蔵出し その3

蔵出し3です、かなりバラバラ。最後は地味にトン・ワイ祭り(笑)。

フラメンコ・フラメンコ(2010年・スペイン)

監督:カルロス・サウラ
撮影監督:ヴィットリオ・ストラーロ
出演:サラ・バウス、パコ・デ・ルシア、マノロ・サンルーカル、ホセ・メルセー、ミゲル・ポベダ、エストレージャ・モレンテ、イスラエル・ガルバン、エバ・ジェルバブエナ、ファルキート、ニーニャ・パストーリ

ああああ、スゴイメンバーだ!
かつて「血の婚礼」「カルメン」などを世に送り出したサウラ監督が、「暗殺の森」「ラスト・エンペラー」などを撮った撮影監督、ヴィットリオ・ストラーロとともに制作したフラメンコドキュメンタリーの第2弾。

世界中でフラメンコを習っている人が2番目に多いのは日本だそうで。
劇場が満員御礼だったのも納得。
フラメンコと言うと、よく知らない人間だとつい踊りのイメージしかなかったりするのですが、実は歌(カンテ)踊り(バイレ)ギター(フラメンコギター)の三位一体揃って、やっとフラメンコという総称になります。

もうね、私の稚拙な文章力ではこの素晴らしさは伝えきれません、もどかしい。
何度も何度も鳥肌が立ち、号泣しそうになりました。
始まりから、終わりまで、一貫して表現されていたのは「いのち」。人生の旅路を色彩豊かに感情豊かに、そして真正面からとらえています。
ソフト化されたら絶対に買う。
帰りにロビーで「このサントラはないんですか?」と訊いていたおねぇさん、同感です。あとでスペインかアメリカのアマゾンに行ってサントラ見つけたら即、購入!
フラメンコ@日比谷野音


「見知らぬ女からの手紙」(2004年・中国)

監督脚本:徐静蕾(シュー・ジンレイ)
出演:徐静蕾(シュー・ジンレイ)姜文(チアン・ウェン)林園(リン・ユエン)孫飛虎(スン・フェイフー)
どんなに死にたいくらい傷ついてもいつかその傷が癒えていることもあるし、癒えたと信じていた傷がある時を境にぱっくり開いてしまうこともある。
「見知らぬ女からの手紙」はそんなことを思い出させます。

1948年の暮れ、北京。誕生日のある日、作家の男は知らない女からある一通の手紙を受け取ります。そこには、あなたは自分を知らないでしょう、という内容の一文から始まり、彼女の息子が死んだことと、彼女がいかに作家を愛していたかが綴られていました。

時代は1930年にさかのぼり、女からの手紙に綴られた回想を映画は描いてゆきます。
中国の伝統的家屋である四合院。そこの一番広い部屋に作家が引っ越してきた日。
少女だった女は男の西洋家具や荷物や大量の書物から、このご近所さんに興味を持ちました。そしてぶつかりそうになった彼女に「Sorry」と声を掛けたそのうんと年上の男に少女は一瞬にして恋に落ちます。それは一方的で何の見返りも求めない、けれど近所に住んでいた1年間だけの記憶と彼への思いだけで生きてきた彼女にとっては本当の愛であったと手紙は語ります。

この時代の女を演じる少女(林園)が、とにかくびっくりするほどいい。この感じ、この透明感、これぞまさに中国映画の真骨頂。
対して作家の男を演じるのはチアン・ウェン。いつもの通り冴えないオッチャンです。しかもこの映画に関しての彼は最後まであんまりパッとしません。
しかしインテリめいた佇まいと口のうまさと腹立たしいまでの鈍感力に、意外とこういう男がモテたりするんだよなぁと妙なリアリティがありました。

やがて大人になった彼女は、北京に戻ってきます。もちろん、彼女にとっては彼の元への(一方的な)帰還であります。
大人になった女を、この作品の監督であり中国を代表する女優でもある徐静蕾(シュー・ジンレイ)が素晴らしい演技で彩ります。
その一見静かながら燃え盛る内面を、ほんの少しの目の動きだけで表現してしまう彼女の能力には脱帽しました。くわえて2本目にしてこれだけの作品を監督してしまったという実力にも。

話は後半に行くにつれ、少し現実離れする感もなきにしもあらずですが、そこは演じる徐静蕾の個性と演技力で充分にカバーしてあまりあります。こんな美しい人に天は二物を与えたのだなぁと心から驚きです。

現実離れ、と先程は書きましたが、少なくとも自分にとっては主人公のその時々の切なくなるほどの感情や喜び絶望感や、そして時に自己愛と表裏一体の強い執着心など、断片的には共感する部分はたくさんありました。(そこまで長年にわたり継続するものか、できるのかどうかは置いといて)その共感はまた、断片的に感じさせる構成や演出があってこそだったのかもしれません。

彼女を観たのは、これと随分前のピーター・チャン監督の「ウォー・ロード」の2本きりですが、それだけで素晴らしい才能を持った女性だということがわかります。
今後はきちんと注目していきたい女優の1人になりました。

ハイリスク(1995年・香港)

申し訳ないけど基本王晶は苦手です。が、時々こうして自分にとってツボにはまるものを作るから始末におえない(笑)。
突然、雷に打たれたように観たくなった「ハイ・リスク」、もうね何年振りか分らんくらいに借りてきて観ました。何年経ってもやっぱおもしろい!

監督:王晶(ウォン・ジン/バリー・ウォン)
出演:ジェット・リー、ジャッキー・チュン、チンミー・ヤウ、ウォン・シク、ウー・マ、ビリー・チョウ

数あるウォン・ジンの映画の中でも断トツに好きな映画。
だってダイ・ハードに成龍のパロディとリンチェイのアクションが詰まったうえに、チンミーがヒロインすよ、豪華~。
成龍のパロディを演じるのも、そんじょそこらの俳優じゃありません。歌神ジャッキー・チュンす。
このジャッキーがとにかく弾けてる。最高。当時の成龍のマネージャーウィリーさんと成龍のお父さん(演じるのはウー・マ)もクリソツ!(ついこういう言葉を使いたくなってしまうこのテイスト、分って頂けますかね)ひと目見ただけで誰なのかすぐピンときちゃう。
こういうバレバレキャラを登場させるのって、ウォン・ジンの真骨頂だよね!
香港コメディはどっちかというと苦手な分野なんだけど、その自分が何度も声出して笑いました。ウォン・ジン監督でこんなに笑えるのもそうそうないよ。
実は彼ってベタなコメディを撮らせると自分的にはアカン事が多いのだけど、アクション映画だとたま~に「お!」と思わせるものを作ったりするから油断ならんのよね。

