武侠(邦題:捜査官X)香港BDにて-ドニー・イェン 甄子丹

2011年のカンヌ映画祭に中国作品として唯一招待されたピーター・チャン監督、甄子丹(ドニー・イェン)主演の「武侠」。
もうずいぶん前に香港版が届いたのですが、とにかく書きだすと長くなっちゃうので、やっとその時間が出来ました。

なにしろめちゃ仲のいい友人すら「あんたの書く甄子丹レビューは長文過ぎて読む気がしねぇ」と言い放つくらいですからねぇ(笑)。

いや、もうね、分っちゃいるんですが、なんかもう、止まらんのですわ、自分でも。
色々と考えすぎたり、深読みしたりしておりますが、最初に断言しておきます。
これは傑作です。

そしていつものようにお断りします。以下、超ネタバレですから!

まずこの映画、クレジットタイトルが終わってから最初の4分が、とにかく素晴らしい。

ひょっとするとこの4分がこの作品で一番の見どころじゃないか、ってくらいに。

オープニングはらせん状の線香のクローズアップから。
紐が線香で焼き切れると金属の球が受け皿に落ちて「カン」と鳴る。
これは当時の目覚まし時計なんだそうで。
その音に目覚めてゆっくりと身体を起こすドニーさん。
辮髪の前頭部が伸びた髪。
ベッドから起き上がろうとすると自分の上着の裾を妻のタン・ウェイが握ってる。その手をそっと離し、かわりに蒲団を握らせる夫。

この夫婦にはかわいい二人の息子がいる。

どうやら乳歯が抜ける時期らしくお兄ちゃんが紐に結んだ弟の歯をドアで抜こうとしています。
なのに口から紐を離す弟。朝からそれで兄弟はひと悶着。
何故か一階の屋根では牛の親子がそんな騒ぎをよそにくつろいでいる。なんという平和で穏やかな家族の風景。

仕事道具を手入れする父親の足元に弟が寄ってくる。「父さん」
父親は「どうした?口を開けてごらん」と子供と同じ目線にしゃがみこんで「これかな?いや、こっちか」なんていいながら手早く乳歯を抜いてしまう。
ほら、抜けた、ははは、と楽しそうなドニーさん。
しかもこれ、クローズアップなしの引きのワンカット。
その全身から溢れる父親の愛情のきめ細かさ。
ああ、こんな旦那が欲しい、スクリーンを目の前にたくさんの女性が一瞬思ったのでは(笑)。

それにしても、こんなに父親役とアクションが同時に成立するアクション俳優がいたかしらと、ふと思う。いや、いない。
そう考えると、この人が映画界でどれほどユニークな存在になったのかとあらためて感じてしまいます。

職場での出来事を話しながらの朝ごはんを家族で食べ終えると、父親は仕事に出かける。
笠をかぶって、もちろん徒歩で。彼が歩く雲南のその村の景色の、溜息が出るくらいに澄んでいて美しいこと。
もう、全編このノリで家族の話でもいいっすよ!アクションなくても許しますから!とドニーファンにあるまじきことが脳裏をよぎるくらい、なんともいえない暖かい気持ちに包まれる。

ものがたりは、そんな良き父親であり良き夫であるドニーさんが、ある強盗事件に巻き込まれたことをきっかけに、その捜査にやって来た金城武くん扮する徐百九が、武術、医学の知識や鋭い洞察力で事件を解明しようとします。

そして、自らも過去に傷を持つこの捜査員の男が正義を貫こうとすることで、次第に明らかになってゆく善良な男の過去。

この村の風俗とかなり面白い金城くんのキャラクターが混じり合った前半部から相当に気に入りました。
劉金喜演じる途中までのドニーさんは、驚くらい人のよさげな表情で、見ようによっては、なんという見事なアホ顔(笑)。
やがて徐百九の質問に対し、子供の頃に可愛がっていた馬をめぐるショッキングな話をしてからの、あのミステリアスな表情とのギャップの大きさ。

特に、寝ているところを観察する徐百九の偏執ぶりもさることながら(ここ相当笑える)、気配を察して目が覚めても、慌てず騒がず怒りもせずに平然と水を飲みに行く彼はかなり不気味です。

物語の分岐点では、リミッターの外れたドニーさんがいよいよ唐龍に戻った瞬間に「キタ―!」と誰しもが心の中で叫んだことでしょう。

この時の音楽もまたいい!担当はお馴染み陳光榮(チャン・クォンイン)と金培達(ピーター・カム)という「孫文の義士団」コンビ。(追記:これにタイ人作曲家、チャッチャイ・ポンプラパーパンを加えたトリオでした、失礼)

その急上昇するテンションが、そのままあの惠英紅姐さんとのアクションシーンに繋がるのですから、なおのこと血が湧きあがり、そして物語はとうとう父親であるジミーさん(王羽)との最後の決戦に!

