あれから1週間

まずはじめに、東日本大震災で被災された方々に心からのお見舞いを申し上げ、この有事に身を挺して従事していらっしゃるたくさんの関係者に心からの敬意を表します。

そして今も不安な気持ちでいらっしゃる、たくさんの方々に何が出来るか、日本中が必死に考えています。

頑張ってなどと言えません。
ひたすら祈るように、せめて余震がなくなることを願い、すこしでも被災された方々に安心な日々が来ることを望みます。

東北や茨城で被災された皆さんにくらべれば、どうってことのない東京に住む高齢の母親ですら最近、精神的にまいっています。

あの日、東京の巣鴨に友人といた彼女は、そのまま帰宅難民となり解放していただいた巣鴨のスポーツセンターでお世話になり事なきを得ました。
その時は気が張っていたのでしょう、元気で帰宅してきたのですが、しばらくすると何もする気がおきない、と言いだしたのです。
車で5分ほどの場所にいますが母は1人暮らしです。

時折、私の所に来るとテレビの地震情報にかじりついています。
情報は大事ですが、彼女の不安はテレビの見過ぎではないかと思ったので「少し、テレビを控えて」とお願いしました。

特にこの1週間は通常放送がないために1日中、地震報道で埋め尽くされていました。

実際、東京に住んでいる私が見てもちょっと大げさかな、と思う東京の情報もあったりして、それは他府県に住む友人達からきたお見舞いの連絡でも感じとることができます。
私はこの2年ほど仙台放送でロケの仕事をしていました。
ですので今回甚大な被害に見舞われた沿岸部を何度も訪れ、ものすごく愛着のある場所でもあります。
そんななか、日本中が自分に出来ることは何かといつも考えています。

個人的には今の時点では結局、慌てず騒がず、待機電力を切り暖房はヒーターひとつにして節電に協力し、出来る範囲で募金を行い、日常を生活することだと思いました。
ニュースはピンポイントで見て、なるべく自分に圧力を加えない。
たとえば私はタクシーを使うこともあります。
エネルギーの消費だとお怒りになる方もいるかもしれません。
その御言葉も御尤もですが現にそこに空車が走っていて、普段なら乗る状況であるならば私は乗ります。

なぜならそこですでにガソリンは消費されているのですから、空車で走るよりせめて客が乗ってお金を回した方がいい、と私個人は思っているからです。
私自身が直接お役に立てることがあるならば、それはきっともう少し後になるのだと信じています。

関西出身の私には、近しい人達から聞いた阪神淡路大震災の記憶が生々しく残っています。
これは長い闘いになることでしょう。
そのためにも、直接の被災者でない母にも、そしてたくさんの同じように不安を抱いている方々にも必要以上に自らを追い込んで欲しくないと願っています。

一日でも早く、被災者ならびに従事されている皆様に平穏な日々が戻りますように。心から、本当に心からお祈りいたします。

 

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黙祷

まずはじめに、東日本大震災で被災された方々に心からのお見舞いを申し上げ、この有事に身を挺して従事していらっしゃるたくさんの関係者に心からの敬意を表します。

あまりの出来事に言葉がありません。

ひたすら祈るように、せめて余震がなくなること、これ以上の被害がないことを、
そして、すこしでも早く被災された方々に安心な日々が来ることを、
心から、心から願います。

 

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眼鏡が曇っちゃうんです

花粉症の季節ですね。
しばらくは暖かくなってきてもマスク姿の人を見かけることになりそうです。

かくいう私もマスク愛好家。
特に移動中の新幹線や飛行機など乗り物に乗る時は、乾燥対策にもマスクは欠かせない。

芸能人ってきっと私服も派手な人が多いとお思いでしょうが、普段から綺麗にして「ザ・芸能界」というオーラを振りまく方と、案外地味にして普段は誰だか分らないようにしたいと願うタイプとで結構分れる気がします。

自分はどちらかというと後者の方で、まぁ心配しなくても、そんなに気がつかれるほどの者でも当然ないんだけどさ。
でもできたら「いないことにして」くらいの気分でいるため、できるだけ帽子をかぶりジーンズをはいて男か女かも分らないような格好が好き。

むしろ帽子をかぶり眼鏡をかけて(目は本当に悪い)マスクをしてウインドブレーカーとか着ていると「どこのコンビニ強盗?」とかえって怪しくなったりするのが困りもの(笑)。
眼鏡にマスクと言えば、冬場にそのセットでいるとよく眼鏡が曇ったりします。

最近は眼鏡専用マスクなんてのもあって、鼻の部分にクッションが入っていて息が漏れないような工夫がしてありますが、それでもちょっとしたことで眼鏡は曇る。

こっちはいつものことなので、しばらくすれば落ち着くことを知ってるし面倒なのでいちいち眼鏡を外して拭いたりせずに、そのまま曇りっぱなしってこともよくある。

でも傍から見てる人にとってはすごく気になるみたい(笑)。
友人にしょっちゅう「イーボシ、眼鏡曇ってるじゃん」と笑われることがしばしば。

先日も真冬の長野に一緒に旅行した友人に、会うや否や
「外と建物の中の寒暖差が激しいけれど私の眼鏡が曇っても一々指摘しないように」と、あらかじめ釘を刺したほどです。

その日も寒い朝でした。
ホテルから少し歩いた距離にある善光寺に参拝に出かけた時のこと。
寒いからおのずと早足になる。早足になると当然息も速くなり眼鏡が曇る。

まぁここまでは自分としてはいつものこと。
しかし行けどもなかなか着かない善光寺。

こっちでよかったのかしらね、と不安になって道を訪ねようと地元のオッチャンに声をかけてみた。
「すみませーん、善光寺ってこの道でいいんでしょうか?」

するとオッチャン、私の顔をまじまじ見つめ嬉しそうに「あれ?」と言ったきり黙ってしまったのです。

友人は当然、オッチャンが私を誰だかわかって「飯星景子さん?」と聞くのだと身構え、私なんか「はい、そうです」と素直に答えようか「似てるってよく言われるんですよねー」って適当に済ましちゃおうかと一瞬にして考えたほど。

しかしオッチャンが次に放った一言はこうでした。

「眼鏡、曇ってるよ」

・・・いや、だからそれは知ってるから!

彼は私が誰だか分ったのでもなんでもなく、道順を教える前に「どうしても」その一言を言いたかったらしい。

これには友人が大爆笑。半日、このネタで笑っておりました。

しかし、思うのですが、眼鏡が曇ったままになってるからといって、どうして人はそれをわざわざ教えてくれようとするのでしょうか?

正直、眼鏡が曇ってるかどうかなんてことは、誰よりも本人が一番わかっていることなんだよ!

 

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葉問2 / (邦題)イップ・マン 葉問 香港版DVDのちに劇場にて日本語字幕版―ドニー・イェン 甄子丹

前作、ドニー・イェン主演『葉問』に引き続き期待感たっぷりで観る。香港版英字字幕DVD。
むこうでは葉問の2年後に公開。

おなじみ川井憲次節に乗って1のおさらいのシーンから、と思ったらサイモン・ヤムが突然日本兵に頭を撃ち抜かれてる!えええ!と動揺する間もなく、いきなりオープニングクレジットに突入。

セピア色の画面には雨が降りしきり、ビルの窓からカメラが縫うように屋上へとあがってゆきます。
雷の音に混じって川井憲次のメロディを胡弓の音がセンチメンタルに奏でるなか、大きく 領衛主演 甄子丹 の文字。
前作の葉問1が大ヒットし香港金像奨の作品大賞を獲ったからでしょうか、その文字がなんだかすごく誇らしげに見えてくる。

カメラは、通りをはさんだ隣にある、てっぺんに得と大きい文字を頂いたビルの屋上に接近。
それとともに胡弓に代わりバイオリンの音が重なる。文字の真下には半円のエントランスのある建物。そこに向かうとメロディにコーラスが加わり、動作導演 洪金寶、続いて、導演 葉偉信 の大きなクレジット。
これまたなんだか、とっても誇らしげ。

やがてカメラはその建物の中に入り込み、遠くからカンカンと木人樁を叩く乾いた音が聞こえてきます。その音だけでもう鳥肌が立つ。
中は広いながらも雑然と隅に荷物が置かれた倉庫のよう。床は雨漏りがするのか所々濡れている。
しばらくするとセピア色だった画面に色がゆっくりと満ちてきて、と同時に柱の陰から木人を叩く葉問の姿が。