動作監督はユン・ケイ。動作指導にユン・タク。そういや、始まってしばらくしてユン・タクはテロリストの姉さんに手を切られて死ぬガードマンの役で出てたましたな。
当然リンチェイカッコよかったわ、自分のなかではカッコいいリンチェイトップ5に入るかも。リンチェイってとにかくなんというか「カメラに愛されてる」と表現すべきか、そういう素晴らしい俳優だよね、この作品はその思いをまた強くしました。さすがです。
そのバッタもん感覚といい低予算ぶりといい、でもインスパイア(笑)されたオリジナルの「ダイハード」よりうんと面白い部分も大いにある香港映画。その真髄がここにあります。

英雄十三傑(1970年・香港)

監督:張徹(チャン・チェ)
出演:姜大衛(デビッド・チャン)狄龍(ティ・ロン)陳星(チェン・シン)谷峰(クー・フェン)劉家榮(ラウ・カーウィン)楊斯(ヤン・スエ)
武術指導:劉家良(ラウ・カーリョン)唐佳(トン・ガイ)劉家榮(ラウ・カーウィン)

「十三人の英雄よ、なぜこんなことに」(原語では「十三太保・・・十三太保・・・」)と虚しさに震いおののきながら長兄が呟く台詞でジ・エンドの映画。

いやいやいや、それ、あなたじゃなく最後まで観てたこっちの台詞ですから!
と思わず口に出してしまいました。

「チャン・チェーーー!なんであんたはそんなドSなんやーーーーーー!」と思わず叫びたくなる一作。

それにしてもデビッド・チャンという俳優はとっても不思議な人だ、と観れば観るほど思います。
映画によってはこの世で一番素晴らしいアクションスターにも思えるし、違う作品ではものすごく体幹の弱いヘナチョコな動作をするアイドルにしか見えない時がある。

大抵その感想は映画によって違ってくるのだけれど、これは一作でその両方が味わえるという珍しい作品。

その二律背反な趣は当然監督のチャン・チェにも当てはまり、「ったくチャン・チェはよぉ」とフンと思える作品と「うああああ、さっっっすがチャン・チェ!」とうっとりしてしまう作品の差が結構激しい。
まぁ当時は娯楽の王道、映画だし。バカみたいに多作だったしね。

今作は前述のデビッド同様、その両方のチャン・チェ風味がミックスされた作品とおみうけいたしました。
グズグズせんと早よ展開せんかい、と突っ込みたくなる部分と「キタ―!チャン・チェ節!」と目を瞠る部分の温度差が著しく激しい。
13人も登場するのが仇になったのか、それとも監督溺愛の2人の巨星の散り際を考えつくまではなんとなく気が乗らなかったのか(笑)。

それにしても、この2人に比べて、見事なまでのティ・ロンのブレなさよ。
チャン・チェ、デビッド・チャン、ティ・ロン、このゴールデントリオの中で何故、この人だけまったくブレないのか、実はいつも不思議に思っています。
結論が出るには、まだまだ修行が、いや、見る作品数がまったくもって少ないのかもしれません。・・・修行に励みます。

「もんのすごく地味にトン・ワイ祭り」
休日、なんとなくyoutubeを観ていたら、驚くくらいトン・ワイファンの人がいてせっせと彼の断片をアップしているのを発見。
しかも、そんな昔じゃなく2010年とか2011年だとか結構最近に作ったもののようで。普通なら当然彼のかっこいいアクションシーンを繋ぎそうなところ、その人はひたすらアクションなしの、笑顔だったり喋っていたり普通のシーンだけを狙って編集していて、その軸のブレなさにも感心。
正直、誰得?と聞きたいところですがご本人にとっては、大事なことなのでしょうね。
・・・しかし世の中にはマニアがいるもんだなぁ(あ、ごめんなさいトン・ワイさん)。

キャリアの割に彼の主演映画というのは案外少なく(でも若い時から武術指導は数多い)、むしろテレビドラマにとても多い。さすがに自分はドラマまで調べるつもりはなかったので、その人の動画は結構参考になりました。

眺めているとどうやらコミカル系の役が多いらしい雰囲気。なかにはメガネをかけてアホ面全開も。
と、言いたいところだけど、当時の香港ドラマのことです。あのアホ面が回を重ねるごとに、陰謀により行き場を失くしヤクザの下っ端になり果て、そこで出世を重ねるごとに家族や友すら裏切る極悪非道な男に変身したとしても驚かないぞ!(ってどんな甄子丹ドラマ)

とにかく、そんな具合に数珠つなぎでトン・ワイ観てたら色々出てくる出てくる。
たとえば2001年に監督出演した「地上最強/Extreme Challenge」(日本未公開)という映画。

断片だけ眺めて理解したところによると多分、ゲーム的な昔懐かしの風雲たけし城のようなノリで、腕自慢が集まって最後まで残った奴が勝ち、という試合を描いたらしい。若き日のスコット・アドキンソンも出演。

さて、そこで監督自らが出演したアクションシーンがあるんですが、これが結構間抜けなキャラでして。自分の作品なんだから「いいとこ取り」しても不思議じゃないところ、実に情けない感じで負けてしまう役。トンさん、なんという奥ゆかしさ(笑)。
いや、待てよ、ひょっとしたら、アクションシーンに変化をつけたい、息抜きに上手なやられ役を出してユーモアを入れたい、と考えたところ、マーシャルアーツ系の人間ばっか集めたためにそんなスキルを持ってる奴が誰ひとりいなかったというのが真相か?
確かにああいうやられ演技とか動きって難しいもんな~、仕方ないから監督自ら、その役をやるしかなかっただけだったりして。実際、監督めちゃ動きいいす。痛そうな顔も昔取った杵柄だ。

しかし、この場面のトン・ワイのビジュアルが超イケてる。自分としては妙に気に入ってしまいました。体脂肪のない身体に黒の衣装のなんと似合うこと、そして超ロングヘア、さらさら。

近年の彼は長髪のイメージが自分にはありまして。これがもし地毛なら相当イケてますよ。

そこでいきなり彼のバイオグラフィーを真面目に捜したりしてしまいました。
動作監督作はしょっちゅう観ていても、主演で観た作品は少ないし、カメオで気がつかなかった映画もある。
んで、断片でもあがってないかな~とつべを捜したところ、思いの外長時間トン・ワイタイムをしてしまいました。

彼、結構アクションなしの映画にも友情出演してるんですよね。
たとえば、ジェイコブ・チャン監督の「自梳 Intimates」(97年、日本未公開)。

これ、初めて観ましたがすごくいい映画でした。
日本では「女ともだち」として97年の東京国際映画祭で、そして「自梳 Intimates」として2000年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でだけ上映されて、日本公開はされなかったようです。なんでだろ、勿体ない!
出演はカリーナ・ラウ、チャーリー・ヤン、テレサ・リー他。
ここでのトンさんはカリーナ・ラウ姐さんの夫役。絹工場のオーナーですね。
妻を7人も抱えているやり手には到底見えない優男ぶりと長髪を縛ったお姿に、ちょ!と思ってしまいましたよ。が、監督によると「あのビジュアルがよかった」とかで、作る側にはあのロン毛が決めてだったのかも。
演技力を発揮する見せ場もある、そこそこ登場時間の多い役。またもやメガネかけてました。

