが事の発端。

劉家良。
この人の本質は、恐らくものすごい武術フェチなのだと思います。
ん~武術家にそういういい方も変ですが、10本以上監督作を観てきて、この人の場合、こよなく武術(この場合見せる方の武術ではなく本当の武術という意味)を愛する男が、たまたま映画を撮る大変な才能に恵まれていた、という認識でいい気がしてきました。

この作品のすごいところは、功夫映画でありながら、復讐や遺恨は一切なし、誰ひとりとして死なないどころか、対決して血すら流さないという闘いのシーンに尽きます。
まさに劉家良節を極めた最高峰といってもよろしいのではないでしょうか。

前半は、ひたすら壮絶な夫婦喧嘩。唯一流れる血はここで(笑)。
日本の武術はこうよ、いや、中国はこうだと、突然武器を振り回す、箸を飛ばし皿が舞う、豪邸の窓は割れ家具が破壊される。
とばっちりを受けるのは使用人たちです。まぁ迷惑なことったらない。

と、いっても、これは「ローズ家の戦争」ではないので、本当は憎み合ってるわけじゃない、ただの意地の張り合いなだけ。
ここで監督は観客に見せるわけですよ、どっちの武術が優れているか、そんな争いのアホらしさ愚かさ滑稽さを、ユーモアをこめて思いっきり。

んで、後半はその喰えない夫婦喧嘩を、彼女の日本にいる道場の兄弟子達が何故か喰ってしまい「これはすべての日本武術への挑戦だ!」(嫁は当然そこまで考えていない)と受け取った挙句8人が中国に渡り、劉家輝と1人ずつ闘うという展開に。

しかし、この映画には中国人=善、日本人=悪などという構図は一切ありません。
そこから浮かび上がるのは「うちの義弟に色んな武器を持たせ、本当の日本人キャストが繰り出す日本拳法と闘わせて、両方の拳法の違いを分り易くビジュアル化したい!」という劉家良師父の一念のみ。

登場する日本人武道家達は、たとえば敵が自分のサイを一旦奪えば返してもらっても、それを使わずに1本で闘おうとするし、みんな負ければ潔く負けを認める非常に高潔な人々として描かれています(ま、色々笑えるけど)。
当然、対戦相手の劉家輝にもそんな気持ちは伝わるわけで。

むしろ作中、ひょっとして一番卑怯だったのは、実は劉家輝だったかもしれません(笑)。

出色だったのは、倉田さんの驚愕の忍術、蟹拳法。
人間があんな高速で蟹走りができるとは想像もしませんでした。しかも1度や2度じゃありません。ずっとです!素晴らしい。

そして闘い終わって最後は全員で互いを認め合い大団円。なんという清々しさ。

それもこれも、もともとのきっかけが「ただの」夫婦喧嘩だったから。
よくぞ、こんなパーソナルなことを発端に日中武術合戦に発展するという発想を思い付いたものだと、あらためて師父の底知れぬ才能に敬服いたしました!

とにかく、この作品は劉家良師父の「武術に対する愛」というのが、ビンビンに伝わってくる、まさに傑作中の傑作です。

Heros of ツ黴€the East予告編
中華丈夫予告編

 

 

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