東日本大震災から 1年によせて

今年のその日、その時間に日本中の至るところで黙祷がささげられ自分も一緒にいたしました。

あれから1年たった今も恐らくは何も変わっていません。
変わったとしたら瓦礫が片付けられ各地で更地になったことくらいでしょうか。しかしその撤去したはずの瓦礫もどこに運べばいいのか、行き先も決まらずにただまとめられただけ。

この間に、個人的なボランティアと仙台放送の仕事で、かつて訪れ被災した地域にもう一度伺う機会が何度か自分にもありました。
その時思ったことのひとつとして、働くということがどれほど人にとって大事かということ。
被災地で自身も家や家族を失くし、しかし役所やボランティアセンターで働くたくさんの方々。雇用を絶やしてはいけないと懸命に復興に向けて立ち上がった経営者、仮店舗で互いに協力しながら居酒屋を始めた民宿のご主人たち、せめてできることをと、知恵を絞りかつて持っていたノウハウを生かして違う雇用や仕事を作ろうと懸命な人達。
働くということがどれほど励みになり生きる糧となるか、その姿を見ていてつくづく思い知らされました。

いま被災地では、働きたくても雇用が少ない、また自分にマッチングした雇用がないなどの理由で他の場所に流失する人材が多くいます。
東北の産業としてそのほとんどを担っていた農林漁業その加工業などが壊滅的な被害をこうむったためです。

この逆境を大きな反発材料にすることもできず、被災者や被災企業に対しての支援もままならぬまま、かといってインフラ整備もおぼつかない。この大きな災害を教訓にする気もなく自分の任期をただやり過ごそうとしかしない。この1年、国政はどこを向き何をしてきたのかと考えると暗澹たる気持ちにさせられます。

忘れない、終わったわけでは当然ない、できることがあるならば自分には何が?情緒だけでも解決できない、これは未来に続き影響することと自覚する、そんなことをまた改めて強く感じさせるこの日です。

 

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