最近だとダンテ・ラム監督、エディソン・チャンとホァン・シャオミンの「スナイパー」(2009年)にもカメオ出演。

エディソンの父親役、真面目に働いてる息子にくらべ見事なダメ親父ぶりをいかんなく発揮。派手なアロハ風シャツが、より一層チンピラぶりを表してます。

あの超ロン毛が本物かどうか、似た年代を調べてみようと今度は成龍の「アクシデンタル・スパイ」(2001年)のメイキングを。

彼は武術指導として参加。このメイキング、何度も観た気でいたけどトン・ワイなんか捜したことがなかったよ。よく見るとちゃんと成龍の後ろとかにチョロチョロ映っていたのでありました。が、頭にバンダナ巻いたうえに、ことごとくピントがあってないので、ヘアスタイルまで確認できず。とほほ。

お次はラウ・チンワン主演の「我要成名/My Name Is Fame」(2006年日本未公開)。監督は劉国昌(リウ・グオチャン)。

いわゆる映画界バックステージもの、イーキン・チェンとかレオン・カーフェイとかゴードン・チャン、アン・ホイなど有名映画人が自分の役で出演したりしている。そこでトンさんもご本人役でアクション指導している場面が。
彼の指導作のメイキングってちゃんとみたことがないので結構楽しかった。

ストーリーは売れない俳優と若い女優のお話。なんとなくラウチン本人にダブる部分があるのでは?とか想像してしまい、おもしろかった。これでラウチンは実際に香港金像奨の最佳男主角を獲ったという偶然に、より一層の趣があるんだよね。うん、彼の演技はとってもよかった。

最後は、どこに出てたのか多分ほとんどの人がまったく気がつかなかっただろうジェイコブ・チャン監督、レスリー・チャン主演「流星 THE KID」(99年)。

トン・ワイ目当てでものすごく久しぶりにこの映画を観たら、結局最後までしっかり鑑賞してしまいました。やはりいい映画です。レスリー素晴らしい!子役の男の子、天才的。
んで、昔見た時に号泣したティ・ロンが無線で悲しい報告をした後に男泣きする同じシーンで、自分も再度泣いてしまいました。しかも「うそ~、それはないよ~」と、まったく同じことを言いながら。ここはある意味自分にはラストシーンよか悲しいです。

さて肝心なトンさんですが、覚えてないぜ、どこで登場したのやらと思っていたらレスリーの息子がゴミ集積車の下に隠れて、それを知らずに車を出してしてしまうドライバー役。ほんまにその辺のエキストラにしか見えないじゃん!これは余程トン・ワイの顔をすぐに認識できる人じゃなきゃ分らんわ(笑)この時の髪が、まさに「Extreme Challenge」と同じくらいの背中までありそうな長髪(しかも茶パツ)。それをベージュのサテンのシュシュでまとめておりました。

と、何週間もかけて、またまたまた何の役に立つのか、知ったところで誰にも感心も共感もされないウンチクだけがひとつ増えてしまったのでした(笑)。

これは夜、トン・ワイが夢に出てきてもいいくらいのノリですな。いや、別に出てこなくていいんだけどさ(笑)。

 

 

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まいった。

いや、まいった。
大阪で仕事を終えホテルに宿泊して翌日帰ろうかと思ったら、いきなり新大阪に向かうタクシーの中できりきりっとお腹が痛くなってしまいました。
あれよあれよと言う間に血の気が引いていくのがわかります。
とりあえず必死の思いで駅のトイレに入ったのですが、今度はトイレから出られない。
嘔吐が止まらないわ、お腹はギリギリ痛いままだわ、脂汗を流し、言葉も出ない。なんだかんだで1時間近くトイレに籠っておりました。
どうしたものか、困り果てて大阪に住む兄夫妻の所に息も絶え絶えにトイレから電話。
義姉が出て「ケイちゃん、ドアの外には人がいる?だったらとにかく外にいる人にお願いして救急車呼んでもらいなさい!」とアドバイスを受けました。

そこでまた少し時間をかけて、なんとか立てるようになったので自力でそこを出て近くにある鉄道警察交番へ(場所はわかっていました)。そこで、交番のお巡りさんに救急車を呼んでいただきました。
正直いうと、救急車に乗る頃にはだいぶ落ち着いていて、なんというか、このバツの悪いことったら(汗)。でも、無理して病院に行かず新幹線に乗って、そこでまた同じ症状に見舞われたら困る。その一念で病院に行くことになりました。

どうやらウィルス性腸炎だったようです。
病院から心配しているだろう義姉に再度電話をしたら、彼女はすでに新大阪に到着したところで必死に駅員に救急車で運ばれた人がないかどうかを尋ね回っていたところでした(涙)。
点滴を受けているところに、義姉が病院に来てくれました。本当に心強かった、ありがとう。

それにしても、これが新大阪でよかった。
多分、自分は渋谷駅より新大阪駅のことのほうがよく分ってる。
トイレの位置も交番の場所も。これはある意味幸運でした。これがまったくわけのわからない東京の駅や地方の出張先だったらと思うと、ちょっとゾッとします。

1時間ほど点滴をしたのちに、無事に新大阪に向かい東京に戻ることが出来ました。
しかし、交番や救急車や病院で「昨日の生放送ではお元気そうだったのに」といったようなお声を掛けていただいたのには、嬉しいやら情けないやら恥ずかしいやら。とほほ。
昨日お世話になったみなさま、ほんとうにありがとうございました。
お陰さまで、日付けの変わった今日は拍子抜けするくらい普通の状態に戻っています(人騒がせな!)。感謝でございます。

 

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ルート・アイリッシュ(2010年・英、仏、伊、西、白合作)

ケン・ローチの新作、「ルート・アイリッシュ」の試写に行きました。
上映の前に短いシンポジウムつき。
映画も面白かったけど、このシンポジウムが大変興味深かった。
コーディネーターにピーター・バラカン氏、パネラーに国際政治アナリスト菅原出氏、ジャーナリスト安田純平氏、APF通信代表山路徹氏。

3人のパネラーが口をそろえて言ったのは「この映画は非常にリアリティがある」ということ。
「ルート・アイリッシュ」はイラク戦争時に16万人いたとされる民間兵(コントラクター)に焦点をあてています。
ここで描かれる民間兵とは、いわゆる傭兵とは違います。傭兵とは個人で参加する兵士ですが民間兵は企業が雇った派遣社員みたいな存在。
現代の戦場では、上場をしている民間軍事会社が軍に代わり様々な業務を請け負っているのです。