まるで、葉問1のときに失くした色が蘇ってきたみたいなコンセプト。
泣けてくるじゃありませんか。

ドニー葉問は丈の短い白い中華服に黒のパンツ。
カメラが背後に回り込もうとするとドニーがカン!と足技をひとつ。
しばらくして-葉問2-のタイトルが。ああああ、もうねゾクゾクします。

舞台は1950年香港。
葉問がその屋上の建物を道場として借りうけるところから物語は始まります。
しかし、8日たっても生徒はおろか見学者のひとりもこない。香港でも相変わらずの極貧生活。しかも奥さん身重だし。

翌日、ぼんやり煙草をふかしていると近所のおばちゃんが洗濯物を干しに来る。足を怪我したおばちゃんの代わりに洗濯物を干してあげる主人公。ほんま、あんたはどこまでもええお人や。

そこへ、ひとりの帽子をかぶったイケメン君登場。おお、ホァン・シャオミン。
嬉しくて一生懸命詠春拳の説明をしようとするところに「話なんざどーでもいいよ、手合わせ頼むぜ、負けたら授業料払ってやるから」と若い奴にありがちな不遜な態度(笑)。

観客はここで内心ほくそ笑むわけですね「あーあ、馬鹿だなこの若いの、アンタみたいのが葉問師父に勝てるわけないじゃん」と。
しめしめ、これでお金ゲット!と思ったかどうかは分りませんが(笑)葉問自身も実は観客と同じようにそう思っていて「好(ハオ)」とほくそ笑んでしまいます。

そしていつもの通りに構えると「詠春拳、葉問」という葉問1で流行語になった台詞を言うのですよ。お約束、お約束。これがないとね~。
んで、ここは「中国で一番美しい人」に選ばれたシャオミンといえどもドニーさんに軽くいなされてしまうわけです。
しかし、この美しい人は負けたにも関わらずお金を払うどころか、逆切れしてぷいっといなくなったと思ったら今度は仲間を3人つれて再び葉問のもとへ。

「これが師匠かいな、弱そうじゃん、洗濯屋かと思ったし」とそいつの仲間がまた失礼なことを~。
さすがの温厚な葉問さんも帰宅しようとした矢先のこの訪問はウザかったらしい。
「クンフーを習う気がないなら帰りなさい」と言葉を返すのです。
しかし、そんな空気読める奴らじゃない。「よし、やろうじゃないの」と性懲りもなく挑戦しようとジャケットを脱ぐ3人。「いや、脱がなくていいから」と師父。「何言ってんの?」意味の分らない3馬鹿。「いや、なんでもない」と葉問。

今度はいきなりひとりに「問手(マンサオ)」と構えもせずに手を合わせると、さっさとやっつけちゃいます。
だって、早く帰らないと身重の奥さんがまたお水の列に並んでしまい、なんか皮肉言われるかもしれないじゃないですか!

んで葉問は「だから脱がなくていいっていったのに」とぶつぶつ言って戻ろうとする。
するとシャオミンくん、いきなり膝まづいて「師父!」ですよ。結局、ほかの3人も弟子入り決定。よかったよかった。
満面の笑みで「まずお金払ってくれるかな?」と言ってしまう葉問師父。あたしゃ萌え死ぬかと思いました(笑)。

それから日を追うごとに続々と弟子が増え、寂しかった屋上も賑やかになりました。
そしてある日の稽古中、シャオミンが師父にこんなことを聞きます。
「師父はひとりで10人と戦ったことがあります?」

あるよあるよ、それ見て泣いたもん私!と観ているこちらは心の中で当然答える。

しかし葉問は「そんなのは戦わないほうがいい」とさらりとかわすのです。
けれど、そんなことくらいでめげる世界一美しい人じゃありません。
「じゃ、もしその数人が武器を持って襲ってきたらどうします?」
シャオミンの顔をちらりと見て葉問微笑みながらひとこと「逃げる」

こんな風に、1を見ていたらニヤリとする台詞が、この2にはたくさん登場します。

そして1を見ていたら、の最たる人がヤムヤム演じる親友、周清泉。
映画の冒頭で頭を撃たれていた彼は全ての記憶をなくし、このパート2ではちょっとおかしくなって香港でなんとホームレスとして暮らしている設定です。
かなり無理がある展開ではありますが、それを見た時のドニーさんの演技がいい。
葉問が親友に話しかけようとすると彼は「寄るな!近寄るな!」と詠春拳の真似をして追い払おうとするのです。
当然目の前にいるのがかつての友葉問であることも理解ができません。それを見た葉問は「私のせいだ・・・」と涙を流す。

このシーンの演技についてドニーさんが話している香港の対談番組を動画で見たことがあります。
もちろん理解度がちと怪しい繁体字字幕で見たので話半分に読んで頂きたいのですが、ヤムヤムの芝居にこの時はすごく自然に涙があふれてきたそうです。
それで自分でも勝手に台詞が口をついて出てきた、と。
しばらく泣いていてカットがかかった時、いつもならスタジオの隅ですぐお喋りを始める人間がいるのに、その時は誰ひとりとして喋る人間はおらず、中にはその演技を見て泣いている人もいたとか。

ま、早い話がドニーさんの自慢話です(笑)。

さて、アクションです。
葉問1のアクションは本当に最高でしたが、この2でもその素晴らしさに変わりはありません。
まずはフィッシュマーケットの場面。
もうね、自分としてはドニーさんが長袍着て詠春拳炸裂、ってだけで大満足。なんといっても時間もたっぷり4分以上あるで~。
おまけに、ここでもさっきの台詞がきいてくる。色んな武器を手に持って襲いかかろうとするサモハンの手下たちを前にして師父にシャオミンが言うわけですよ。
「やっぱ師父はひとりで10人と戦うことができるじゃないスか」
しかし葉問は「その話はまずは逃げてからだ」とまたするり。なんかシャオミンの役、憎めませんな。

敵さんの武器に対抗するのは、スノコ!
これを鮮やかに操って蹴散らしていく様はもちろん、相手の包丁をそのスノコを使って奪い取る一連の動きは惚れ惚れするほど痺れます。
なんという粋なコレオグラフィーでしょうか。アクション監督は前回に引き続きサモハン・キン・ポー。
本当にサモハン大哥大ありがとう!

この場面では目立つアクション以外の細かいところにも注目です。
たとえば、襲ってきたひとりの魚屋のお兄ちゃんに対し弟子が横から蹴りを入れようとする、すると葉問は手ではその相手と戦いながらも足ではその弟子の蹴りをバシッと遮る。

これは恐らく彼の、弟子とその兄ちゃん達との間に遺恨を残したくないという気持ちの表れなんでしょうねぇ、実に細かくてキャラが出ている動作でした。

あとはドニーさんの目配りもイケてます。
敵の動きを窺うのはもちろんですが、弟子の縄を切る時も敵から絶対に目を離さない。縄は切っても目は切らねぇ、基本ですよね!

