関雲長 中国普通話簡体字字幕版DVD―ドニー・イェン 甄子丹

ある方の御好意で中国で公開されたばかりのドニーさんの『関雲長』のプレス向けDVD を観ることが出来ました。感謝感謝、本当にほんとーにありがとうございました!

とはいえ、苦手な中国普通話簡体字字幕バージョンですから、残念なことに台詞の意味がほとんどよくわかりません。
昨日手に入って、夜に2回、今朝1回、アホです(笑)てなわけで、このドニーさんの新作について色々考えてみました。以下「も」ネタバレ全開です。
なので、楽しみにしている方はご覧にならないほうがよいかと存じまする。

そこでここからは、三国志も劉備も曹操も関羽もまして千里走単騎も詳しくは知らない人間が「関雲長」を苦手な簡体字字幕で(だからそのつもりで読んでください、どうかどうかお願いします)見た感想。

まずは注目のアクションを中心に。ファーストバトルは戦場です。

私が瞠目したのはドニーさんの登場前。
袁紹軍の顔良将軍率いる槍を持った騎馬隊。
彼らの戦法は馬に乗ったまま槍を曹操軍に向かって投擲する。もうね、この投げっぷりは「投擲(とうてき)」という言葉しか思いつかない。
物凄い早さで放たれた槍は敵の盾を突き破り、そのまま兵士の身体を貫く。こんな武器、というか戦い方はじめて見たでー!

あとであまりに興味が沸いたのでちょっと調べたところ、ちょうどよい具合にこの映画の武器考証をした方の記事を見つけました。
恐らく映像で槍という武器をあの形で提供したのは初めてではないかということ。もちろん当時の資料から読みとった戦法のようですが、すみません、つたない中国語の繁体字で読んだのでこれくらいで勘弁してください。

さて、そんな見ている方もビックリなこの槍技に、もちろん兵士たちはもっと唖然。なすすべもなく、ひとりまたひとりと倒れてゆき、とうとう残るはたったひとり。
死を覚悟した兵士が最後の一矢だけでもと震える手で弓を引くのですが、将軍は飛んできたその矢を槍で叩き折るとゆったりと槍を構えます。

と、そこへ曹操軍の騎馬とともにこの映画の主人公関羽登場。

彼は劉備の元へ帰る前に、捕虜として手厚く扱ってくれた曹操のためにひとつでも手柄を立ててからと律儀に考え、かつての同僚である顔良と相対することになります。

ここでの関羽と顔良は馬に乗り単騎同士での決闘スタイル。

血に染まった青龍偃月刀を切っ先から静かに手元へとカメラがパンしてゆくと、やがて兜をつけた按上のドニーさんの後ろ姿が!
背中を向けたままの彼がゆっくりと顔をぬぐう。と、次のショットは返り血をぬぐったあとのその顔から眼のアップ。うおおおおおおお、ドニーさんかっこええええええええ!と映画への期待感は否が応にも盛り上がる。
わくわく、これからどんなことが!どんなアクションが!

ドン、と一発、顔良が槍の柄を足元に叩きつけると真正面から互いに馬を走らせていざ勝負、と思った瞬間。関羽が馬から跳び上がった。そして流れるように無敵の将軍を一閃必殺。
振り切った長刀がそのまま地面に突き刺さり「ド―――ン」と音。続いてめり込んだ刃先からパワーが大地に伝わったかのようなCG。ちょ、それ(笑)!と思う間もなくその場面は終了。
もっと派手に土埃が舞うとか、ほんの何フレーム長くするとか、もうあと少しでいいからカットに余韻が欲しかったです(笑)、ドニーさん。

長い長い関羽の物語のなかで、この映画が描いているのは千里走単騎というエピソード。
同じく曹操の人質となった劉備の側室を連れて、彼が5つの関で武将を倒して劉大哥のもとに帰還するという話に絞って展開。
今作品はドニーさん初の古装武打動作フル設計とあって私の期待も大きく、とてもとても楽しみにしていました。

第1の関はそんな観客の期待に応えて時間も動作もたっぷりと。
のっけからドニーさん兵士に頭突きかましてる(笑)兜をグーで殴ったら、そら痛いやろ、とばかりに鈍い音。音響もよい!