こういった民間軍事会社は90年代からすでに存在していましたが、大義のない戦争を仕掛けたイラク戦争において、米政府と国防省は「少ない人数でこの戦争を終結させる」というスローガンを掲げてアメリカ議会や国内への印象操作をするために、また米軍の人員不足を補うためにも、それまで軍が担ってきた業務を民間会社に大々的に委託するようになりました。
しかも当時のブッシュ政権の副大統領だったチェイニーが最大手の民間軍事会社ハリバートンのかつてCEOだったことは有名な話。

シンポジウムでは何度も「軍事の民営化」という言葉が出てきました。
この軍事の民営化によって、巨大な利益を上げているのが軍事民間会社です。
軍人ならば死亡に対して国は遺族への補償の義務があり、年金も発生するし、まず常備軍や基地も維持しなくてはならない。
しかし、民間軍事会社に委託すれば、その民間兵が死んでも国は何の責任も負いません。そしてそれは軍の大幅なコスト削減になり利益拡大につながります。

そこでの民間兵の仕事とは、例えば軍事関連施設の建設、警備、食事の提供、物資の運搬、要人やジャーナリストの警護など、イラク人以外の現地にいる人間の生活を守るあらゆるミッションを請け負うこと。

パネラーの安田氏は米軍基地での料理人としてイランに入った経験を持ちます。
民間兵には様々な人種がおり、インド人ネパール人フィジー人などが多かったとか。(プレスシートでケン・ローチは、ボリビア、コロンビアなどのラテンアメリカ系のことも語っています)そのほとんどが退役軍人で、故郷でデカイ家を建てた元民間兵を見て「俺も俺も」と短期で高額な給料が得られることに魅かれ参加した兵士がたくさんいるのだということでした。いわゆる一種の出稼ぎ労働者です。ただ以前と違うのはその派遣先が戦場であるというだけ。しかし、ここでも格差は当然あり、米国人の給料が1万ドルならネパール人は1000ドルという現実も。

そんな背景の中、映画「ルート・アイリッシュ」で一番のカギとなるのは、連合軍暫定当局がイラク議会に強引に通過させた指令17条の存在。
軍人と同じ武装をして業務をこなしていていても、軍に属さないため軍法に掛けられない民間兵。これは、そんな彼らがイラクで刑事処分になるようなことを犯しても、一切処分の対象にはならないという特例でした。
この指令が、のちのイラクの人々にどれほどの恐怖と苦しみを与えることになったか、ケン・ローチはあの地が無法地帯になってしまった一因をそこに見いだしています。

物語は2007年、かつてその民間兵として親友フランキーとともにイラクに渡ったファーガスという男が、帰国後のある日その親友がイラクで死んだと報せを受けたところから始まります。
そして彼のもとに死んだフランキーから届いた携帯電話。そこには親友の死に関わるのだろう、ひとつの動画が残されていました。
その親友の死を独自に捜査していくうちに、ファーガスが直面する国家や軍を超えたビジネスという巨大な力とそれが生み出すイラクの犠牲。

しかし彼もまた加害者の1人であるという事実は変わることはありません。
「少年たちは携帯電話を持ってるだけだったのに!」と嘆く死んだ親友の妻に対して、「あれが爆弾だったらどうすればいいんだ、一番簡単な爆弾なんだぞ!」とファーガスが訴えるシーン。
イラクでは自爆テロの危険が最大の問題で、だからこそ民間軍事会社のマニュアルには、相手が100メートル以内に近づいたら発砲してよいというルールが実際に存在します。
妻であろうと理解できない戦争の恐怖と、そこにさらされた人間の心理。まして親友はその妻よりももっと長く深く主人公に繋がっている男でした。
ケン・ローチが意識したかはわかりませんが、このファーガスが必死に親友の死の真相を捜せば捜すほど、戦争の狂気と男たちの深い絆がほどけないほど強烈にからまっていることも自然に浮かび上がってきます。

1936年生まれのケン・ローチは今年で74歳。
5カ国もの合作で、世界的に有名でないTV出身の俳優を使い、こういう映画を撮れるのも彼だからこそでしょう。

プレスシートに記載されたインタビューで監督はこんな事を言っています。
「私が思うに最大の犠牲者はイラク人だということを忘れてはいけません。彼らこそ苦しんできた人々なのです。こんな事を言うと、議論を巻き起こすかもしれません。でも、私は米国人の兵士が最大の犠牲者であるかのような描き方をしている米国の映画を見るとウンザリしますし、そういった映画が米軍に捧げられているのを見るとさらにウンザリします。確かに彼らだって苦しんできましたが、何百万という戦死したイラク人や、破壊された家庭や、手足を飛ばされた子どもや、爆破された家のことを考えてみてください。400万人が難民となっています。だからこそ私はこの戦争を描いた映画が米軍に捧げられているのを見るとウンザリするのです」

しかしシンポジウムで語られた話だと、一方のイラク政府も現在はその軍事民間会社を真似した組織を作り、反対に米国人を逮捕しているのだとか。軍事会社にかつて雇われていた兵士たちが相次いで独立し、世界中の紛争地帯や戦場で民間会社のいないところなどない風になるのは間近なことでしょう。いや、すでにそうなっているのかもしれません。

映画を見終え木枯らし吹く新橋の街を歩いていると、ふと、どなたかが言った言葉が鮮明に蘇りました。「戦争は今や、世界最大の公共事業なんですよ」

公開は3月31日、東京銀座テアトルシネマほか全国順次公開。

ルート・アイリッシュ日本語予告
ルート・アイリッシュ日本公式サイト

 

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希望という名の光

私が世界中の俳優で一番出演作を見ているのは、60年代から香港功夫映画に脇役で出演している馮克安(フォン・ハックオン)だと前回書きました
では、私が世界中のアーティストで一番お金をつぎ込んでるのは間違いない、山下達郎さんでありましょう。(なにしろキャリアが長いから、発売当時のレコードもたくさん持っているうえに、それをCDで買い直すのは当然のこと、ちょくちょく限定版だとかリマスター版だとかアナログ仕様とか色々発売されるもので・・・一体同じアルバムを何枚持っていることやら)

昨日は古い友人と、その山下達郎さんのコンサートを観にNHKホールに行ってきました。
今まで何度も達郎さんのコンサートには足を運んでいます。
毎回、セットやバンドも含めてそのクオリティの高さと確かな技術で心から楽しませてくれます。
が、この日は正直今まで観た彼のライブでダントツに素晴らしく、身震いを止められないほどの凄さまじさを放っておりました。

昨年の東日本大震災は達郎さんご自身にも大きな影響を与えたということで、ステージのMCでは何度かそれについてのお話も。
震災前に作られたナンバーの「希望という名の光」がその後リスナーに、あの災害で傷ついた人の心に響く1曲として評判をよんでいるそうです。

「ここにいる3700人のお客様ひとりひとりに心をこめて届けます」と語りかけた「希望という名の光」は聴いていて知らず知らずのうちに涙が。
50年近くも生きていれば、歌の持つ説得力というものを色んな場面で感じることがあったりします。
この日のこの曲も本当にストレートに心に沁み入ってきて、様々なことが胸をよぎりました。