おっと、このシーンでは前作で葉問にコテンパにやっつけられたルイス・ファンが再び同じ役として出てきます。しかし、長い時間が彼を変えました。改心して、いい奴になってます。相変わらず声はデカイけど。
そういえば、逮捕された後の拘置所で葉問はこの金山找のことを金師父と呼んでました。初めて出会った時も武館を開きたいと言う彼に対し師父づけだった。相変わらず律儀な性格がにじみ出てる。

そしていよいよ御大、サモハン大哥の登場です。もうね、太鼓の音ド――――ンで来ちゃいますから。

続いてアクションはいよいよ茶楼シーンへ。
前の作品でもそうでしたが、今回はより一段と師匠衆がいい味をだしています。成龍ファンとしてはお馴染みの顔もいるのでお楽しみに(てか、彼は『錦衣衛』にもおりましたけど)。
それにしてもクンフー映画の「落ちると負け」って発想は日本にはないので、いつ見てもおもしろいなと思います。しかもテーブルぐらぐらだし(笑)。

サモハンとのバトルは、とにかく一見の価値あり。このシーンだけでお金払っても損はない。

かれこれ30年も前からサモハンを観ている人達にとってはこれほどの胸熱はないことでしょう。SPLとは真逆の功夫対決には、髪の毛が逆立ってしまいそうなゾワっとくるものがあります。
こういうアクションがこの二人でまた見られるとは!もうね誰にしていいのかわかりませんが、とにかく感謝、感謝、大感謝。

2度目に観て気がついたのですが、一手ごとに「う」とか「やっ」とか声をかけるサモハンに対し何も言わない葉問との対比が際立ってる。
その対比に、成龍が「成龍アクションの作り方」を実演解説してるTV番組を昔、スカパーで観たことを思い出しました(番組タイトル失念)。

成龍の映画では攻撃の度に敵も味方も必ず声を出しますが、あの短い「やっ」とか「はっ」みたいな掛け声には実はそれぞれに意味があって「下」とか「上」とか「右」「左」「足」とかの意味のある隠語だったんだそうな。
つまり長い組み手で次にどこにいくのかを、その声で相手に教えていたわけです。

これを知った時はかなり驚きました。
実際アテレコして映画になった時に、同じ言葉を入れていたかは不明ですが、とりあえず撮影の時はそうやって声掛けあって動いていたんですね。

一方、昔のユエン・ウーピン監督の作品の中でもドニーさんはあまり声を出しません。だから多分アクション映画撮影の常識ということでもなく、それは成龍組やサモハン組の知恵だったのでしょうかね。
そう思ってみると、このシーンで声をだすサモハンはその時からの癖で声が出ているのか、それとも洪師父としての役作りの声だったのか、どっちだろうかと、ふとそんなことを考えてしまいました。

ところで勝負ですが、これ以上の終わり方はないと思えるほどの理想的な決着のつけ方。映画のなかの人達と一緒に私も拍手を送ってしまいました。すげーよアンタら!

さて、前作よりももっと人格者に磨きがかかったような気がする葉問師父ですが、それもこれも若者を弟子にとったせいかもしれません。
ちょっと動けるようになるとすぐ喧嘩をする、これはどんな功夫映画でも修行ものにはつきものの設定。案の定、葉問の弟子たちもやらかして屋上を追い出される羽目に。

ここでシャオミンに言う葉問の台詞がまたいいですね!
稽古の時といい、このシャオミンはこういう大事なことを言われても、解ってんのか解らないのか、いや、解ってね~んだろうな~と思わせるような表情がとてもいい。
この役は実在の人物で葉問の一番弟子としてその後ブルース・リーに詠春拳を指導する人なわけですが、この時はまだ習い始めたほんの若造。
そうですよね、多分彼がこの言葉を本当に理解するにはもっと時間がかかるはず。それでいいんす、そういうもんです。

葉問もそう考えているのか、すぐに話を切りかえる。
「昔話を聞くかい?」
そして葉問1でルイス・ファンが佛山の自分の邸宅に腕試しに来た時のことを話始めるわけです。
ここでも葉問は金山找と一度言いながら、すぐに金師父と言い直しています。拘置所でルイスに失礼な態度を取ったシャオミンに対してだし、なにか思うところがあったのかもしれません。
細かいけど、この脚本は葉問をどういう人柄か本当にあまさず表わそうとしているのを感じます。

このあとはいよいよ、今回のラスボス洋鬼子イギリス人ボクサー、ツイスターが登場。

前回の佐藤もそうですが、敵役は憎らしいほうが燃える。
燃えるからこそ最後の戦いが生きてくる。シャラビィさん本当に嫌な奴でした。すばらしい。
それにしてもサモハンのやられっぷりは鬼気迫ってましたね。もう、なにもかもかっさらう武打動作でした。「やめてぇぇぇ」見ている人間はすべからくそう心で叫んだでしょう。
ここでの川井節もまた否応なく場を盛り上げます。ああああ、洪師父!

で、いよいよ葉問が仇のツイスターに挑戦するわけですが、ここで長袍好きは会見場に向かう階段をドニーさんがその長い裾をそっと手につまんで登る所作に注目してしまうわけです。

長袍を愛でるというだけならば、葉問1のほうがより堪能できますが、この2でもその姿は健在です。
いいよいいよ~、座ってよしアクションしてよし歩いても走ってもよし階段登ってよし、長袍とはなんというセクシーな衣装でしょうか!この葉問シリーズは長袍好きにはたまりません。
しかもそれをドニーさんが着ているという。

余談ですが、ユエン・ウーピンを一躍ハリウッドの一流アクション監督に押し上げた『マトリックス』。
あの映画でキアヌ・リーブスが身にまとっていた学ランの丈の長い衣装。あれは絶対に長袍を意識してますよね?ね?ね?
「ううむ、長袍がセクシーだということを分っている奴がアメリカにもいたのか!」と親近感を抱いたことを今唐突に思い出しちゃった。
(いや、あれを最初から長袍だと言われると困るんですが。自分にはヤンキー風味の学ランにしか見えなかったので)

ラストバトルはサモハンの時もそうでしたが照明が綺麗です。
メイキングでカメラと一緒にレフ板担当が動いているのが見えましたけど、当り前といっては当り前ですが手間がかかってるなぁと感心しました。
『COOL』とか『新ドラゴン危機一発』とか昔の映画を思い出すと隔世の感ありです。
技術ももちろんですが、美術セットといい、こんなにお金のかかっている映画に出演できるようになったって意味でも。

ツイスターとのアクションシーンは、あえてここでは書きますまい。すげ~と思ったみなさんの感想と多分、まったく同じです。
なのでここは音楽の話を。試合をここでもまた川井節スコアが盛り上げてくれます。葉問がキックを封印されてからの反撃シーンからカウント10後。
とくにこのカウント10後のアレンジはもうね、なんというか血が沸騰してきそうです。やばいです。

勝利に会場が沸き、みなに担がれる葉問さん。しかしひとりだけ茫然とした顔でここでも彼のキャラクターがよく出ています。ドニーさん演技うまい。

場面変わってラジオを聞いてその勝利を喜ぶ街頭の人々。
ある店先で親友のヤムヤム清泉がそばにいた男に「俺は、この葉問を知ってるぜ」と声を掛ける。
すると男は答えます。「知らない奴なんかいないよ!」

そしたらヤムヤムはニッコリ笑ってこう言い切るのです。

「霍元甲、黄飛鴻、葉問、俺、佛山の四大ヒーローだ!」

おおお。ここでその名前ですか!

彼が葉問という名を呼んだことにも、ここまで観ていたらぐっとくるのですが、それに並んで霍元甲(何度も映画化されているヒーロー。伝説の武道家。怒りの鉄拳陳眞の師匠としても有名)そして、もうひとりは言わずもがなワンチャイでお馴染み黄飛鴻。

大いなる功夫映画へのオマージュを捧げたこの葉問という作品をあらためて感じさせる粋な台詞じゃありませんか。
そして葉問の最後のスピーチへと繋がってゆきます。

いいこと言ってます、葉問。でもこれはイギリス人オーディエンスに向けてだけ言ってるんじゃないんだよ、弟子の諸君。これは君たちに向けての言葉でもあるんだよ、特にシャオミンはよく聞くように。

そして、生粋の香港人である監督脚本家は、しいてはすべての中国人に対してのメッセージもここに秘かに込めたのではと、私にはそんな気もしました。
私たちが過去に受けた偏見を今私たちは他の文化や国の人たちに盲目的に向けてはいないだろうか、それでいいのか、と。

イップ監督はこの葉問2に関する雑誌のインタビューでこんなことを言っています。(頑張りましたが、例によって怪しい超絶解釈のつもりで読んでください)
「自分はどこか天の邪鬼のところがあって、すんなりと予定調和とかは好きじゃない。『導火線』の時も(文字では確かに導火線となってたけど、これ多分監督がSPLと言い間違えたんだと思う)馬刑事を最後殺そうとしたら猛反対にあってしまった(でもアンタ結局殺したやんか!)。葉問2でも全員がスタンディングオベーションするのは嫌だったんだ。だから、どうしても1人席を立つ英国人を登場させたかった」
なんだかイップ監督らしいですね。
だから、あの台詞にそんなメッセージが込められていたとしても不思議ではないし、まぁ仮に込められていたとしても中国政府との関係上、ご本人は決して公に口には出さないでしょうけれど。