もうね、映画「武侠」はこのジミーさんなくしてはあり得ない、そう思わせるほどの存在感と禍々しさ。
かつて一世を風靡した天皇巨星とドニーさんとの闘いは「なんという瞬間を目撃しているのだ!」と身体中が沸騰しそうな興奮を覚えました。自分には、このシーンだけでお金を払う価値が充分あります。

だからでしょうか?
ジミーさんのあの最期には、えええええええええ、と思わず声が出てしまいました。

あまりに度肝を抜かれたので、間髪いれずにもう一度観るしかありません。

2度目の武侠、1度目より一層面白かった!

再度観て、落ち着いて字幕をつたないながら読んだところ、「武侠」という作品のテーマが「罪を犯した人間は生まれ変わることが出来るのか、そして人はそれを赦すことができるのか」という永遠の命題とともに、家族における「父性という伝統と呪縛」、このふたつの柱があるのだと、言葉が分らぬうえに、読解力の弱い私はやっと分った次第。とほほ。

「お前の命は私のもの、お前の息子の命も私のもの」
そう叫ぶジミーさんは過去人間の歴史がずっと背負って来た家族という伝統を凝縮した姿です。

逃げることが出来なくなった主人公は自分の片腕という犠牲を捧げることで、すべてを清算しようとしました。が、祖父は続いてその血の伝統を「孫」という存在に継承させようと、またそれで支配、清算しようと、宿命のように考えている。

その支配と伝統を断ちきるために父親である唐龍は必死に闘いますが、直接は勝利することは出来ませんでした。
自分は初見でそこの部分にビックリ仰天したのですが、立ち止まって少し考えれば、それで良かった気もします。

なぜなら祖父が継承させようとしていたその家の伝統とは「暴力そのもの」だったのですから。

もし、父親が家族を守るためだとしても、結果同じ暴力で解決してしまっては、その連鎖を断ち切ったことにはなりません。

だからこそ別の人間の力を借りての「落雷」だったのではないでしょうか。
ラストシーンで分る通り、少なくとも、これで彼は盗賊団七十二地辣桙ゥらの復讐の連鎖を受けることを免れました。

自然現象に助けられた結末は、ただの偶然でしたが、その落雷を呼び寄せたのは男たちの「信頼」です。
この信頼こそが、劉金喜と徐百九ふたりがその関わりの中で生み育てたものにほかありません。好意的に解釈するとすればその信頼こそが「武侠の精神」なのかもしれないのです。

そして再び他人を信じることができたことで、徐百九もまた最期に自らを解放することができたのだと、瀕死の己の姿に涙を流す彼を見ていてそう感じさせてくれました。

ピーター・チャンはこの作品を作った動機を「たまたま見たディスカバリーチャンネルで銃の弾丸がどのようにして人体に影響を与え死に至らしめるのか、CGをまじえ解説している映像を見て、これを功夫の技に応用してみたいと思った」と語りました
「まずは、そこありきだった」と、そして「こんなアプローチの仕方は自分が映画を作って初めての経験だった」とも。
つまり、監督は自分の考える「武侠」へのアプローチを描きたかったにすぎません。

「武侠」というと人は、江湖で繰り広げられる命より義を重んじる侠客の生きざまをイメージします。
「武侠映画」というと古装の空想世界で登場人物が重力を無視して空を舞い、信じられないような超人技を繰り出して闘うファンタジージャンル映画のことを意味します。

しかしピーター・チャンは「自分の武侠映画には、動作監督の甄子丹が不可欠であった」とインタビューで答えています。

ドニー・イェンといえば、リアリティのあるアクションを目指す志向の明確なアクションコレオグラファーであるわけで、わざわざ「武侠」というタイトルにしたのにも関わらず、彼が必要だったと言うことは、それだけで監督がいかに既存の武侠映画と違うものを目指したかったかがわかります。

しかし固執してしまったこの「武侠」というタイトルのせいで、結果的には香港映画のひとつの弱みを露呈してしまったことも感じずにはいられません。

これは同時に香港式の大変な強みでもあるのですが、ラストも漠然としているうちに撮影に入ることも珍しくないそうです。

キャスティングが直前になったり、脚本も撮影中にどんどん変化するため、現場で素晴らしい柔軟性を発揮する代わりに、時間切れで撮りたかったシーンを諦めるという事態も少なくないということで、そのためにストーリーやテーマが矛盾をはらんだものや説明不足になりやすいという弱点を抱えています。