毎回彼のコンサートに行くたびにその客層の年齢の近さに感心しますけど(笑)その安心感もまた他のライブにはない、独特な雰囲気を醸し出します。
当然集まった何千人という観客が持つ人生や背景は違う。けれど歌は、その違うはずの人のそれぞれのハートに、あなたを照らし続ける希望という名の光をどうぞ忘れないで、と語りかけることが出来るのですね。
すごく当り前の事なのかもしれませんが、あらためて歌の持つその力の大きさに、そしてそれを支える山下達郎というアーティストの想像を絶する努力と眩いばかりの才能に対して畏敬の念すら抱いてしまいました。この日、この曲を聴くことが出来た私は本当に幸運です。

後悔があるとすると、いつもは2階席が多いためクラッカーを持って行かなかったこと。(さすがに2階でクラッカー鳴らすと目立ちすぎると思うのよ)
この日は運よく1階の座席。油断せずにやはり持って行くべきでした(笑)。

そうだ、終演後にロビーに作曲家の川井憲次さんのお姿が。
葉問のレビュー書いたことがご縁で、川井さんとは何度かメールのやり取りをさせていただいております。「いつか仕事場に来て下さいよ!」とお声を掛けてくださっていますが、お忙しい方なのでなかなか実現せずにいました。
なんという偶然でしょうか、やっとお目にかかってご挨拶することができました。聞けば高校の時から達郎さんのファンなのだとか。嬉しいことです!

帰りは渋谷の居酒屋にてハーパーソーダ割りを飲みながら、友人を相手に最初から最後までずーーーっと達郎さんの話だけを熱く語り散らかしてしまいました。当分は自宅にて達郎さんの歌しか聴かないことは明白であります、てか、もうすでにこれ書きながら達郎祭りだし。

Ray Of Hope 山下達郎(6年ぶりのオリジナルアルバム)

 

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洪家拳対詠春拳(1974年・香港)と少し「ドラ息子カンフー」

監督
張徹(チャン・チェ)

出演
傅聲(アレクサンダー・フー・シェン)
戚冠軍(チー・クワンチュン)
袁小田(ユエン・シャオティン)
江島(チャン・タオ)
馮克安(フォン・ハックオン)
梁家仁(レオン・カーヤン)
王龍威(ワン・ロンウエイ)
劉家輝(ラウ・カーフェイ/リュー・チャーフェイ)
劉家榮(ラウ・カーウィン)

動作指導
劉家良(ラウ・カーリョン)
唐佳(トン・ガイ)

観ながら、なんだか色んな事をたくさん考えてしまった映画。
と、いっても別に分りにくい話でも哲学的な主張があるわけでもなく、つらつらと様々な連想が次から次へと沸いてきてしまったのに少し驚きました。はたして上手にまとめられるかな。

冒頭、関帝廟で少林寺派の武館と満州人の武館がのっけから対立。
ずらっと並んだ顔触れに江島の顔を発見しただけで、こいつが仇役だと一発で分ってしまうくらいには功夫映画を見ているということでいいのですかね(いやいや、あの顔は初めて観た人でもわかるだろ、とひとまずここはノリツッコミ)。
そこではまず、動作指導を務めた劉家良師父の実弟、劉家榮が関刀を使っての見事な演武を披露。おお、年相応だし目立ってるじゃん!これはひょっとしてストーリーにからんだキャラか?とワクワクしてたら、さっさと殺されてしまい遺恨の火種になる役回り。とほほ。
義弟の家輝にくらべて家榮には何故かいつも厳しい家良兄貴。たまにはいい役をつけてやってくれよ~。

話は、漢人の少林寺系の武術家壊滅をもくろむ朝廷側の武館が主人公たちを根絶やしにしようと攻撃し、仲間を殺された生き残りが修行を積んで復讐するというお決まりのパターン。

74年作のこの映画、特筆すべきはお馴染みの出演者全員がすこぶる若い、ということに尽きるでしょうか。
これがデビュー作になった家輝はいつもの辮髪ではなくショウブラ名物なんちゃって辮髪(真面目に前頭部を剃らず、髪を後ろになでつけただけの三つ編み)というヘアスタイルで、今となってはむしろ珍しい姿かも。目力もそれほど強くなくて、なんだか少々弱々しい。

それはデビュー間もない悪役の王龍威や梁家仁にも当てはまり、梁家仁なんて髭がないうえに若いものだからしばらく誰だか分らなかったよ。
髭剃った彼は何度見てもどこで見ても違和感が拭えん。

それに加えて敵側に当然のようにいる馮克安。
(かつて自分もそうでしたが)80年代以前の香港功夫映画を知らない人には、いつも成龍にやられる悪役というイメージしかないかもしれないこのオッチャン。その実態はうんと昔、60年代後半のショウブラ映画からこうしてずーーーーーーっと悪役として活躍しているお人。

世界中の俳優の誰と比べても自分は馮克安の出演作を実は一番数多く観ていると、断言していい。しかもモブシーンでなく、ほとんどを台詞がある役で登場しているのだからスゴイ。
そしてもっと驚くことに、今なおその姿をスクリーンで見るどころか、2010年の「イップマン葉問」では八卦掌の師父役(2人目の人ね)として甄子丹と円卓の上で闘った男なわけで。
もうね、今や登場したら即、拝んでもいいくらいの域に達しとるよ。

そういう役者がいる一方で、この映画にはフー・シェンのように29歳という若さでこの世を去った俳優もいます。
74年といえば20歳の彼が初主演を飾った年。
とにかくここでのフー・シェンが思いっきり瑞々しくてキレがいい。
よく見ると特別美男子というわけではないのだけど、にじみでるチャーミングさと溌剌とした姿は「選ばれしもの」の風格がすでに備わってます。

彼が亡くなった時、映画界はもちろん香港中が悲しみに沈んだと聞きました。
それほどみんなから愛された人だったのでしょう。40年近く経ってもその姿はフイルムにとどめられ、没後もたくさんの人に観てもらえる。そしてそのうえに、こうして彼の持って生まれた才能に新たに魅せられる人間もいるのです。
音楽や文学、芸術などはみなそうですが、映画ってやはりすごいんだな、とあらためてその普遍性、浸透力をしみじみと感心してしまいました。うらやましい。

そのフー・シェンとともに主役を担うのは、その後何本もコンビを組んだ戚冠軍。背が高く切れ長の目にすっとした顔立ちの彼のその姿は、時折彫刻を思わせるような神々しさ。
このふたりが最後の決戦におもむく白装束は本当に素敵。
肉体美派でない自分としては、その上着を闘う前に脱いでしまったのが心から残念です。あの白い衣装姿を、できたらずっと見ていたかった!

↓左フー・シェンと€戚冠軍。なぜカタカナと漢字かは気にしない!