続く狭い路地での青龍偃月刀ブン回しの華麗でパワフルな動作では素早いながら、片刃ならではの手首の返し角度のつけ方、足の出し方、もう一々理にかなってます。
その細かい動きにも惚れ惚れしたけど、馬で追ってくる敵将に対し瓦を長刀で剥がしながら走るアイディアにはもっと痺れました。
追いつかれては困るし、先を行くさらわれた側室は助けなきゃいかんし、ですよね~。そこですよね~、と思わずニヤリ。

あと、刀を踏みつけると刃が取れちゃう発想にも感心。なんだかとっても目からうろこ。お蔭でフィスト・トウ・フィストに持ち込めました!さすがです、ドニーさん。
バトルのお相手もアンディ・オンなら不足なし。配役を最初に聞いた時は「おお、そうだそうだ、彼がいたやんか!」と嬉しかったのを覚えています。
いや、こんな冷静に書いてる場合じゃない、このシーンだけでいいからデカイスクリーンで観たい!それくらい素晴らしいコレオグラフィーとアイディア!

精武風雲』でもそうでしたが、ここのところのドニーさんのアクションは最初っから飛ばしますね~!いやいや、いいもの観ました。超満足。

第2の関は毒矢にやられるという不利な状況。そのうえ室内で1対100くらいの二重のハンデつきまくり。ずらりと並ぶ盾に向かって高速剣術とやけくそフライングキック。
でも動けば動くほど関羽は毒がまわって苦しそう。あかん、それはしんどい、しんどいよ~。観てる方も息が上がりそうだ。

かつてこんな苦しそうに闘うドニーさんを見たことがあるでしょうか。いや、ないよ、最後死ぬことはあってもこんなに苦しい姿は見たことはなかった。
あえて言えばTV『精武門』でムエタイ選手にボコボコにされた一回目の試合の時以来かもしれん。などと考えている間に二階からまとめてみんな落としてやる!とばかりにバラバラと兵士を叩き落とすドニーさん。最後は自分も一緒に落ちて。

この時のスタントのみなさんの落ち方がすごくおもしろかった。
「やられたー」じゃなく「この狂犬みたいなおっさんから逃げたいー」って落ち方してるのよ、みんな(笑)。もし私があの場にいたら絶対に同じ気持ちで落ちたに違いない。

第3の関は緊迫感あふれるなか、ゆっくりと扉が閉まって「うわぁ」とか「ひげぇ」と声だけが聞こえ、隙間からちょろっと人が動くのが見えるとこがミソ。
しばらくしてその扉に「ドシュグワ!」と敵将の使ってた(はずの)武器が穴を開ける。と、その穴に血を流した兵士の顔が現れくずれ落ちるように消えてゆく。
やがて音がやむと今度は扉が静かに開いて、するとすでに全員倒れていた、という「おいおい」と突っ込みたくなる展開。
手法としてはありだと思う。しかもこれすべてワンカット。
そう何度も無双シーンばかりでは関羽はもちろん観客のみなさんも疲れてヘロヘロっすよね。でも敵さんの衣装も紫で美しかったし、ドニーファンとしては見せて欲しかったような気もちょっぴり。

第4の関では、代官(?)とタイマン勝負。素晴らしい剣を持ってはいるが腕はそうでもない相手。
ドニーさんと打ちあい弾き飛ばされる度に彼が足を必死でふんばり、その名刀が「ビィ―――ン」とうち震えるのが、もうね、関羽のパワーを感じてたまらんすよ。
そんな相手をいなすかのようにクルクルと青龍偃月刀と人間を一緒に回しちゃう。
おまけに、ほんの少し『HERO』の長空を思い出す瞬間もあったりして。いやいや、カッコいいすドニーさん。
決着のつけ方がまた洒落てる。
地面に刺さった相手の剣を自分の長刀でより深く埋め込んじゃうのよ。この非力な男には絶対に抜けないって深さまで。
よく考えるなぁ、こんな行動。このときの刀の振動の音がまた素晴らしい。

しかし、ここで一番気になったのは、実は台詞。ああ、王学兵はなんて言ってるんだろう、これ、多分この映画のキモのひとつだよね、きっと。
曹操とのやりとりや側室関係で力尽き、彼の台詞はきちんと確認できず・・・(台詞的には)無念のリタイア。

第5の関は霧中の森での闘い。あらかじめ公式メイキングをネットで観ていた自分は銃撃戦のような弓のアクションを期待していました。恐らく「おお!『導火線』のガンアクションふたたび?」と同じように思った人はいっぱいいたはず。
しかしそこは「同じことはしねぇ」宣言しているドニーさんのこと。
案外あっさり終わってしまい、霧の中のプチパルクールに続いて敵さんから刀を奪い接近戦へ。ちょっとこっちの期待が大きすぎたのかも。