事実この映画では、その強みを発揮した素晴らしいケミストリーが起こります。
この作品の大きなキモの一つ、「ドニーさんが自らの腕を切って片腕になる」というアイディアはジミーさん参加が決定し、そのシーン撮影の直前に急遽決まったものでした。

ジミーさんの出世作といえば、なんといっても「獨臂刀(片腕必殺剣)」。
彼の出現によってそのアイディアを実現する見事なまでの即興性は、さすが香港映画で鍛えた監督と感嘆するほかないし、またその片腕アクションを準備期間なしでやってのけるドニー・イェンという役者のスキルの高さにはただただ驚くばかりです。

この腕を切り落とすシーンは観ていて本当に胸に応えました。
(ちなみに、この腕を切るシーンはジミーさんの「片腕必殺剣」というよりも自分にはデビッド・チャン主演の「新・片腕必殺剣」を彷彿とさせました。両方ともにご存知チャン・チェ監督)

しかし一方で、ピーター・チャン監督がこの作品で大いなるリスペクトを捧げたというチャン・チェ監督に代表される武侠映画は、それがたとえ義によった行動だとしても、ほとんどのことは「復讐」に次ぐ「復讐」で、内容はその連鎖が生みだす暴力の物語にほかありません。

せっかく暴力の連鎖を止めることを(結果的であれ)軸に据えることで着地したのに、プロモーションで繰り返された武侠映画への熱いリスペクト談話により、ある意味矛盾を生じさせてしまった格好です。

もし、そのチャン・チェ、武侠、というキーワードがなかったとしたら?
つまり、既存の武侠映画と違うものを描いたというピーター・チャンのこの作品の本質は「武侠」であって「武侠でない」、いわゆる従来の「武侠」へのアンチテーゼだったともいえるでしょう。

2度観て、私はこの作品のタイトルをエンドクレジットで流れる竇唯の曲のタイトル「迷走江湖」と脳内で変換することにしました。(この映画のエンド曲にこのタイトルをつけた遯ヲ唯に私は大いなる共感を覚えます!)
それで正直大部分は解決ですし、不思議なことに観れば観るほど、どんどん好きになってゆく魅力あふれる傑作です。

もし、1度観たもののラストに御不満をお持ちで、再度見てもいいという奇特な方がいらっしゃるなら、この作品を2度見ることを強力にお勧めします。

そう考えれば、この映画はタイトルと宣伝の仕方を変えれば最初からまったく別の反応になったかもしれません。

このフイルムをカンヌでお披露目する直前、フランスを除く欧米の配給権を買ったワインスタイン社がいち早く欧米向けのタイトルを「Wu-Xia(武侠)」から「DRAGON」に変更しました。
カンヌ直前、そのニュースを聞いた時は、「アメリカ人め~(笑)」と思ったりしたのですが、映画を観た今ならその理由が理解できます。
さすがアカデミー賞請負人、よくわかってらっしゃる、ともいえるわけです。

さて、続いては、ドニーさんについて。
アクションコレオグラファーとしてのドニーさんはまさに今円熟期を迎えつつありますね。
彼はこの作品の主人公の使う武術について洪家拳のいくつかある型のうちのひとつ、豹拳をベースにしたと、ある脚本家の微博(中国のツイッター)でフォローした際に語りました

ポストプロダクションを優先させる派手な絵を求めるからそうなるのか、もともと武術家でない役者が演じるケースが多いからそうなるのかはわかりませんが、最近は説得力をもって既存の拳法をコレオグラフする動作監督は少ないし、そもそもそれを演じられる役者もすっかり少なくなりました。

しかも、ドニーさんの場合、その拳法のデモンストレーションに終わらず、葉問でそうだったように、最終的にはすべて甄功夫になるのがよいところ。
しかもご本人ギリギリのラインで功夫らしさ、武侠っぽさ(ファンタジー要素)も出していると感じました。(久々1カット10手くらいのシークエンスがあり、すんごく見ごたえがあって嬉しかった!)

ちなみに自分の一番好きな場面は、雑貨店 での徐百九の妄想シーン。
強盗閻東生と対峙したまま、劉金喜が足元の円匙をゆっくり引き寄せると目をそらさずに窓枠に蹴りあげ、窓を閉じるカット。

その行動だけで、彼がどれほどの高手であるかが一目でわかるし 、それまで散々「ひやぁ~」と受け身一方だった劉金喜が、まさに唐龍に変わった節目でもあります。また、こんときの音楽がいい!(音楽担当の金培達によると、ここは西部劇をイメージしたらしいですぜ)。

逆光の中、フルショットのシルエットでそれを見せるあたりに「どうすれば俺様がカッコよく見えるか」をよく熟知した(笑)ドニーさんのセンスをひしひし感じ、これから始まるだろうアクションシーンへの期待を否が応にも盛り上げてくれました。

その後のアクションの素晴らしさはもちろんのこと、カメラのことはよく分りませんが、とにかく高価な高性能のものを使っていることは、こんな自分にもよく分りましたよ!