さて今作ではその2人が復讐のためにそれぞれ虎鶴双形拳と詠春拳を修行するのですが、そこで感じたのは洪家拳の大家、本物の武術家である劉家良師父といえども他流派の詠春拳を描くことは難しかったのだろうか、ということ。

戚冠軍が詠春拳の達人に弟子入り志願した際、受け入れた師父が黙って中に通したのでこっちは当然「木人椿くるー」と予想。当然のことながら、即座に戚冠軍の木人稽古を脳内に描いてしまったわけですよ。
しかしここでの師父は大きな鐘の前に立つやいなや、やおら短距離からすっと突きを出して鐘をゴーンと打ち鳴らすではありませんか。

こ、これは多分・・・ワ、ワンインチパンチ。

そう、あのブルース・リーが得意としていたワンインチパンチが、ここでは詠春拳の極意として登場し、戚冠軍はひたすらこの突きの修行を延々繰り返すのです。

そう思うと、功夫映画の中で丁寧にきちんと描かれた詠春拳って、ありそうで実はとても少ない。(デフォルメされたものなら何作か見たことはあるし、これもそのひとつかとは思う)有名な俳優でもティ・ロンやリー・ホイサンのように詠春拳の高手はいるのですが、映画の中ではあまり活かされていませんでしたよね。
一方TVでは詠春拳を題材にしたドラマは結構あるらしい。が、残念ながら自分はちゃんと観たことがないので、それらが本格的なものかどうかの判断はつかず。

甄子丹のイップマンシリーズ以前に、映画でこの詠春拳を正面から扱ったのは81年に制作されたサモハン監督ユン・ピョウ主演の「ドラ息子カンフー」くらいでしょうか(他にあったらすみません、あるとしたらどなたか教えてください)。

この映画のなかで実際に詠春拳の使い手でもある林正英(ラム・チンイン)が見せた華麗な詠春拳の動きに、心からうっとりしたことは今でも忘れられません。そういえばこの方も97年に44歳という若さで鬼籍に入ったのでした。

林正英といえばキョンシーシリーズでの道士役が有名です。
けど、自分としては、この時のラムさんが一番好き!詠春拳をまったく知らなかった当時の私にすら、その本物の放つ輝きは充分わかりました。
ちゃんと木人椿も登場したし、中心から力のほとばしる突きと無駄のない攻撃のよけ方、足のさばきなど、ラムさんの動きや台詞から詠春拳の特徴もきちんと伝えることができていたのではないでしょうか。動作指導はサモハン、ユンピョウ、ラムさんなど洪家班のみなさん。
二十数年後、葉問が生きていた時代の詠春拳を真摯に再現しようとした「イップマン序章」において動作監督をサモハンに依頼した裏にはこの映画の印象も大いに影響したことでしょう。

「ドラ息子カンフー」は最近廉価盤で再販されたようなので、機会があったら是非ご覧いただきたい1本でございます。京劇の女形でありながら詠春拳の達人でもある師父のラムさん、演技も含めてすべての動きがマジしびれるから!

なんだか、チャン・チェの洪家拳対詠春拳を語るつもりが最後は別の映画のことになってしまいました。とりとめもない事を書き散らかした感じですが、観ながらほんとうに色んな事が浮かんできてしまったんだから仕方ない。
途中の修行シーンや女子とのエピなど、ちょっと飽きちゃうところもなきにしもあらずですが、チェン・チェといえども、あれだけ数作ってたら濃淡はあるわね。

洪家拳対詠春拳予告1
ドラ息子カンフー予告

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東日本大震災から 1年によせて

今年のその日、その時間に日本中の至るところで黙祷がささげられ自分も一緒にいたしました。

あれから1年たった今も恐らくは何も変わっていません。
変わったとしたら瓦礫が片付けられ各地で更地になったことくらいでしょうか。しかしその撤去したはずの瓦礫もどこに運べばいいのか、行き先も決まらずにただまとめられただけ。

この間に、個人的なボランティアと仙台放送の仕事で、かつて訪れ被災した地域にもう一度伺う機会が何度か自分にもありました。
その時思ったことのひとつとして、働くということがどれほど人にとって大事かということ。
被災地で自身も家や家族を失くし、しかし役所やボランティアセンターで働くたくさんの方々。雇用を絶やしてはいけないと懸命に復興に向けて立ち上がった経営者、仮店舗で互いに協力しながら居酒屋を始めた民宿のご主人たち、せめてできることをと、知恵を絞りかつて持っていたノウハウを生かして違う雇用や仕事を作ろうと懸命な人達。
働くということがどれほど励みになり生きる糧となるか、その姿を見ていてつくづく思い知らされました。

いま被災地では、働きたくても雇用が少ない、また自分にマッチングした雇用がないなどの理由で他の場所に流失する人材が多くいます。
東北の産業としてそのほとんどを担っていた農林漁業その加工業などが壊滅的な被害をこうむったためです。

この逆境を大きな反発材料にすることもできず、被災者や被災企業に対しての支援もままならぬまま、かといってインフラ整備もおぼつかない。この大きな災害を教訓にする気もなく自分の任期をただやり過ごそうとしかしない。この1年、国政はどこを向き何をしてきたのかと考えると暗澹たる気持ちにさせられます。

忘れない、終わったわけでは当然ない、できることがあるならば自分には何が?情緒だけでも解決できない、これは未来に続き影響することと自覚する、そんなことをまた改めて強く感じさせるこの日です。

 

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プロジェクトD(1979年・香港)

監督
張同祖(ジョー・チョン/チョン・トンチョー)

出演
洪金寶(サモ・ハン・キンポー)
董迹求iトン・ワイ)
李海生(リー・ハイ・サン)
孟海(マン・ホイ)
高飛(コー・フェイ)
鐘發(チュン・ファット)
大細眼
陳龍(チャン・ロン)
黄哈(ウォン・ハー)
黄杏秀(ウォン・ハンサウ)
惠天賜(オースティン・ワイ)

武術指導
洪金寶(サモ・ハン・キンポー)
林正英(ラム・チェン・イン)
元彪(ユン・ピョウ)
梁家仁(レオン・カーヤン)ほか洪家班のみなさま

邦題「プロジェクトD」のDとは当然デブゴンのD。
デブゴンシリーズといいつつも「燃えよデブゴン」とは、またまた関係なし。
とにかく、この頃日本ではサモハンが出ている映画の邦題はなにもかも全て「デブゴン」表記になっていたということですな。どうやらTV放映の際には「デブゴン9」というタイトルだったらしい。

やっとデブゴン祭りに軌道修正、と言いたいところだけど、実はこれ、映画界で1,2を争う売れっ子武術監督であるトン・ワイの若き日の主演作(めっちゃカワイイ)。

トン・ワイといえば、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」でリー先生に「Don’t Think. Feel!」と名言を言われつつ、頭をはたかれていた少年として有名ですが、その後主役を張る武打星となり、現在では受賞回数多数、毎年のように香港や台湾の最佳動作導演賞にノミネートされる超有名動作監督に。