ただ最後の兵士とのやりとりとドニーさんの演技は印象に残りました。
この兵士は戦場で命を助けたあの生き残りの男。
せっかく助けたのに今度はその命を奪わなくてはならない。なんという皮肉な巡り合わせでしょう。
ここも肝かと思ったので力を振り絞ってみたところ「自分の運命はもはや自分では決められない、それはあなたも同じだ(超解釈)」みたいな。

とにかく、アクションのボリュームが5つの場でまったく比重が異なっていたのは、あんまり続くと観客が疲れてしまうからという制作側の意図でしょうね。
しっかり撮ったシーンの俳優達も想像以上に動きがよく、嬉しいことに役柄的にもバトルの相手としては遜色ない。

なのに、なのに、ぶっちゃけて言うと、どうもすっきりしない。(こんだけ書いといてかよ!)いや、ひとつひとつの動きは惚れ惚れするほどいいんですよ、特に最初のアンデイ・オンとの勝負は名シーンです。
なのに・・・。ドニーさんが作ったアクションでこんなことってあるのか!私、どっかおかしくなっちゃったのかい。
偏ったバランスのせいか物足りないような、いや、もうこれでお腹いっぱいなような。不思議、不思議なこの感覚。

後からよくよく考えたところ、このアクションシーンに対するモヤモヤの原因はふたつあることに思い至りました。

まずひとつめ。実はこれが非常に大きかったと思うのですが。
正直に申し上げると、関羽が命を賭けても助けたいと願う女性キャラクターがどうにもこうにも最後まで好きになれなかった。
劉備の側室になろうとする彼女は、関羽の人間らしさ弱さをだすために、彼の長年の想い人として登場する唯一創作された役柄。

しかし致命的なことにこの女性には守りたいと思わせる魅力や儚さが、悲しいくらいに欠けているのです。

言葉が全部クリアに分らないせいもあるんだけど「この女のためになぜそこまで???」と不満を抱いたら最後、相当しんどい(涙)。演じるのはスン・リー。
スン・リーと言えばあのジェット・リーの『SPIRIT』で盲目の少女を演じた女優じゃありませんか!

自分はあの役がものすごーく好きだったのですが、この作品で彼女は何故、あの時の、たおやかで透明な雰囲気を封印してしまったのでしょうか?
せめて喋り方、造作くらいはもう少しなんとかならんかったのか~(溜息)。
前髪パッツンなアイドル風味のヘアスタイルと今時の女の子チックな演技も相まって、なんというか・・・こう・・・言葉が悪くて申し訳ないのだけど、ションベンくさくって、とにかくかなわん。

しかも、この人何故だかわからんが最後には関羽のこと短刀で刺しちゃうんだよ、なぜだぁぁぁぁぁ。

あまりの驚きに、映画の最初から遡り彼女とのやりとりを気合入れて簡体字を調べたり(映画字幕はコピペができん)、意味の繋がらないところは、そのたびに辞書で確認したり色々駆使して読んでみたくらいです(かなり執念深い自分)。

あのシーンはいとまを告げたら、いきなり彼女が「帰ったら劉大哥にお願いして結婚しましょう」ときたもんだ。
それでも拒否したら(当り前ですな、関羽を誰と心得る!)本音は劉大哥のために彼を曹操のもとに行かせたくなかっただけなのか、いきなり刺して本当に訳が分らず混乱するばかり。

しかも刺しといて謝ってるし!動機がわからん、動機があああ。

という具合にドニーさんにとって彼女が、忠義とはまた別に、あんなに苦しんでまで闘いぬいて無事に送り届けなくてはというモチベーションになりうる女性である、というのがどうしても納得し切れず。

そのために、残念ながら最後まで主人公関羽の心情に寄り添うことができなかったのであります。これに関しては同じことを全世界にいる2億5千万人くらいの(笑)女性ドニーファンが感じたことでありましょう。

ああああああ、なんて勿体ないことをしてくれたんだ!!!