そして、いつも言うことですが、この映画の中でも彼のアクションには見事なまでに感情が込められている。
特に盗賊団、七十二地煞登場後、闘うたびに、劉金喜の苦悩と唐龍としての本能が交錯することに観ていてキリキリ胸が痛みました。
(七十二地煞、ななじゅうにちさつ。そう、あの水滸伝で洪信が開けてしまった伏魔殿の扉の中に隠された石碑から飛び出した、あの七十二地煞からとった名前でしょうね)

ピーター監督は「甄子丹はこの演技で映画賞の主演男優賞狙うよ!」とリップサービスしてくれましたが、もし投票権を持つ関係各位がこのアクションにおけるドニーさんの感情豊かな動きや表情までを演技と認識してくれるなら、その話も遠い夢ではないこともないかもしれない(どっちや?)。ま、ここはダメ元ということで(笑)。

続いてこの映画のもう一人の主人公、金城武くん、彼の演技もとても良かった!

飄々としていて話題の四川語はこんな自分にも訛ってることはよく分りました(笑)。
とにかく、いつもの二枚目と違う変人の役は新境地。
過去に見た彼のキャラクターの中で、間違いない、一番魅力的でした。
思い込みでドニーさんにトラップ仕掛けるところなんかおかしすぎる。それこそ彼が主演男優賞を獲っても不思議はない見事な演技です。

それと忘れちゃならないのが、タン・ウェイさん。

リアクションの多い役でしたが、彼女には演技の底力があるなぁ、と。

妻もまた過去に悲しい傷を抱える女性であります。穏やかな生活の中で妻が見せる繊細さはこの過去と無関係ではありません。
この夫婦の一見羨ましく見える関係性に彼女の演技がどれほどの重要さを占めているか、言葉では言い尽くせません。いっぺんでファンになりました。
「ラスト・コーション」の役柄だけで理不尽な不運が続いていて気の毒なタン・ウェイさんですが、将来の活躍を心から願います。

あと、武侠映画へのリスペクトを結果的に加速させたと思わせる、ショウブラ映画時代からのふたりの武打星にも触れましょう。

天皇巨星ジミーさんは怖いと言うかなんというか、もうねすごい迫力で恐ろしさ満点。

なんつっても鉄布衫(鉄の身体)ですから(笑)!
まさに雷でもなきゃ殺せんよ、というくらい圧倒的な強さのなかに、彼もまた唐龍という息子への屈折した愛情をところどころに滲ませていて非常にインパクトのある名怪演技だと感激しました。

そして、かつてショウブラ映画で女武打星としてキャリアをスタートさせた惠英紅姐さん。彼女との場面は、アクションが際立っていて、実はこの映画の大きなハイライト。

ワイヤーを使わなかった(と、いうより状況的に使えなかったのだそうな)という屋根の上の驚異のマジパルクールをはじめ水牛小屋のアクションは、ものすごく大変な撮影だったと、報道されていましたね。
ふたつの剣を鮮やかに操って、さすが劉家良仕込みの功夫スキルはまだ錆ついていませんでした。嬉しゅうございます。
彼女をこの役にオファーしたのはドニーさんだそうですが、本当にいいところに目をつけたものと感心してしまいます。すんばらしい!

ついでにもう一人、七十二地煞長男役で「弟が~唐龍が死んだ~」と歌った男優さん。
彼が、隠し撮りにきた中華マスコミから渡辺謙さんに間違われて「渡辺謙武侠出演」の誤報を生んだ俳優かと思われます(確かに似てる!)。
名前を尹鑄勝という、舞台を中心に活躍する名優だそうで。←あの歌は現場での即興だったと記事は伝えています。
さすがの存在感で、しっかり印象に残りました。

そうだ忘れちゃいけないのは、今回メイキングにも何度も登場したドニーアクションチームの方々。
ロケハン中、あわや危機一髪という怪我をした谷垣健治さんをはじめ、耳を切られた喻亢さんや厳華さんなど、お馴染みの面々がちゃんと重要な役として登場しておりました。

