泣きぼくろ

ある日の夕食の席で友人が「ひょっとしたら会社を設立するかも」と言いだしました。
「いざ、社名を考えるとさぁ、なかなかコレ!てのを思い付かなくて」と溜息をつく。

聞くとどうやらフランス語で考えてるらしい。
別にフランス語を喋るわけではない彼女。なぜフランス語?と思うけど、人って案外そういうもの。

単純な私が「自分の名前をひっくり返したら?」とアドバイスすると「それもとっくに考えたわ」とそのひっくり返した言葉を聞かせてくれました。
おお、なかなか響きがいい。

それでいいんじゃないの?と私が答えると「なんか芸がない」と我儘を言う。

「じゃあさ、発想を転換して、あなたの昔好きだった映画スターとかアイドルとかから考えたら?」と提案してみました。
世の中には案外そういう理由で名前をつけている経営者も多いのです。

「う~ん、私の最初のアイドルって言ったら、やっぱり、ジュリーかなぁ」

ジュリーといえば沢田研二。沢田研二と言えば、泣きぼくろ。

「泣きぼくろをフランス語で検索してみなよ」と言うと「そんなの日本以外に絶対にないよ」と彼女。いや、あるかないかは調べてみないとわからんでしょう。

そういえば、昔読んだアレクサンドル・デュマの「ダルタニャン物語」全11巻や佐藤賢一の本なんかで「泣きぼくろ」が出て来た気がする。

当然翻訳で日本語になってるから「泣きぼくろ」なんだけど、ファッションとして「つけぼくろ」が流行ったお国柄。そんな単語があっても不思議はない。しかも彼女のお望みのフランス語じゃん!

じゃあ、私が調べてあげるよ、とその場で安請け合いをしてしまいました。

んで、いざ調べてみたらば、これがやはり見つからない。
いや、ほくろという単語はありますよ、le-grain-du-beaute。なんつー長い。
le-grainは、小麦の粒や、穀物の種、肌のきめという意味らしい。
そこに「美しい」という単語のbeauteをつけてほくろ。
実際ネット辞書を検索しても「泣きぼくろ」という単語は出てこない。

一方、16世紀から18世紀に流行った「つけぼくろ」は蠅という意味のmouche。

どうやら白い肌に黒々とした点でさらに白さを強調する効果から、なぜか蠅という言葉で呼ばれたようで。
しかしそのつけぼくろに関連した単語「泣きぼくろ」も残念ながら無料仏語辞書サイトの限界か、捜せずじまい。ファッションとして流行したんなら、泣きぼくろという単語くらい作っとけ、フランス人、と心の中で悪態をつく。
てか、そもそも蠅じゃ社名にならんし!

つい面白くなって色々調べてみると、このつけぼくろ、なかなか興味深い。
初期は布や革を星や三日月、十字架などに切り取って貼ったそうですが、やがて現実のほくろに近いものからどんどん巨大化していったそう。

それもひとつやふたつじゃなく、ものすごい数をつけている肖像画も見つけてしまったので、たくさん貼るのも不思議じゃなかったみたいだ。

もちろん、白い肌を強調するための視覚効果を狙ったという一方で、当時悩まされていた天然痘の傷跡であるアバタを隠すという合理的な事情もあったのだとか。なるほど。
当時の貴婦人や紳士たちはお化粧の最後に顔のどこにほくろをつけるか、を仕上げの重要なポイントとして考えていたようです。

日本でもほくろ占い、なんてものが存在しますが、フランス社交界でもつける場所によってそれぞれ意味が違ったみたいで「私って情熱家だし」とか「奔放な性格よ」とか「慎重な性格だから軽々しく口説かないでね」と無言のメッセージが込められていたらしい。

フランス宮廷を舞台にした小説や映画を見る度に「自分は絶対にこの世界では生き残れないだろうな」という感想をまず持つのですが、このつけぼくろのエピソードはその思いを新たに強くさせてくれました。

さて、残念ながらフランス語で「泣きぼくろ」を発見することはできなかった私。

それならば世界で映画の字幕が一番短くて済む、というほど、言葉の意味が豊富な中国語の漢字はどうかと調べたところ、ほくろは中国語で「黒痣」。まんまやん!

けれど「美人ほくろ」という単語は存在するようで、そちらは「美人痣」という。
しかし例文をいろいろ捜しても「どこどこにある美人痣」という表現しかなくて、結果こちらでも「泣きぼくろ」という言葉は捜すことができませんでした。

やれやれ、友人の社名のためとはいえ、ものすごく頑張ってしまいましたよ。
もうさ、四の五の言わずに名前をひっくり返して社名にしなよ!覚えやすいんだから。

 

 

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