そしてシーンは葉問が生まれた子供を抱いている妻子のもとに帰宅する場面へと変わります。
生まれた子を嬉しそうに眺めながら「君に似ている」と2回も繰り返す夫には愛情深さがにじんでいます。

この葉問シリーズは老若男女すべての人達に受け入れられ愛された映画です。

動作設計の素晴らしさもさることながら、強くあるということの哲学と美学。
なのに、あえて闘いにむかう男の心情、そしてそれを支える文化への誇りと男同志の友情と家族への愛情。どんな性別どんな年齢の人がどの角度から見ても共感したり憧れたりできるエピソードにあふれていて、だからこそ皆に愛されました。

最後にここは、葉問1で最初に書いた感想をもって終わりたいと思います。

 

ドニーさん、本当に、この役に巡り合えてよかったね。

 

 

 

のちに日本語字幕を劇場で観た後の追記。

葉問1を劇場で観た時も同じことを感じましたが、目を皿のようにしてDVDで何度も観た作品を、あらためてスクリーンで、ああやって日本語字幕で見られる幸せはなんともいえません。公開してくださって本当にありがとうございました。ドニーファンとして、いや、功夫映画ファンのひとりとして感謝でございます。

3人の若者がやってきて「洗濯屋みたい」と言った台詞は日本語字幕では「ウチの大家そっくり」と変わっていましたね。ま、同じようなニュアンスですが。

そしてヤムヤムが「霍元甲、黄飛鴻、葉問、俺、佛山の四大ヒーローだ!」と嬉しそうに語る台詞は、字幕では葉問以外一切名前が出てきませんでした。
ううむ、結構この映画の肝だと思ったのになぁ。
字数の関係か、伝説の武道家とはいえ、いきなり出てくる名前なので(功夫映画ファンしかわからないという危惧でしょうか)説明不足になるのを嫌がったのか。
日本でも2011年中にDVDとBDが発売になるので日本語吹き替え版を見るしか、その理由は解らないかもしれませんね。

今まで、「ドニー作品を日本で公開しないなんてキィ~」と思っていましたが、あらためて初めて見た時の感想を読むとすごく必死に台詞を聞いてるのがわかります。最初から日本語字幕で観ていたらこの私が気がついたかな、というところまで。

そう言う意味では日本語字幕がないのも嫌なことばかりでないな、と。あ、でもやはり日本で公開して欲しいですけどね!

もんのすごい時間がたってからの追記:
上述のウィルソン・イップ監督のインタビューについて新たに分ったことがあったので別にエントリーしました。
導火線 小ネタ-ドニー・イェン 甄子丹

イップマン 葉問 日本公式サイト

川井憲次さん公式サイト

葉問2オフィシャルサイト/簡体中文、繁体中文、英語

Ipman 2 USオフィシャルサイト

IP MAN 2 Bande Annonce(仏語予告)師父がフランス語を!

Ip Man 2 / Deutscher Trailer(独語予告)師父がドイツ語を!

葉問 /(邦題)イップマン序章 香港版DVD後に劇場で日本語字幕版-ドニー・イェン 甄子丹
MOVIX三郷8周年記念特別企画・『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』100円上映会!その1-ドニー・イェン 甄子丹
イップ・マン小ネタとイップ・マン3、MOVIX三郷『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』100円上映会!その2-ドニー・イェン 甄子丹 

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葉問 / (邦題)イップ・マン序章 香港DVD鑑賞のちに劇場で日本語字幕版―ドニー・イェン 甄子丹


川井憲次さんは、アニメや映画でおなじみの人気作曲家。
ドニー・イェンの映画ではツイ・ハーク監督の『セブンソード』やウイルソン・イップ監督の『かちこみ!ドラゴン・タイガーゲート』の音楽も担当しています。

常々、そのドラマチックなスコアは素晴らしいと思っていましたが、この『葉問』では心から痺れました。この映画はそれ自体に大変なパワーがあるのですが、この川井氏のスコアは正直この映画を2割増しに底上げしたと断言してもよいでしょう(あかん、それでは10割をこえてしまう、ま、いいか)それほど最高の仕上がりです。
サントラ買おうと思って調べたら残念ながら香港でもすでに廃盤とか。なんでや~。

この先、葉問が香港中国の映画界で不朽の名作として語り継がれることは間違いないことですが、川井さんのこのマエストロのテーマも恐らくはずっと愛され続ける名曲として、長くたくさんの人々の心に残ることになると信じています。

と、いきなり音楽の話から入ってしまいましたが、もうね、正直、なにから書いていいのかわからないのですよ。
ひとことで言うと、ドニーさん、この役に巡り合えてよかったね、としか。

葉問が香港や中国本土で大ヒットし、香港金像奨の作品賞を取ったこと。それ以外でも数々の賞に輝き彼の最大のヒットになったことや、むこうで空前の詠春拳ブームを巻き起こしたことも、つたない中国語や英語でニュースを読んで知ってはいました。
でも肝心の映画を観ていない私は、日本公開をあてにすることはやめ、ついに思い切って香港から英語字幕つきのDVDを取り寄せたわけです。

川井憲次さんの重厚なテーマ曲にのってまずスモークのなかから最初にあらわれたのは詠春拳で練習に使う木人樁(もくじんしょう)。
この『木人樁』いうものをこんなにマジマジ眺めるのは、かつて『スパルタンX』で成龍とユン・ピョウが朝起きてすぐに練習を始めたシーンと、その名の通り『詠春拳』というタイトルの映画(監督、ユエン・ウーピン)でミシェル・ヨー姐さんの自宅の中庭にある木人を山賊の親分がぶっ潰すのを見て以来でしょうか?

やがてその木人を、ドニーさんがカンカンとリズミカルに打つショットが重なってゆきます。
始まってまだ2分も経ってないのに、あかん、それだけでもう胸がいっぱいだ。なんという泣かせるメロディなんだろう!川井憲次!

そしてゴ―――――ンという鐘の音を合図にタイトル。
場面が変わって佛山、武館街のショット。新しい道場の開館祝いの爆竹が弾け獅子が舞う。
たくさんの道場が立ち並ぶその広場でそれぞれの師匠や弟子たちが稽古に励んでいるなか、ひとりの師父が「やれやれ、また商売敵がきたか」と苦虫をつぶしたような顔でつぶやく。そりゃそうですよね(笑)。

そんな武館街上空を横切るひとつの凧。やがて遠く遠くを漂いながら、あるひとつの邸宅の庭木に引っ掛かります。
そこへ、執事に促され、先ほどオープンしたばかりの道場の師匠がその邸宅の玄関を入ってくる。
家族は食事中。
執事に声を掛けられたその家の主人が振り返ると、それは茶の絹の長袍に白いパンツ姿のドニーさんじゃぁありませんか!
ちょ、ちょ、ちょっと見ないうちに顔や表情が変わったんじゃ、ドニーさん!

そんなことを思う間もなく道場主から手合わせをお願いされる主人公、葉問。
豪華な邸宅の玄関先で待たされる彼に「ところで、食事は済みましたか?よかったら一緒にどうです?」とその家の主人が見せる資産家だからこその鷹揚さ。
奥さんは少し不満げ。この夫婦のコントラストは今後の映画のひとつのキーポイントにもなってきます。

しかしそんな奥さんのリアクションもなんのその。
結局一緒に食事をさせてしまう葉問の大らかさはその後の師匠との手合わせでもいい具合に発揮され、軽くいなすかのように相手にも寸止めで対応。強い、強いよドニー、いや、葉問さん。

作りこまれたセット衣装といい、主人公の性格や家族との関係を短時間で切って見せる鮮やかさや、最初の手合わせまでのテンポといい、短時間ですが、もうこれだけで、すでに名作の予感。

そして前半のハイライトはルイス・ファン演じる道場破りとの自宅での一騎打ち。
ルイス・ファンの北方拳法の力強さとドニーさんの詠春拳のエレガントさの対比を、ユーモアを交えながら見事に演出したサモハンの素晴らしいコレオグラフィー。
これには思わず「ブラボー!サモハン!」とモニターの前で喝采。