とにかく色々考えさせられましたが、この作品は自分にとって観れば観るほど好きになる一本です。気がつけばお気に入りドニー作品のかなり上位にランクインしてしまいました。

字幕も必死で読まずに済むほど観れば、演技の細部もよくわかります。ドニーさん、本人比でかなりイケてます。

結論とすれば、これはピーター・チャンの「武侠」という言葉に惑わされるかどうか、それだけが別れ目のような、そんな不思議な作品です。
そして読んでいてお分りの通り、その罠にまんまとハマったのが、この私でございます。とほほ。
アクション映画なんだから、小難しい事を考えて小賢しい事なんざ言わんでよろしい!と一喝されれば、まったくもってその通り。いや、そうしたかったんすよ、ほんとうは(←言い訳)。
くそ~、まんまとピーターにしてやられたわ!(笑)

それにしても、このところのドニーさんの驚異的なハードルの上げっぷりにはファンの自分もびっくりでやんす。
彼がすでに撮影を終えているのは「モンキーキング」という、孫悟空を主役にしたそれこそファンタジー映画だから、そちらは考え込むことはないだろうけど(・・・いや3Dという別の不安があるけどさ)。

さて、この「武侠」の普通語配音員は、私一押しの陳浩老師
今回はエンドクレジットにちゃんと名前がでてました、よかったよかった。

彼にとっては多分7本目のドニー配音かと思いますが、今後はずっと彼に統一して頂きたいと願うくらいに素晴らしかった。

特にオープニングの家族のシーン。あなた違和感なさすぎる(笑)。
ひょっとしてドニーさん、彼に吹き替えてもらって結構得してる?と思うくらいのデキ。
どうやら金城くんだけでなく、普通語ドニー配音も実は少し四川訛があるとかいう噂。(そこまでは自分には到底わからなかった)
唐龍の出身が、四川省だからということらしいのですが、そういえば老師も四川出身でしたね。

広東語版のドニーさん本人の声も非常によろしかった!
最初の朝のシーンは残念ながら陳浩老師に軍配はあがりますが、あとはドニーさんの声で見た方がやはり良かった気がします。
特に、正体を明かしたのちの台詞など、本人の方があっさりしていて、むしろ説得力が増したような(激しくえこ贔屓)。

が、この武侠が日本で公開されることになっても、多分金城くんの四川語を活かした普通語バージョンの方での公開でしょうねぇ。

そして、もし日本で無事にソフト化されたとしても、この普通語と日本語吹き替えしか収録されない、と今から残念な予想。

最近思うのですが、中国語で2パターンあるんですから日本でソフトにするなら、せめて主役が喋ってる広東語版も入れようよ~。字幕一緒でいいんだし、お願いします。

あ、あとジミーさんも別人の吹き替えだったわ、カンヌの後、脳卒中で倒れてしまったから御自分で出来なかったのでしょうか。
(ちなみにジミーさん、「ドニーがあまりにも強すぎて自分は脳卒中になってしまった。この自分が彼の技を受けて半年後になったのだから、普通の人なら即、脳卒中になるね」とジョークを飛ばしてました)
懸命にリハビリにも励まれたようで、台湾香港のプロモには元気な姿を拝見できて安堵いたしました。
こちらのほうはメイキングで観た御本人の声の方が(あれよりも!)ずっとずっと怖かった・・・。

配音演員

さて、関連動画飛ばしていくよー!!

武侠 Wu Xia FACEBOOK(HK)
武侠 韓国公式サイト
武侠トレーラー1
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武侠エンドクレジットソング窦唯「迷走江湖」
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それにしても、武侠のサントラ、激しく欲しいぜ!!!!


 

 

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武侠(邦題:捜査官X)香港BDにて-ドニー・イェン 甄子丹 への2件のフィードバック

  1. 谷垣健治 のコメント:

    こんにちは!「武侠」レビュー、すごい読み応えですねえ。ここまで微に入り細に入り見ていただくと、これからテキトーなこと言えんなあと思います、ハイ。
    「武侠」での4ヶ月の話はまるまる4ヶ月かけて話せる自信がありますよ(笑)。またお会いしましょう!!

  2. ケイコママ のコメント:

    谷垣さま

    コメントありがとうございます、恐縮するとともに、ものすごく感激です!

    「るろうに剣心」撮影で大変な時期と存じますが、素晴らしいアクション期待しておりまする。
    お忙しいと思いますが、どうかご自愛くださいませ。
    お時間が出来た時にでも、機会があれば武侠のお話聞ける日が来ることを願っています。

    あ、ブログに写真、ありがとうございました。
    そして遅くなりましたが、この場を借りてお誕生日、おめでとうございます!

    飯星

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