マリインスキー・バレエ オールスター・ガラ

12月2日、東京文化会館にて。
『レニングラード・シンフォニー』を初めて観ました。
作曲はドミートリイ・ショスタコービィチ。世界初演は1961年のレニングラード・キーロフ劇場。復刻版の初演は2001年、サンクトペテルブルグ・マリインスキー劇場。

この日のキャストは娘がスヴェトラーナ・イワーノワ、青年がイーゴリ・コールプ、侵略者にミハイル・ベルディチェフスキー。指揮、アレクセイ・レプニコフ、マリインスキー劇場管弦楽団。

正式名称は、ショスタコーヴィチの交響曲第7番ハ長調、作品60、通称「レニングラード」。
第二次世界大戦さなかナチスドイツ軍に包囲されたレニングラードで作曲したことで知られていて、1942年の初演以来世界中で評判になり戦中戦後に北米や欧州で演奏されまくりました。
戦時中はナチスのファシズムへの反発も相まって人気を呼んだこの交響曲も、戦後冷戦が激化するとともにソ連のプロパガンダを感じさせると一気に評価が下がったりしたのですが、1970年代後半に回顧録『ショスタコーヴィチの証言』が発表され(ただこれに関しては真贋の議論が今なおあり、決着はついていないのだそう)「スターリンによって破壊され、ヒトラーによってとどめを刺された」レニングラードを意味すると書かれていたために、近年また評価を回復したというもの。

バレエの方は61年初演、ということはスターリンがすでに死んで、フルチショフによるスターリン批判が行われた後。大祖国戦争のために出兵する若者の姿には、その動きが乱れずに揃い力強ければ強いほど哀れさが漂います。当時の振り付けがそういった二重構造をもつ意図があったかはわかりません。むしろ一方的な悲劇という側面の方が強かったのでしょう。しかし2012年の日本で観たいち観客としては、その若者を愛するのだろう少女達もまた大きな不安を抱えながら同じ振りを繰り返すのには参りました。

正直、演奏のせいもあったのかもしれませんが(ぶっちゃけ、今回はあまりよろしくなかった)のっけから何とも言えず重苦しい。最後まで耐えられるかしらとふと思ったくらい。
観ながら様々な事が心をよぎります。追い打ちをかけるように若者の帰りを待つ少女が(単なる偶然なのでしょうが)ヒジャブのようなストールをかぶって登場したりするものだから911に端を発したイラク戦争を思い出させたりして、その後の中東情勢のことや、アメリカ、アフリカ、現在のロシア、北朝鮮、中華人民共和国、韓国、その国々と日本との関係、そしてこれから行われる日本の総選挙と一部政党の主張する先に見え隠れする気持ち悪さなんかが、ぐるぐる浮かんでは消えてゆく。
バレエを観ながら、こんな気分になったのは初めてです。これはどうしたものでしょう。いいのか悪いのか、その判断もつきません。
最後は、少女が帰らぬ人となった兵士たちの墓標に涙を流し、嘆く姿で幕。
終わった時は「やれやれ、やっと終わった」と思ったのが本音。

しかしガラが全部終わってしまえば、一番印象に残ったのはこのレニングラード・シンフォニーでした。そう考えると、この曲と作品の持つ普遍性と圧倒的なパワーには恐れ入ります。
21世紀の今、なおそう感じるこの世界をショスタコーヴィチさん、どう思いますか?

最後にマリインスキー劇場管弦楽団の名誉のために、この演奏を。
ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」

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