ここまで観て、実は自分、少し不安になってDVDのパッケージを見直してしまいました。
あらかじめ知っていたこの作品の内容が<日本に侵略された佛山で困難に立ち向かい誇りを失わない男の物語>だったので「まさか違う映画じゃないだろな」と心配になるほどの、そこまでは、めちゃ明るいトーンだったからです。
しかし、そんな明るい雰囲気も日本軍の出現とともに一気に色を失い、一転して世界は荒廃した白黒のトーンへ。うまい、イップ監督。

ここからあとのハイライトは間違いなく「1対10の闘い」です。

日本軍に自宅を没収され極貧の暮らしを強いられた彼は、家族のために「初めて」働きにでます。
その炭鉱で募集していた日本軍の空手家との試合に理由あって参加する葉問。
そこで知ったのは、同じ街の元警察官が日本軍のために働いていてそういう中国人もいるのだという事実と、自分の年若い友がその試合で殺されたこと。
そして目の前で彼は見てしまうのです。試合をめぐり理不尽にも命を奪われる、あの日に手合わせをした武道館の師匠の姿を。

怒りに震える葉問は日本語通訳を務める元警察官の男に向かって叫びます。
「次は私だ!ここを開けろ!」そして二階からその試合を眺めていた池内博之扮する将校にこう宣言するのでした。
「我要打十個!(私は10人と闘う!)」と。

ここからの闘いは凄まじいのひとことです。
それまでの葉問は決して相手を傷つけるような試合をしたことがありません。
どころか、道場を開く気もなく「弟子にしてくれ」と頼む街の人達を断り、やむなく試合をする時もドアを閉め「詠春拳は門外不出の拳法」とばかりに誰にも見せたがりませんでした。

彼にとっての詠春拳とは、今までもそしてこれからも、ひたすら自分の心と技を磨くためのものだったのです。

それがこの時ばかりは、葉問もそんな自らの哲学も忘れ去るくらいに怒りに身体を震わせて、次々に迫る空手家たちをなぎ倒してゆきます。
最初の男の顔を踏みつけ、また別の男の腕を折ったかと思ったら違う男の股関節を「こきゅ」と粉砕。
目にもとまらぬ速さの連打で空手家達を畳に沈めると、最後に残った怯えるひとりの頭を抱えてその顔をひたすら打ち続けます。ひたすら、ひたすら。力を込めて。

これがあの、他人を尊重し大らかで心優しかった同じ葉問なのでしょうか?

こんな悲しい憤怒をまとったアクションを私はかつて見たことがありません。
その姿にはどうしても押さえることができなかった、心からのやるせない悲しみと怒りが満ちていて、それを観ている私の目からは、本来ならば彼が流すはずの涙が一粒、また一粒とこぼれ落ちてきたのでした。

しばらくして、最後の男が動かなくなると彼はやっとその男の頭から手を離します。
一瞬にして訪れる深い静寂。
10人の男達が倒れている道場の真ん中で佇む彼の手には、今までつけたことのない「闘い」の傷がたくさん刻まれていました。闘いの終わった後もまだ震えている、自分と相手の血が混じり合い滲んでいる葉問の拳。

これを功夫映画の傑作と言わず、何が傑作でしょうか。これはこの先ずっと功夫映画の名場面として語り継がれるシーンになりうると私は確信しました。

「俺の一番すごいところは、まず役から入ってアクションをやるところだな」
彼のアクションになぜ説得力があるのかを、長年信頼を置いている谷垣健治さん(日本や香港中国でアクション監督として活躍中の有名なお方!)にドニーさんが語ったと、彼の映画秘宝コラムで読みました。(谷垣さんいわく、「俺の一番すごいところは…」から始まるのが、いかにもドニー(笑)なんだそうな)
これはまさにそんなアクション俳優ドニー・イェンの真髄がつまった場面だと断言します。そんな場面を彼が演じ、そしてまた自分が観ることが出来たとは、なんという喜びでしょうか。

しかし、葉問が敵を10人倒したところで素手で倒せる人数には限りがあり、なくした命は戻ってこない。
帰宅した彼は、傷ついた自分の拳を何も聞かずやさしく消毒する妻にポツリとつぶやきます。
「私は今日、自分が何の役にも立たないんだと思い知った、何も出来ない。今までずっと功夫を稽古してきたけど、それが何になる?」
このシーンでの彼の演技にはうるっときました。ドニーさんたら、ちょっと見ないうちにいつの間にこんな演技派に…(涙)。

妻はそんな夫の手をいたわりながら、こう答えるのです。
「あなたがいて私がいて、息子がいる。それだけで私は幸せよ」
く~泣かせるじゃねーか奥さん!これが「あなたは武術ばっかやって息子のことを構ってやらないのね!キィ~」と前半怒ってばかりいた人と同じ女性でしょうか。逆境はこの夫婦のきずなを深くしたのでありますね。

とにかく、この作品は葉問をはじめ、登場する人間がよく描けています。

通訳をするラム・カートンは中国人のダークな部分を表す立場ですが結果ただの売国奴じゃないし、親友のヤムヤムことサイモン・ヤムも味わい深い。
ヤムヤムの息子はじめ工場の従業員達はやたらと和むし、道場破りのルイス・ファンは、中国側の嫌な部分を背負った役柄だったけど、彼のあの明るい顔とぱっちりな目、そしてやたらデカイ声はその嫌な部分を緩和するのにとても最適でした。

この作品が日本で公開されない理由は反日的な要素が強いからと、本当かどうかわからないことですが一時まことしやかに囁かれておりました。

しかしいざ見てみると「自分にとっては」心の痛む場面はあるものの、激しい拒否感などはありませんでした。
もちろん、日本軍は葉問達から見れば侵攻してくる悪ですが、この映画では中国人もまた同じ中国人を騙し恐喝し同国の弱い者から搾取しようとする姿も描かれています。
どころか池内博之さん演じる将校三浦は、心底武術が好きな人にも見えたくらい。よくぞあのラストバトルを頑張ったと感心しました。サモハン指導でドニー相手にさぞプレッシャーも強く大変だったことでしょう。

一方日本の嫌な部分を一手に引き受けたのは渋谷天馬さん演じる佐藤。観ていて心底憎らしくなるほど演技がうまかった、これはすごいこと。声がとっても良かったのが印象に強く残りました。

資本はともあれ、私はこの作品を香港映画と認識しています。
香港功夫映画と言えば清朝時代を舞台に常に満州族を鬼みたいに描いてきた過去があり、それで成り立ってきたのです。今更誰が敵だとか気にしていては観る映画を間違えてしまいましたねとしか言いようがありません。

とにかく、葉問が素晴らしい功夫映画であること、そしてドニー・イェンの代表作となったことに間違いはありません。
この映画はようやっと中華スターダムのてっぺんに彼を押し上げました。

向こうでは彼のアクションのことを、ただのアクションでも功夫でもなく、敬意をこめて「甄子丹功夫」と呼んでいるそうです。
「名実とも」に「甄子丹功夫」と言われるようになった、このドニーさんの成功を一ファンとして心から喜ぶばかりです。

 

劇場鑑賞後追記
自分の好きな映画をスクリーンで、まして日本語字幕で見られるって本当に幸せです。
空手10人のシーンはまたホロリと泣いてしまいました。上には書きませんでしたが、綿工場でのアクションもリズムに緩急があり、敵味方関係なく登場人物のそれぞれの感情がこもった完成度の高いものでした。
しかし、相変わらず長い棒を持たせたら最強ですな、ドニーさん。

と、同時に葉問が工場の人達に詠春拳を教えるシーンも胸熱です。
当然川井憲次氏のスコアの素晴らしさもありますが、なぜ、あんなにあの場面に胸が熱くなるのでしょうか。
それは多分、葉問が「自分は何の役にも立たない」と絶望した先に「自分にも出来ること」を見つけたからなんだなぁと、大きなスクリーンであらためて感じました。素晴らしいシーンです。

イップマン序章DVD&BD
(川井憲次さんのインタビューもあります)

川井憲次さん公式サイト
川井憲次公式サイト

葉問オフィシャルサイト/簡体中文、繁体中文、英語

エンターテイメントsina葉問特集サイト

Ipman USオフィシャルサイト
Trailer en Espanol€”Ip Man”(師父がスペイン語を!)