思いっきり魅力的でミステリアスな女性が最後豹変して彼を裏切ったほうが、ずっとイケてたし悲劇性も高まったのでは?
SPIRITで観たスン・リーなら演技力や雰囲気がないわけじゃない、魅力的で儚げな役も演じられるはずだと思うんだけどな~。
なぜああいう若い子ちゃん風な役作りになったのか、私には理解が及ばず、残念です、本当に心から残念。

さて、アクションシーンに対するモヤモヤのふたつめの原因を考察する前に、この映画のもうひとりの主人公、曹操を演じたチアン・ウェンの事を書かねばなりますまい。

チアン・ウェンについては、こんな有名な俳優にも関わらず私、初見でございました。
噂には聞いておりましたが、噂に違わぬ名優です、すごいです、登場したらすべてかっさらいます。
なのに芝居が重くない。小気味いい軽妙さがあって、そのうえに驚くほどセクシー。名優にこんな演技されちゃ誰も敵いません。

三国志関係の作品で描かれる曹操はたいてい悪役だそうですが(赤壁でもそうでしたな)、この作品での曹操のキャラクターは監督二人が声をそろえて「CEOのイメージ」と言った通り、非常に近代的で合理的でしかも人を見抜く力を供えたユーモアのセンスがある人物として登場します。

むこうの映画ですから脚本は変更で当り前。
この作品の曹操の台詞については、自身もまた監督でもあるウェン先生の意見が相当盛り込まれたそうで、「ここは聞き逃しちゃ絶対にいかんやろ」という部分でポーズボタンを押し(笑)慣れない簡体字で懸命に意味を想像した自分にも印象的な台詞であることはうっすらと分りました。

この役に素晴らしい色彩を加えたのは間違いなくチアン・ウェン、その人自身でありましょう。

とにかく、このドニーファンの自分ですら曹操と一緒のシーンでは、ついウェンを見てしまうほどの存在感と台詞の響きのよさ。
しかも困ったことに、この映画の中のドニーさん演じる関羽は「英雄」と呼ばれる前の、人を殺すことへの罪悪感をどこかで抱えている謙虚なひとりの普通の男として描かれているのです。
もうね、役者としての技量うんぬんだけじゃない、最初のキャラ設定の段階で勝負は決まっとるやんか!

ここで、素晴らしいアクションシーンなのに、なぜモヤモヤしてしまったのか、のふたつめに参りましょう。

『インファナル・アフェア』で共同脚本を務めたフェリックス・チョンとアラン・マック、この二人の監督は関羽という男を、人々の抱いている戦神のイメージとはまったく違う人物にしたかったようであります。
もともとは普通の男であったというのが出発点ですから、そんな人間がなぜ歴史上で「英雄」と呼ばれるほどに敵を殺すことが出来たのか。彼がそういう英雄になるまでには決して単純な義や天下国家、立身出世欲だけでは説明できない悲劇がその内側には秘められているという発想です。

実際印象的な曹操の台詞で「狼の皮をかぶった羊の心を持った男」と関羽を評して言わしめていたりする。
この発想、悪くないと思います、いやむしろすごく好きかも。が、悪かったのは、その肝心の関羽の役にドニーさんを選んでしまったということ。

そもそも人々の抱いている関羽の外見のイメージから最も遠く離れた男がドニー・イェンではないでしょうか。

本来皆の持つ関羽像というのは長いあごひげをトレードマークにした身長2メートルを超す山のような大男で、他の誰も操れない重く長い刀を武器に闘うオレ様武将です。
ただでさえ、イメージの固定された人物の違う面を表現するなら、その外見だけでもイメージ通りでないと説得力がありません。
だって、外見も違う言動も違うじゃ、それは観客にとって「別人」にしか過ぎないですもん。
(しかも本人は早々に髭すら切っちまうくらいだからなぁ。そりゃ三国志に慣れ親しみ愛してきた人達から議論が巻き起こるはずだと)

ドニーさん中心で考えてみても、彼が演じる繊細で謙虚で普通の男なら葉問で皆見てしまっていますから、今更曹操相手に謙虚になられても・・・ねぇ?と観客は思ってしまうし、見慣れた繊細さではチアン・ウェンのあのキャラクターに太刀打ちできるはずはなかったのでした。

しか―――し!潔癖症の映画ファン、三国志ファンならいざ知らず、実はそんなことはドニーファンの自分にとってはほーんの些細なこと。

問題は、その弱点がアクションシーンの足をも引っ張ってしまった風に「私には」感じられてしまったというあたり。

「本当は意味なく殺したくない・・・」という気持ちを秘めた、なのに派手でリアルなアクションは、今回この条件で(台詞がいつにもまして分らないうえ、三国志を読んだことがないという)見ている自分には、残念ながらいつものようなカタルシスを感じさせてはくれませんでした。

私は本来、血生ぐさいシーンがすごく苦手な人間。だから意味のない暴力的な映画は好きじゃありません。そんな自分がなぜドニーさんのこんなにもファンなのか。
それは彼の映画におけるマーシャルアーツスキルがずば抜けて高いからです。