↓使用前

↓使用後

それに加えて、孟海や惠天賜、「必殺!蟷螂拳」にも出演していたキュートなお嬢さんの黄杏秀なども素晴らしい動きを披露していて、ひとり心の中でガッツポーズ。
特に美青年時代の、動く惠天賜を初めて観たのでなんかすごくテンションがあがっちゃった。
彼は、あの劉家良のもとで女武打星としてキャリアをスタートさせた惠英紅(ベティ・ウェイ/クララ・ウェイ)の実兄。(なぜ日本語表記だと名前の読み方が兄妹で違うかはキニシナイ!)すごい美形兄妹です。昭和のアイドル風でこの惠天賜がまたいいんだわ。

↓おまけの惠天賜、使用前

↓使用後

今作はどうやら洪家班はじめての動作設計作と位置付けられているようで。

サモハンといえば七福星で知られる中国戯劇学院出身ということは有名。
一方主演であるトン・ワイも当時香港で一流といわれた春秋戯劇学校で京劇を学んだ男。この映画の共演者である鐘發、孟海と惠天賜、そして武術指導の林正英も同門。

こうして並べるとこの頃の映画界芸能界を、いかに京劇出身者がリードしてきたかが、あらためてよくわかります。そういう意味でも、これはものすごーく京劇風味たっぷりの80年前後の楽しい功夫映画ということができるでしょう。
さすがにここでは「小刀会序曲」はかかりませんでしたが(笑)京劇の音楽はしっかり使われてました。

ブルース・リー亡きあと、大ブームを巻き起こした成龍の拳シリーズ。(彼もまたサモハンと同じ中国戯劇学院出身)
あのシリーズでお馴染みにもなった功夫の修行エレメンツは、恐らくこういった京劇学校で幼少のころに経験した実際の修行と重なる部分が大いにあるのでしょう。(むしろ映画では現実よりずっとソフトに描いていると思う)
サモハンを師父に修行に励むトン・ワイのシーンもなかなかハードかつユーモラスで、観ていてすごく面白かったし、なにより彼の柔軟性と動きの良さには目を瞠りました。

アクションシーンも1対2、1対複数、白打、槍対棒、詠春拳や洪家拳、そのうえアクロバティックで派手で工夫がいっぱい。

若き日のトン・ワイのスキルの高さに喜ぶとともに、なにをさせても華のあるサモハンの魅力にまたしてやられた一本。ダレるところもなく、最後まで非常に楽しめました。サモハン好きとトン・ワイファン(いるのかどうか知りませんが)は必見。

それにしても監督の張同祖ってキャリア長いんだなぁ~、すごい。

李小龍 Don’t Think. Feeeeeel!

↓最後に、この人の使用(略

↓(略

 

 

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蕾のままで

雪景色から一転、よく晴れ渡った今日は母親とふたりで西武線に乗って所沢にある霊園に飯干家の墓参りに。
今年は父親の十七回忌。先月身内だけで自宅にご住職をお招きし読経していただきました。
またこの節目は父ゆかりの様々な方々と久しぶりにお目にかかる機会ともなり、皆さんと父の事を話すにつけ、あらためて様々なことが胸をよぎります。

さて、霊園への道中、母に今やってることや終わる仕事、また春から新たに始まる仕事などを報告。
母の友人のお孫さんがどれほど優秀かという噂をひとしきりした最後に、彼女が「それにくらべて、我が家の子供達はみんな心配事が絶えへんわねぇ」と言うので「私達兄弟が何の問題もなく安心してすぐ死んじゃっても困るんで、心配事があったほうが、いつまでも元気で長生きできるかもよ!」と言っておきました。

で、さっき母と別れて自宅に戻り、さて原稿でも書くか、と思ってその前に(いつもこんな調子)ネットでつらつら色々ニュースを見ていたら、なんと「功夫・詠春」(2010年、日本未公開)という功夫映画の主演を務めた女優、白静(バイ・ジン)が亡くなった、というニュースが。

えええ、と驚いていたら、もっと驚くことに彼女は、夫によって彼女の母親とともに自宅で刺殺され、その後その夫も自殺してしまったというではありませんか。
このニュースを知るまで、彼女が結婚していた事も知りませんでした。
夫の職業は弁護士。仙居県政治協商会議の常務委員、台州市の人民代表大会代表も務めていたという超エリートで資産家の生まれ。この2人の結婚には、当然周家は大反対。

彼女が友人に生前漏らしたところによると、夫は束縛が激しく、飛行機に乗る直前、降りた後など常に自分の居場所を電話で報告しなくてはいけない状態だったそうです。
記事によると、今年1月に亡くなった夫の母親のことをめぐり最近は口論が絶えなかったとか。

ただこれは自分が読んだ一つの記事なので、これからもっと色々な事が取り沙汰されたり、真偽のほどはともかくほかのエピソードが出てくるのかとは想像します。
こういうことはどの国でもそうですが、報道されてることのどこまでが本当やら。

私は彼女をその映画でしか観ていませんが、とにかく明るく溌剌とした女の子という印象が強烈で、撮影前に葉問師父のご子息である葉準さんのもとで半年訓練を受けた成果か、見事な木人椿稽古姿を見せていたことを思い出します。

作品も女性が主人公のアクション映画では近年稀にみる秀逸のデキ。彼女がこれで弾みをつけて本格的な武打女星になってくれることを大変期待していました。

その後は、ストレートプレイの電視劇などに出演したのち、昨年2011年に「自古英雄出少年」というドラマで「功夫・詠春」でも動作監督を務めた江道海(コン・タオホイ)から再び指導を受け、久々に功夫を披露。彼女がまた銀幕でアクションを見せてくれることを心待ちにしていたのです。
まだ28歳。あまりにも早すぎる衝撃的な幕切れです。

大輪の花を咲かせることができたかもしれない白静が、蕾のまま、短いその生涯を閉じたことを心から悼みます。

彼女の映画での遺作となってしまった「功夫・詠春」レビュー

 

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燃えよデブゴン/ 豚(トン)だカップル拳(1978年・香港)

デブゴン祭りかと思いきや、地味にひっそりと劉家榮祭り開催中・・・

監督
劉家榮(ラウ・カーフェイ)

出演
劉家榮(ラウ・カーフェイ)
洪金寶(サモ・ハン・キンポー)
梁家仁(レオン・カーヤン)
石天(ディーン・セキ)
麥嘉(カール・マック)
李海生(リー・ホイサン)
火星(マース)
林正英(ラム・チェンイン)
陳會毅(チェン・フォンイー)

武術指導
劉家榮(ラウ・カーフェイ)
洪金寶(サモ・ハン・キンポー)

ひとこと、傑作!
もうね、痺れるような功夫要素がギュっとつまっていて、観てる間中、ずっとニヤニヤしっぱなしの、どこを切ってもめっちゃくっちゃ面白い作品。

それだけに今となってはこの邦題に例えようのない悲しみがこみ上げてきます。
ひと目見て腰から崩れ落ちそうな邦題はこの世に数あれど、これは我が映画ファン人生でのワースト3に間違いなくランクインされるでしょう。ひどい、ひどすぎる(涙)。

日本ではなぜかデブゴンシリーズとしてカテゴライズされているのですが、本来はまったく関係なし。監督もサモハンじゃなくて、もう一人の主役を演じた劉家榮だし。
作りは、オーソドックスな功夫ものです。のっけから18種類もの武器の説明から演武に雪崩れ込む、実に劉家印な始まり方。
(そして、劇中またもや、あの「小刀会序曲」が!なんというサモハンと序曲のシンクロ率!)