葉問2/(邦題)イップマン 葉問 香港版DVDのちに劇場にて日本語字幕版-ドニー・イェン 甄子丹
MOVIX三郷8周年記念特別企画・『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』100円上映会!その1-ドニー・イェン 甄子丹
イップ・マン小ネタとイップ・マン3、MOVIX三郷『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』100円上映会!その2-ドニー・イェン 甄子丹  

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無駄に豪華な猫ふとん

ある日、テレビで海外ドラマを見ていたら、「猫を飼うのは独身女性のしるし」みたいなセリフが。
それがいかにも皮肉たっぷりだったので、ちょいとムカついてしまいました。

18の歳から1人で暮らして、すでにン十年(といっても、そのうちの1年くらいは結婚してましたが)、実は家族よりも猫と一緒の生活のほうが長かったりします。

東京に出てきてから飼った猫は今の子で2匹目。
学生時代、拾ってきてから18歳で亡くなった1匹目のあと、私はペットロス状態で、とても次の猫を飼う心の準備など出来ませんでした。

が、当時結婚していた相手が「どうしても新しく猫が飼いたい」と言うので、なかば押される格好で猫を探すことになりました。

かといって、ペットショップで可愛い子猫を、という発想はもとから浮かばず、最終的にはネットで猫の里親探しをしているボランティアの方から譲って頂くことに。

結婚生活の方はあっという間に終わりを告げましたが(笑)、小梅と名付けたその2匹目の猫は、それから10年以上たった今も(少々おデブですが)元気に私と一緒にいます。

猫は気まぐれ、とよくいいます。
実際生活すると彼らのマイペースに、びっくりすることもしばしば。
帰宅して「どこに行ってたんだよぉぉぉ」とひどく甘えてくるかと思えば、自分が眠たければ、いくら名前を呼んでもまず挨拶にさえ出てこない。

それどころか、どこかに逃亡でもしたのかと心配になるくらい姿を隠したままでいたり。

もちろん飼い主が寂しい時、悲しい時には、抱っこされてグルグルのどを鳴らして慰めてくれたりもしますよ。
が、数分たつと「もう、いいかしら?」なんて真顔でひらりとどこかに行っちゃったりするんだな、これが。
その際の真顔のまぁ、憎たらしいこと(笑)。

犬を飼っている人たちのペット自慢を聞くたびに
「この人がうちの猫と暮らしたら、物足りなりないどころか裏切られたような気がして耐えられないかも」と想像したりします。

なんだかんだ言っても、猫好きにはそれ位の距離感が心地よいのです。

少なくとも私にとってはそうで、
反対に彼女の方が甘えたくても、原稿書きで忙しくパソコンに向かっているときなんかには、相手にしません。

それどころか、しつこく「ワタシにかまえ」コールをする猫に
「あんただって、私が遊びたいときにいつも付き合ってくれるわけじゃないよ」と言ってきかせます。

相殺。
ペットにこんな言葉を使うと友人はあきれた顔をしますが、自分と彼女には、この言葉がしっくりくる気がするのです。

そういえば、以前、母親と義姉が引っ越し祝いのプレゼントにと猫用の布団を特注してくれたことがあります。

しかも私の振袖を貸した従妹から回収して、それを豪華な布団にするという計画だったらしい。

親戚に理由を話したら
「あんないい振袖を猫の布団にするなんて信じられない!」
とあえなく阻止され、結局、やはり従妹のところに行ったきりになっていた私の七五三の際の着物を代品にしたとか。
蒲団の写真はコチラ
「子供のいない景子にとっては、あの猫が子供みたいなもんなんだから」
そう言って、渋る親戚から着物をゲットしたとドヤ顔で説明する母。

有難いやら「いや、別に子供みたいなもんじゃないし」とその誤解にも複雑な心境になってしまいました(笑)。

 

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化石かもしんない

私がサンケイスポーツ近畿版で新聞小説を連載してることは先日お知らせしましたよね。

今、その仕事に結構追われていて、なかなか余裕がありません。
掲載は月曜~金曜のウイークディ。最終版のゲラ出てくるのが前日、ファックスで送られてくるのであります。

このスケジュールに一番苦労しているのが私のマネージャー坂本君。とにかくどこにいても彼は新聞社から送られてくるファックスを受け取らなくてはなりません。しかも自宅にファックスがないという。

大変だから買ってあげるよ、という話をしたら「いや、なんとかします」という男らしい返事が返ってきた。
本人が何とかしますと言うのだから何とかするのだろうと、その話はそれきりになったのですが、とにかく彼は毎日どこかで必ずゲラを受け取ってそれを私に転送する。

昔はあんなに便利だと思ったファックスも今となると再送したりすると字が潰れて読めないとか、出先で受け取る条件が厳しいとか結構使えない奴になり下がりつつあります。

そこで男らしい坂本君が考えてくれた方法が、受け取ったゲラを彼が自分のiphoneで写真に取り、それを私のパソコンと携帯に同時に送信するという方法。

これなら私は、自宅だろうが出先だろうがその写真を拡大するだけでゲラを読むことが出来ます。やっほー!

最初はピントが合ってなかったりして試行錯誤もありましたが、今は手慣れたもので。
私も携帯でデータの拡大とか回転とかできる機能があるなんて、知らなかったわ、彼のお陰で一つ利口になりました。

しかし毎日原稿のゲラチェックがあるって落ち着かないものですねぇ。何時に来るか分らないし、早い時間に寝たくてもそれが終わらないと寝られないしなー。ご飯を食べに行く約束があっても、携帯の電波が入らないと困るし、チェックが済まないとちょっと盛り上がれない。なかなかゲラが来ないなと思ったら週末で「今日はないんだ!」と遅くなってから気がついたり。

ま、一番大変なのは坂本君なんですけどね。いつも助かってます。ありがとう!

それにしても、この件で自分はつくづく古い人間だなと思わされてる気がします。というのも友人との食事中に携帯を何度も確認したり人前でゲラのチェックをするのが結構「悪いな」と思ってしまうから。

今時なら、おそらく誰と一緒でも気にせず携帯をいじっても大して印象は悪くないんじゃないかなぁ。
私の友人の知人にツイッター中毒にかかり短い文章以外書けなくなってしまったという人がいるらしい。ホントなの?と聞くと本当らしい。どんだけつぶやいてるんや、いや、どんだけフォロワーいるんや、いや、どんだけ携帯握ってるんや(笑)。

ま、今時は私のように考える人間は化石みたいなもんなのかもしれないな。

 

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まずはじめに 甄子丹(ドニー・イェン)について

ええっと、いきなりですが甄子丹のことです。

唐突に甄子丹と書かれても困るかもしれませんが、私のパソコンでドニー・イェンと打つと甄子丹と変換させる設定にしてあるので(笑)今も勝手に変換されてしまいました。
私は暴力的なシーンが多い映画は苦手です。特に意味なく人が暴力にさらされたりするのとかは困りものです。
ええええええええ、と今突っ込んだ方は何人くらいいるでしょう(笑)。

私は80年代に若者だった人達と同じく、ある意味香港映画を見て育ちました。
成龍、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー、懐かしのゴールデンハーベストの映画を映画館で何本見たことか。酔拳にヤング・マスター、プロジェクトA、スパンルタンX、サンダーアーム、チャンピオン鷹、デブゴンシリーズetc etc…。そしてミラクルやポリスストーリー。まだレンタルビデオも出るか出ないかという時代からです(汗)。
少なくともその時代の成龍作品はほとんど劇場で観たと思います。そしてソフトもたくさん持っています。
当時、成龍たちが見せてくれた新しいアクションは、それまで自分の持っていたアクションの概念を根底から覆してくれました。
力強く、しかし美しくユーモアにあふれた動き。しかもそれを人間が己の身体を本当に使い体現している様は観ていて「映画とはエンターティメントとはこういうものなんじゃん!」と心躍り本当に楽しかった。

90年代に入っても香港映画はいつも自分の身近にあって、チョウ・ユンファやレスリー・チャン、トニー・レオン、リー・リンチェイは私のアイドルであり、たとえ彼らが出ていなくても面白そうな香港映画があるとちょいちょい観に行ったりレンタルしたものです。