そのスキルの高さが大前提にあったうえで「敵」をやっつけるからいいんであります。闘いが終わった後に「勝った」とスカッとしたい。いや、別に主人公が悩んでも疑問を持っていても、やむなくでも反省してもいいんです。極端に言えば善悪が曖昧であっても構わない。

ただその悩みや哲学を超越してしまう制御不能なほどの「怒り」がどれほどドラマチックで悲しくて、そして虚しいものかは、まさに葉問1でご本人が示したじゃありませんか。
今作では、迷いゆえにその怒りのパワーが弱く見えてしまったためか、まことに残念ながら心の底からはスカッとさせてはくれず。
おまけに、欠けている肝心なそのモチベを埋めてくれるはずの劉備とのエピソードが端折られてるうえに、同じくモチベになるはずのマドンナにも魅力を感じないでは(と、結局はそこに戻ってしまったか!)徐々にアクションシーンもトーンダウンしている風に感じられてモヤモヤしてしまったのでした。

あの壮大なるオレ様映画、まさに大金をかけたドニー・イェンプロモーションフィルムである『精武風雲』にもキャッキャ喜んでいた自分が、こんな経験は初めてなので、正直とまどっております。
期待が大きすぎたのか、それとも、歌舞伎の忠臣蔵を私がどの段から見てもすんなり話に入れるみたいに、三国志をよく知っていればこんなモヤモヤも一切なかったのでしょうか、ちょっとした保留事項になりました。

しかし、こんな自分の重箱の隅をつつくようなイチャモンなど当然ながらここだけの話で、公開された映画はめでたく香港でも内地でもヒットしたようで。無事に観客のみなさんには受け入れられ愛されているようでなによりでございます。(ま、若干の「あれが関羽?」騒動もあるようではございますが)
なんと言っても、アクションは凄いし、チアン・ウェンはセクシーだし(彼は声がいい!)イケメンもたくさん登場するし、それにドニーさん髭がある古装でもめちゃ男前。

加えて最後の関羽の台詞には、さすがの私も「なんという悲劇」と、この後人を殺すことに意味など考えないであろう主人公を思いぐっときちゃったくらいだもんね。
だからこそ全部終わった後の英雄としての彼の見得を切る姿は非常に効果的で余韻として印象に残る。要するに結果オーライ!

ところで、ここまで書いていて気がついてしまいましたが、ドニーさん主演の作品に対してアクションだけでなく様々な角度からの感想や考察がこうして出てくること自体がすごいことかもしれません。

今までなら「アクションすげ~さすが~」でオールOK!と済んでいたものが、いつの間にやらスクリプトや他の俳優の演技にまで言及し、「主人公の心情に寄り添う」などという言葉が口をついて出てくるとは!もう一度言います。主人公の心情に寄り添う、ですよ(笑)。まったく驚いちゃうわ!

そう思うと、ドニーさんは以前とはもうまったく違うステージに立っているんですなぁ。

↓中国の公式が閉じたみたいなので、たまたま見つけたこちらを。
マレーシア関雲長オフィシャルサイト/一部中文の英語(予告は恐らくマレーシア語?)
関雲長UK DVD&BDサイト
関雲長中国予告
関雲長 英国予告
↑ドニーファン的には、「三国志がなんぼのもんじゃい」というこの予告が一番気に入りました。
関雲長 仏予告
(姜文が仏語を!)
↑と思ったけど、この人フランス人の嫁もらったりして、実は仏語が喋れる男。一度聞いてみたいわ~彼の仏語。

正直、アジアでのドニーさん人気は凄まじく、多分日本でだけ(なぜか)知名度がない。
新作はアジアで必ず公開されますが、それも日本一国「のみ」を除いたアジア。とほほ。
しかもアジアのみならず、APECのカナダやオーストラリア、ニュージーランドでも公開されるというのに・・・

欧米でも作品によっては、ちゃんと公開されるし、すくなくとも最近の作品のソフトは必ず発売されている。(龍虎門のドニーさんがフランス語で喋ってるのを見た時は、思わず笑ってしまいました)
どこにでも華僑はいるというのが大きな理由のひとつですが、世界マーケット的には中華明星のなかで、成龍、ジェット・リーにやっと近づいてきました。

まさにアクションは言語を超える、というよい見本。
だからこそ、投資家は彼の主演作にどんどんお金を出すし、こんなにも早いペースで主演作が撮影されるというわけです。

本当に「日本以外」なんだよねぇ。

 

 

 

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