お箸

今日の昼前、我が家に代金引換の宅配便が届きました。差出人を見ると、以前仕事で訪れた京都の「おはし工房」というお店から。
昨年の今頃にロケでお世話になり、その際注文したお箸2膳が出来上がり、やっと届いたのでした。

お箸に1年間?と驚かれる方もいらっしゃるでしょうが、ここはたくさんある素材やデザインのなかから組み合わせを自分で選び、そのうえで顧客ひとりひとりの手に合わせ、身長を聞いて長さを決めてあつらえるという、手作りお箸専門店。

大変注文が多く、発注してから出来上がるまで1年待ちという人気店で、まさに忘れたころに出来上がってきたというわけ。

考えれば私、お箸をたくさん持っていると思います。自覚はなかったけれど、結構なコレクターかもしれません。
いま、そう思い数えにいったら、すでに11膳ありました(笑)。
一人暮らしには結構な数ですかね。そのなかで自分専用なのが4膳。そこに新たに2膳が加わったわけです。

私がお箸を選ぶ基準は、先が細いこと。
先端が細ければ細いほど、扱いも楽だし食べやすい。

総漆塗りで素敵なお箸もたくさんありますが、理想の細さのものにはなかなか巡り合えません。
なので必然的に天然素材をそのまま生かしたものが多くなりますが、そうなると漆器のより少し寿命は短い気がします。
ああ、そろそろこれも寿命かな、と思ってから探すのでは遅い。
だから気になる品があるとその場ですぐ買い求めてしまう。

で、いつの間にか我が家にはお箸がいっぱい、そんなところです

さて、届いた2膳のうちひとつは紅紫檀(べにしたん)製。想像していたよりもずっと軽くて使いやすそう。
もうひとつは白竹でできた繊細なデザイン。夏に涼しげだと思ったのです。
両方ともに吹き漆仕立てで、値段はそれぞれ1万2千円と3700円。

さすがに1万超えは高いかなと一瞬ひるみましたが、とにかく頑丈そうで長持ちしてくれるならいいかしらと勇気を出してみちゃいました。

そういえば、お箸を使い始めた幼少時分、私はとてもきれいにお箸を使う子だったそうです。
それが小学生になってからでしょうか、大好きな漫画の主人公がお箸をぴったりくっつけて持っているのを見て以来(本来の持ち方ならば箸を使っているときはぴったりくっつくはずはないのです)、その真似をするうちにいつの間にか2本がクロスになる癖がついてしまったことがあります。

その頃は母にしょっちゅう「昔はきれいにお箸を持っていたのに」と叱られましたっけ。

それをまた大きくなってから矯正し、今に至るわけですが、私が扱いやすいお箸にこだわるのもそういう面倒くさい思い出やコンプレックスがあるからなのかもしれません。

かつての自分のように、最近は、お箸の持ち方が「?」と感じる人も珍しくなくなりました。なかには、「これ絶対に豆とか掴めないだろうな」という持ち方の人も見かけたり。

ところで、箸を使う民族は意外に多く、ある資料によると世界の30パーセントにあたるそうです。

起源はもちろん中国。
縄文弥生時代には日本でも使用したらしいんですが、もともとは鍋の中から調理した温かいものを取り出すための道具だったそうで、当時は竹を曲げたピンセットのような形で、調理と祭祀以外には使われなかったそうな。

食事の際に使用するようになったのはもっと後の飛鳥時代、聖徳太子が派遣した遣隋使が中国から2本ひと組のお箸と匙を持って帰ってきてからといわれています。

それでも広く一般に使われるようになったのはずっと後で、本格的に貴族が使い始めるのは奈良時代になってからとか。

自分ですら母親から叱られてもなかなか一度ついた癖を直すのは難しかったのに、初めて2本のお箸を使って食事をすることになった当時の人たちを考えると「なんでこんな面倒くさいものを」と思ったでしょうね(笑)

まして正しい持ち方となると、こうして果てしない期間を経てなお脈々と受け継がれてきたことに対して、文化というのは本当に凄いなとも感じます。

反対に言うとそこまでの長い間、きちんと受け継がれてきたことが、近年、あっという間におかしくなっていることにも別の意味で驚きます(いや、あんまり他人さまのことは言えない立場だけど)。

奈良時代というと710年ですから、1300年近く守られてきたことが、(戦前生まれを母に持つ私の年代でも怪しい持ち方の人がいるとして)たった60数年で簡単に崩壊し始めるということなんでしょうか。

現代では、もう友人や知人に対してですら不思議な箸の持ち方をしていても、なかなか他人は注意したりはできないでしょうね。
文化を守るって、家族やコミュニティの果たす役割がどれほど大きいか、あらためて思う次第です。

 

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