初めて私がドニーさんの映画を観たのは何の作品だったでしょうか。実は良く覚えてないのです。
あとからドニー作品を観ると以前すでに観ていたというのが結構あって自分でもびっくりです。でもその印象は強烈でアクションシーンになると「あ、この人のこれ観た」と必ず思い出す。
そのくせタイトルも名前も全然覚えられない。彼は作品や写真で別人に見えることがよくあり、自分の中でこの人という認識がつくまでに随分長い時間がかかりました。

でもはっきりとクレジットを確認した最初の作品だけは覚えています。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ2天地大乱』レンタル鑑賞。
その頃、香港映画はフイルムノアール作品が花盛りで、私の好きだったいわゆるベタな古装功夫ものの新作がなかった時期でした。そこで私はその古装欠乏を埋めるためにこの作品を借りてきたのです。
今でも功夫映画ファンに不朽の名作と謳われるこのシリーズを私も当然のことながら気に入り、この作品で辮髪、長袍好きになったといっても過言ではありません。最高です。

そこで知った甄子丹という名前。でもまたしばらくその名前は私の記憶から消えていました。その間、彼の出演作を観ていたにも関わらず、です(笑)。
てか言い訳させてもらうと中国人てのは名前ひとつとっても英名がありゃ漢字もある。しかもその漢字に広東語普通語とふたつも読み方があるって。今でも時々「やってらんねぇ」って思う事しばしば。

すべてが繋がったのは『HERO』を観てから。
この人、絶対に知ってる!そう思って調べてみたら少ない出番ながら「こいつカッコいい」と思った『ブレード2』の中国人も『ハイランダー最終戦士』の麗しい中国人も、ミッシェル・ヨー姐さんの入浴シーンを覗き見していたのも、ジャッキー・チュン主演作でものごっついアクションかましたのに、あっという間に額を打ち抜かれて死んだのも、薄暗い画面のなか近距離からショットガンを撃たれても絶対に弾に当たらなかった眼鏡をかけたナルシストも、みんな同一人物だったとは!

驚きでした。そしてもっと驚いたのは、同一人物だと分ったあとに「ドニー・イェン」作品として借りてきた『ドラゴン危機一発’97』を観た時のこと。

なんじゃあああああ、こりゃ!
まるでマラリアに冒されたかのような半端ない熱がノンストップで伝わってきます。
そこには、ワイヤーもなし美しいアクロバティックなコレオグラフィーもなし、お金をかけた大作の風情もなし、登場人物に感情移入できるほどのストーリーもなし、あるのはびっくりするほど高い本物のマーシャルアーツスキルと、その肉体から繰り広げられる高速バトルと疾走感と火傷しそうなほどの暑苦しさ。
あまりのことに最後はもうずっと口をポカンと開けながら観てしまいました。
こ れ は す ご い 。

そして勢いに乗って次に借りて来た作品ですべては決定づけられたのです。

その頃には、ドニー・イェンがどういう顔でどういうアクション俳優か、そして私のド肝を抜いた映画のタイトルでも分るように非常にブルース・リーを意識した存在であることも分ってきていました。そこで、恥ずかしいくらいベタなタイトルの『精武門』という主演のTVシリーズ全10巻をレンタルしてみることに。
これにしてやられた。
アクションシーンも演技もすごいのと漫画みたいで笑っちゃうのと玉石混淆、なんというかまぁ色んな意味で突っ込みどころ満載なこのドラマに見事にハマってしまいました。こんなにハマったドラマは中村吉衛門版鬼平犯科帳とERくらいです(笑)。

映画だと、ランニングタイムはだいたい100分前後くらいが主流。(ああ、今思い出しましたがいつまでだったか、香港で上映される映画はランニング時間がしっかり決められていた時代がありました。96分か98分以内でしたっけ。←後に確認したところ当時は90分。つまりどんな作品も同じスケジュールで上映され、それよりも長い作品は洋画だろうが何だろうが容赦なく勝手にカットしていました)なのでアクション映画はドラマ部分にかける時間の余裕が少なく、そこが薄くなってしまうのが仕方ないところ。
しかし全30話という長尺のTVドラマではエピソードテンコ盛り。そこで私は初めてドニーさんの「演技」というものに触れたのでした(笑)。
そして、この精武門というドラマによって私はドニー・イェンファンに見事なる変貌を遂げたわけでございます。

2005年、当時最新作の『SPL/狼よ静かに死ね』を歌舞伎町の劇場で観た時は、驚くべき新機軸を打ち出した武打シーンの数々に、アクション俳優、そしてアクション監督としての「ドニーさんの本質」を見せつけられた気がして全身が粟立つほど感激。
しかし同時に内容の濃密さに反比例するかのようなわずか10人ほどの観客に、すごく不安を覚えたのも記憶しています。
そしてその不安が的中してしまったのか、2006年の『かちこみ!ドラゴン・タイガーゲート』(自分としてはこの作品は大好きで、新しい功夫映画の形だと喜んだのですが)を最後にドニーさんの映画はほとんど日本で公開されなくなってしまいました。

そして、再び私の中でドニー・イェンという名前が存在感を失いかけていた頃、中国からドニーさん主演『葉問』という映画が大ヒットしているらしいというニュースが飛び込んできました。
聞けばブルース・リーの唯一の師匠を描いた作品でサモハンが動作監督を務めているとか。そしてそのシーズンの香港電影金像賞を獲得。スチール写真を見るとなんとドニーさんが自分の好きな長袍(丈の長い男性の中華服)姿で動作しているじゃありませんか!

観たい、観たい、絶対に面白いに違いない!ニュースを色々読んでみると、どうやらドニーさんの代表作になり、そして瞬く間に中国に空前の詠春拳ブームを巻き起こしたという話。すごいことです。これをドニーファンが見逃しちゃマズイわけです。

しかし、待てど暮らせど日本では公開されず、気がつけば本人はどんどん大作に出演してヒットを飛ばし続けている。
そこで思いあまった私は香港からDVDを取り寄せることにしました。日本語字幕がなくても英語が怪しくても気合で見ちゃる!

葉問を初めて観た時の感想は別のところで記してありますが、とにかくこの作品に涙を流して感動した私は、もう日本で配給されるかどうかなど気にせずにガンガン香港から通販DVDで彼の出演作を手に入れることにシフトしました。

そんななか、降ってわいたような2011年のドニーイヤーの到来です。こんなに長い間、日本で公開されなかった彼の映画が今年はなんと4本も公開されるという事態。そこで葉問を新宿武蔵野館のスクリーンでようやっと観ることができました。

日本語だ、ドニーさんの映画に日本語字幕がついてる!その感激は同じ思いをした人なら分っていただけるでしょう。

さて、そこで最初の「私は暴力的なシーンが多い映画が苦手です」に戻ります。(これからかい!)そういう私がどうして、こんなにもドニーさんのファンなのか。

むしろ彼の作品は意味のよくわからない暴力シーンてんこ盛りで、作品によっちゃ単純にアクション担当だったりもするじゃん、という突っ込みにお答えすると、ひとえにそれは彼の「映画におけるマーシャルアーツスキル」がずば抜けて高いから、という一言に尽きます。

もともと私は幼いころからバレエを習っていて、ダンスやミュージカルそして宝塚歌劇が大好きな少女でした。
まだビデオデッキなんか存在しない時代、お正月になるとTVの深夜に放送される映画でジーン・ケリーやフレッド・アステアなどのMGMの往年のミュージカルが上映されるのを楽しみに待っている、そんな子供でありました。MGMに限らずTVで、そして後にソフトなどで観た昔のミュージカル映画は数限りがありません。
そこで繰り広げられる夢のような音楽と、長回しのワイドショットで見せるダンサー達の素晴らしいダンスシークエンスが大好きだった私は、今でもバレエやダンス、歌舞伎にフィギュアスケートと、興味はつきることなく今に至ります。

そんな自分にとってドニーさんのアクションは、かつての成龍たちと一緒でJ・ケリーの『雨に歌えば』やF・アステアの『トップハット』、そしてフィギュアでいえばレベル4のステップに2種類の4回転を3度入れたフリープログラムで金メダル!とまったく同じ範疇。

彼のアクションには哲学があるうえに感情がありリズムがある。そのうえ武道の基礎に裏打ちされた技術を持って情熱と執念があふれんばかりのアクションをスクリーンで披露してくれるわけです。
私のなかではルジマトフや片岡仁左衛門、ヤグディン、プルシェンコやJ・ケリー、アステアとドニーさんは同じなのです。そこにはなんの違和感もありません。むしろファンになるのは必然だったと申し上げましょう。

