イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(2014年、英・米)

近年でもかなりスケールの大きいファム・ファタール映画。

2003年日本で公開されたイギリス映画に『エニグマ』という作品がありました。原作はロバート・ハリスの小説『暗号機エニグマへの挑戦』。主役は暗号解読機マシンがすでに出来た後にブレッチリー・パークで暗号解読をする男。女性とのラブロマンスが大きな比重を占めていたりして正直あまり内容は覚えておりません。
たしか原作は暗号解読のおもしろさもさることながら、第二次大戦時に起こったポーランドにおいて約22,000人が銃殺された「カティンの森の虐殺」が一体誰の手で行われたのかという謎解きと、そこから浮かび上がるドイツと連合軍との情報合戦というか神経戦というか、目的達成のためには平気で多くを犠牲にする戦争の現実に「マジっすか!」と戦慄した記憶が。(ちょっと記憶があいまい)

本作『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』の原作アンドリュー・ホッジスの”Alan Turing: The Enigma”は当然ながら読んでいないのですが、もしこの原作にその辺りのことがあまり描かれていないのだとしたら(現在となってはこういうことが常識なのかもしれませんが)、この映画における非情な決断のシークエンスはこの『暗号機エニグマへの挑戦』の色合いも取り入れたのかもしれません。

本作の主人公は二次世界大戦中のドイツ軍によるエニグマ暗号を解読するため、そのマシンを作りだし解読に成功した天才数学者アラン・チューリング。
彼がブレッチリー・パークでいかにしてこの偉業をなし遂げたか、またそんな彼の少年時代から抱えた秘密、そしてある事件がきっかけで当時の任務という秘密を彼が語る戦後、という3つの時間を重ねてゆきます。

主人公、アラン・チューリングがどんな人物で何を成し遂げたかは映画を観れば分るし自分なんかよりずっと理解しやすく書いていらっしゃる方がたくさんいるので割愛。

ただひとつだけ。チューリングが戦後同性愛者として受けた不当な扱いについて公式にイギリス政府が謝罪したのは2009年とつい最近のことでした。

その時の首相ゴードン・ブラウンの謝罪文を日本語訳して載せていらっしゃるブログがあったのでご紹介させてください。
イギリス首相の、アラン・チューリングに対する公式謝罪文―はやしのブログ

このブログのコメント欄にもありますが、不当な当時の法律による犠牲者であるという趣旨の謝罪はあったものの、国家によって使い捨て同然にされたという事実に対する謝罪はまったくないのでは?という意見には大いに同意します。つまり今後同性愛者としての不当な扱いは許さないけど、国家として使い捨てにする気はまだまだあるよ!ともうがって考えちゃうこともできるわけで。

さて本作では暗号を解くサスペンスというより、彼の抱えるいくつかの「秘密」について主眼が置かれています。当時はその「秘密」のひとつがもうひとつの「秘密」を守るために体のいいきっかけになったはずなのに、そこは真実を追求しようとする刑事だけしか登場せず上からの圧力があったわけでもなくちょっと消化不良だった気もしたのですが、多分制作側はそこをあまり突っ込む気はなかったんでしょうね。多分彼らが描きたかったのは、類まれなる才能を持ったアラン・チューリングの純情だから。

そんな風にものがたりは丁寧さと性急さが混在する部分が多々ありますが、さほど気にならないほど主演のカンバーバッチはじめ役者の演技と台詞が素晴らしい。特にキーラ・ナイトレイと彼の関係は後半本当に辛い流れの中で救いとなりました。
「誰も想像しない人が想像できない偉業をやってのける」
母親から言われたこの言葉をチューリングがジョーンに話し、そして最後にジョーンがボロボロになったチューリングに返す。ここがこの映画の肝でした。
(ま、イギリスのセクシーおやぢ達も一杯出てたと言うアドバンテージも高いけれど。マーク・ストロング最高!)

アカデミー賞の脚色賞を受賞したグレアム・ムーアはそのステージでこうピーチしています。
「16歳の時、私は自殺を図りました。しかし、そんな私が今ここに立っています。私はこの場を、自分の居場所がないと感じている子供たちのために捧げたい。あなたには居場所があります。どうかそのまま、変わったままで、他の人と違うままでいてください。そしていつかあなたがこの場所に立った時に、同じメッセージを伝えてあげてください」

マシンの名前を「ボンブ」から映画向けに「クリストファー」に改名したことも含めそれをあざといという人はいそうです。たしかにあざとい。けどこれはファム・ファタール映画だから仕方ないのです。だけどチューリングの最後がクリストファーの「いる」部屋の灯りを消すにとどめたところはすんごく良かった、自分にはかえって深い余韻を残すことになりました。

伝記映画はいつも創作と事実のせめぎ合いが論争となりますが、映画である以上は物語に変換するわけだし、それが嫌なら権利のある人はOKしない選択肢や脚本に口を出す条件も付けられるのではと個人的には思います。

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』公式サイト
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そういえば、ファム・ファタールの定義ってよく分らないんですが、自分はこの言葉を運命の人という捉え方をしてるのですけど、たとえそれが自分を破滅させる相手でもファム・ファタールというのは分ります。しかし、ちょっといい女(男)で縁があって自分は非常に傷ついたけど最終的にはさほど一生を左右されなさそうな男にとってその相手もファム・ファタールって言うのでしょうか?

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