さて槍の達人、劉家榮と、剣の達人、サモハンは昔からの因縁のライバル。
この2人、年に一度は勝負する高手同士なのですが、いい加減ジーサマになってもまったく決着がつかないことから「弟子を育てて10年後に勝負だ!」と次世代に勝敗を託すことに。そこで劉家榮師父がサモハンを(1人2役)サモハン師父は劉家榮を(同じく1人2役)弟子に取るという流れ。

この弟子の取り方も個性が違ってすごく笑えました。
特にサモハン師父、やることが無茶苦茶です(笑)。んなアホな~。その常軌を逸した方法は是非その目でお確かめください。

それにしても、この映画、師父と弟子をそれぞれが2役するという発想自体で、もう勝ったも同然です。そのうえ、キャラが各自立ったうえにストーリーに破綻も少なく、お馴染みの脇役が彩りを添え、エンディングも非常に丁寧で素晴らしいデキ。

なにしろ両者合わせて4役ですからね、全体の9割近くはこの人達が出ています。でもって、そのほとんどは闘ってるか修行してるかですよ!
キレのいい2人の動きとその高度な功夫技術、カット割りの少ない長回しにロングショット多用のシンプルな絵作りは、なんというか実に理想的。
かといってダラダラ長すぎず適度にカットは変わるしリズムにも充分変化があって、まったくもって飽きない。
もうね、こんな幸せな映画はそうそう多くはありませんってば。

ラスボスは長柄刀を手にした梁家仁(レオン・カーヤン)。
以前彼が映画界に入ってから功夫を始めた俳優であると知り、驚いた覚えがありますが、今作ではこの難しい武器を手に堂々と劉家榮やサモハンと渡り合っており、あらためて彼の並々ならぬセンスの良さに感激しました。
片や京劇の大家、そして片やあのリアル黄飛鴻の直系の孫弟子にあたる劉家の5番目の子供ですよ!カーヤンすんばらしい。

大好きな劉家榮ですが、兄弟で出演しているものより、なにげにサモハンと組んだ作品の方が彼のいいところが活かされているのでは?と秘かに思っている自分。
デブゴンシリーズのカエル拳対カニ拳も良かった。(残念ながら、この邦題もひどすぎますが)
サモハンのコメディセンスと劉家榮の武術愛って何気に相性が良かったのかもしれませんね。

とにかく、誰が何といってもこれは功夫映画の傑作です。

 

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燃えよデブゴン/カエル拳対カニ拳(1978年・香港)

この間、「燃えよデブゴン/正義への招待拳」に小刀会序曲が使われていることを唐突に思い出し、それを確認するためにびっくりするくらい久しぶりに観てみたらこれが存外面白くて、自分の中でなんとなくデブゴンシリーズが再燃してしまいました。

以前観たはずの映画も記憶があまりに古すぎるうえ、色々知ったりした今では、同じものでも印象が全然違う。
サモハン、やっぱりすごいわ。感激。

監督
麥嘉(カール・マック)

出演
洪金寶(サモ・ハンキンポー)
劉家榮(ラウ・カーウィン)
石天(ディーン・セキ)
白彪(ペイ・ピャオ)
李海生(リー・ホイサン)

武術指導
洪金寶(サモ・ハンキンポー)
劉家榮(ラウ・カーウィン)

ご存知サモハンのデブゴンシリーズとして日本でリリース。
しかし実態は大人気を博した「燃えよ!デブゴン」とは1ミリも関連のない映画。
今作ではサモハンとともに、劉家良の実弟、お気に入りの劉家榮(ラウ・カーウィン)がもう1人の主役。いやっほう。

劉家良の弟ながら、目立つ役でのヒット作はあまりなく、むしろ動作指導の作品のほうが多いかも。日本でも有名な作品としては成龍の「サンダーアーム」やリンチェイのワンチャイ1である「天地黎明」などに名を連ねています。

ショウブラでの役者、劉家榮はなんだかんだと老け役や悪役、師父役の印象が強く、自分も若くてはつらつとした彼を観る機会はそれほど多くありません。

ほかの兄弟と違い、垣根なく色んな制作会社の映画に出演していたりするのですが、残念ながら、そういった会社が作った彼主演の映画は日本未公開であるうえに、買いたくてもすでに市場に出回ってないものばかり。

そう言う意味でも、デブゴンシリーズでの劉家榮は貴重だし、年相応で抜け目ないこのタイガーというキャラクターはとっても素敵です。

冒頭の登場シーンのクローズアップに「おおおおおお家榮おっとこまえ!」と、つい声が漏れてしまいました。

常に微笑みを絶やさぬ(たとえチンピラの役でも)隠しても隠しきれない不思議な品の良さが彼のいいところ。(照れたような口をとがらせてご満悦な表情は兄、劉家良とそっくり)

お話は、このタイガーとデブゴンが互いを出しぬこうとしつつも、共通の利益のためには手を結んだり反目しあったり、そう、一種のバディものですね。

ところで、作中ちょっとでしたが杜少明(トウ・シウミン)の登場する毒のくだりにはマジで大声出して笑ってしまいました。
こんなにベタな功夫コメディで心底笑ったのは「プロジェクトA」の自転車シーンと「燃えよ!デブゴン」の教授の回想シーンと「搏命箪刀奪命槍」の弟子を取るために酷い事をするサモハン師父以来かも(デブゴンばっかだ!)。

アクションの方は、サモハン単体の時と劉家榮単体の時ではやはり少し見せ方の差があるのは感じます。劉家榮が動くと急にショウブラ臭が漂うのはいたしかたないところ。しかしこうして時間を経てしまえば、それはそれ、これはこれ。

終盤の白眉和尚(演じるのは李海生/リー・ホイサン)とサモハン+劉家榮の闘い、そしてラストバトルのサモハンvs劉家榮は、ほんっっとむちゃくちゃ見ごたえがありました。特に、2人の三節棍勝負には大コーフン。はぁ幸せだ。

復讐功夫ものに飽きた頃合いに観ると、ものすごく新鮮な一作です。

 

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