2011年はまさにドニーイヤーになりそうです。この怒涛のようなドニー作品の連続日本公開に、今まで誰にも話さずひっそりと抱いてきたドニーさんへの愛情が私の中からこぼれ出てしまいました(笑)。
とはいえ、私の周りにはこの件について語りあえる人は皆無なので(笑)自分で過去に個人的に感想文のつもりで書いてきたものを手直ししてここに載せることにしました。
基本、映画の感想は全てネタバレです。あらすじもなく、ひたすらドニーさんの感想に特化した内容であります。

これを読んでおわかりのように、多分、みんなかなり長文です。申し訳ありません(笑)。

それでもいいという方がいらっしゃるなら、読んでいただければ幸いでございます。

Donnie Yen official Website

新宿武蔵野館

カテゴリー別アーカイブ-甄子丹 (ドニー・イェン)

 

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映画 大女侠(68年・香港)

近頃、どうかしちゃったのか?というくらいに功夫映画しか観てない。
いや、正確には観てはいるんだけど、わざわざ書きたいと思う作品を観てない、というべきでしょうか。
なんか我に返れば気に入ったのは、ことごとく功夫映画ばかりだ(笑)。
近年のだと甄子丹ことドニー・イェン主演作(もう溺愛の域。そのうちガッツリ書きまっせ!)
そして旧作だとショウブラ作品しか、最近観た記憶がない、いや、マジで。
世界中にはこんなに一杯映画があるんですけどねぇ。

ま、いっか!

で先日も、<大酔侠>で女優チャン・ペイペイにすっかり魅了され、次に観てみたいと思っていた<大女侠>を借りてきました。
監督
チャン・チェ

出演
チャン・ペイペイ
ジミー・ウォング
ロー・リエ
ウー・マ

動作指導
ラウ・カーリョン
トン・ガイ


こんなにおかしいくらいに功夫映画ばかり観ているのにジミー・ウォング先生の映画を避けるようにしてきたのは、なんとなく自分でも薄々感じてはいたのです。
その理由は、観たら一発でハマるのではなかろうかという恐ろしい予感と、彼の映画には、おそらく苦手な凄惨なシーンが多いのじゃないかという不安から。
うまくいえませんがその心境は、近寄ったら最後自分の人生をメタメタにされそうな、「コイツだけはやめとけ」と誰しもが思う(しかも素晴らしく魅力的な)男を、気になりつつも遠巻きにしている、そんな感じに似ているとでも申しましょうか(笑)。

だからあえて、この<大女侠>を選んだつもりでした。だってこれはチャン・ペイペイの続編映画だとばかり思っていたから。

なのに、ええと、これはジミーさんのための映画だったのですね。
チャン・チェ監督に、まんまとしてやられたぜ!

と、結構驚く原題<金燕子>にしてこの内容。
ペイペイ目当てとしてはビックリ仰天のストーリーとキャラ設定。だって、どう見ても女一人をめぐる三角関係の話なんだもの。
おまけにそういう雰囲気なものだから、彼女が男装していても凛とした清々しさが不足していてちっとも萌えやしない。ちっ。

もうね、これは金燕子の続編でも何でもなく、ジミーさん主役の全く別の映画だと開き直らないと楽めません。

武術指導はラウ・カーリョンとトン・ガイ。
ジミーさんのための映画ですから彼のアクションシーンは荒削りながら、すごくいい感じです。ラストの壮絶な最期など迫力あって(案の定血まみれだ~)、やっぱりチャン・チェ。ひたすらジミーさんのカッコよさを堪能できます。
あとロー・リエとの最初の酒場の出会いのシーンもよかったなぁ。さすが男の描き方は「任せとけ!」って声が聞こえてきそうなそのセンス。
白い眉や髭のないロー・リエに慣れていない私は実感がわかないのだけど、彼なかなかナイスガイな役でした。白眉道士の頃と多分そんな年齢違わないのに、普通の扮装だと、とにかく若くて別人みたいに見える。
若い時から老け役の代表といえば日本の誇る俳優笠智衆さんですが、あの有名な悪役のおかげで私にはロー・リエとは笠智衆にも劣らぬ「老け作り」イメージがあります。
今作のむしろ珍しいとさえ思える人格者の役は女性によってはジミーさんよりこっちの方が好きと言う人、案外いそう。

それにしてもチャン・チェ監督、本当に血がお好き。
ドバドバ出るし身体なんかまっぷたつにしちゃうし、たった12歳くらいの子供まで自分で腹かっさばいちゃうしさ!

とにかく「ひ~そんなご無体なー」と「あああジミーさんだー」と思ってるうちに映画は終わってしまいました。

そこでわかったことがひとつ。
あんなに恐れていたジミーさんでしたが、多分私はこのテの男には人生を狂わされない、大丈夫らしいと言うこと(笑)。
これ一作しか観てないのに、こういうことを書くと王羽ファンに怒られるかもしれませんけど、これが劉家輝ばりに動けたらちょっと危なかったかも(笑)。セーフ。
かといって、それで彼の魅力が損なわれたわけでは決してありません、が、これで心おきなく片腕ドラゴンシリーズとかバンバン観られますね!

顔よりキャラよりなによりも私の場合、スキルの方が勝るのだと、この作品を観て自覚したのが、実は一番大きかったのかも知れませんな。

大女侠予告編
金燕子予告

 

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その女、ねね

ここのところ毎日、頭から煙が出ています。というのもこの12月からサンケイスポーツの関西版で新聞小説を連載しています。タイトルは「その女、ねね」。

そう、あの豊臣秀吉の正室、ねねが主人公という歴史小説です。関西に住んでない方もパソコンのサンスポサイト→社会ダブ→飯星景子で検索してみてください。読めるはず。

取材下調べ資料集め、全部自分でやってるんですが、さすがに疲れますな。想像以上でした。

ほぼ毎日、本を読んでるか、原稿を書いてるか、原稿の事を考えてるか、そんな日がもう夏あたりから続いていて連載が始まったばかりなのにヘロヘロです。
おまけに毎夜、翌日分のゲラが上って来て確認しなきゃならないので毎晩結構ストレッシブです。部屋の掃除も洗濯もほとんど出来ていません。汚部屋です、汚部屋。マジ。

ここひと月くらいはほとんど外で運動らしい運動もしてません。
歩くって…近所のスーパーくらいか(涙)?まるで引きこもりニートみたいな生活です。

こんな生活で、我にかえるのは「TVの仕事」をする時か、することを考えたとき。TVに出ると思えばこそ、ヘアサロンにもネイルにも行くし。それがなかったら、今頃、私の髪は白髪だらけじゃないかと恐ろしい。と、書いてるそばから「かみ」を変換すると真っ先に「守」になります。羽柴筑前守前田又左衛門利家(笑)。

私の住んでる半径5キロ以内には、かみ、と打って守が一番最初に出てくる人なんかいないだろ(笑)。いま、「打って」も「討って」にすぐなっちゃったし(笑)。

まぁ小説、しかもこういった異分野を書いていると、改めてものすごく孤独感があるものですね。書いてるといいのか悪いのかまでよく分らんようになってくる。

でも、そんなとき頼りになるのが京都。もちろん残念ながら取材です。

京都には今までお仕事で知り合ったたくさんの方たちがいて番組後も今までお付き合いをしていただいておりました。
そんな方々にこの連載のことを話したらまぁ出てくる出てくる「豊国神社の禰宜が知りあいだから話をきてみる?いい話が聞けるかも」とか「二条城なら中を見学できるように今度頼んであげるよ」とか「御所も話が聞けるように聞いてみてあげるよ」とか。
今まで気がつかなかったのですが、私・・・京都にものすごい人脈を持っていたみたいです。気がつかなかった。感激です、涙が出るほど嬉しゅうございます。

今日もまた京都の人たちがいることに励まされ、原稿を書いてます。

実はさっき年号を間違えて構成した部分があることが発覚!書いた原稿まるまる5話分くらいボツにしました。ひぃぃぃ~。

でも、ボツを歿と真っ先に変換してくれる日本語ソフトとともに、頑張ります(笑)。

 

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