伊良部秀輝投手の悲報

今朝起きて、ニュースを見たら「伊良部秀輝さん自宅で自殺か」という情報が飛び込んできました。

なんというか、言葉がありません。
親御さんが現地に到着してないことで本人確認がまだのため、正式発表ではないので、じっと静観していましたが、午後になってロッテ在籍時代のバレンタイン監督が談話を「ESPN」に発表したことから分る通り、残念ながらほぼ確実なことのようです。

伊良部投手というとタイガースファンにとっては18年ぶりの2003年優勝の立役者のひとりであります。
彼は移籍後甲子園での初お立ち台で、「甲子園の歓声ははるか彼方まで聞こえると知っています。甲子園の応援は世界一です」と言って一気にファンのハートをがっちりとつかみました。
だって、そうじゃないですか。ロッテでの実力はもちろん、日本最速男としてヤンキースに入団し、そこでチャンピオンリングまで手にした投手です。
そんな男から「甲子園は世界一」と誉められて喜ばないタイガースファンはいるでしょうか。
彼はおべんちゃらでそういう男ではありません。その証拠に、その後何度アナウンサーが同じ言葉を引き出そうとしても、結局最初の一度きりしか、その話をしませんでした。

この、「伊良部いい人説」には前振りがあって、キャンプもまだ始まらない頃、同時期にタイガースに移籍した下柳投手の入団が決まった直後です。新幹線で彼と初めて出会った際のこんなエピソードがあります。
歳は当然下さんのほうが上ですが、その場で「先輩、どうぞよろしくお願いします」と自分から挨拶に来てくれた伊良部さんに「安心した」と語った話が新聞に載りました。
それを読んで同業者からそこまで警戒されてたって、日本で過去どんな選手やってん、と思ったと同時に、その時の下さんの印象と同じく、当時のタイガースファンは「アイツ、ほんまはエエ奴なんやん!」と伊良部投手に瞬時に愛着を持ったものです。

とっつきにくい印象のある彼ですが、タイガース現役中はずっと後輩投手に「フォームのミリ単位の正確さ、配球の大切さ、打者との駆け引き、自分が死球を出すことの重要さ」を説き、当時の後輩に大変慕われていたと聞いています。
配球を「ロケーション」などという言葉で表現したのも、この日本プロ野球界で過去も現在も伊良部投手だけだったのではないでしょうか。

私はタイガースファンです。
たくさんの選手を見てきました。そんな数多くの選手でも、優勝に貢献してくれた選手には格別の思い入れが、やはりあります。
晩年の彼がどんな悩みや苦しみを抱えていたか、残念ながら知る由はありません。けれど、引退後の彼の行動を見ていて、野球が好きだ、野球にずっと関わりたいと願っていたことだけは理解できました。
そして、一方でそんな引退後の彼の別の行動が野球を愛する人として相応しかったのかどうか、それを一方的に判断する人に正直なりたくないし、またできる立場でもありません。

ただ、言えることはただひとつ。
2003年の優勝をありがとう、伊良部秀輝投手。

あなたのプレートからちょいとつま先を上げるフォームはすごく格好良かった。そして球によってプレートをずらして使い分けたり、一球一球のロケーションを考えミリ単位までその一球を言葉で説明できる、あなたの聡明さがとっても好きでした。

42歳という若さを思うと無念です。
自分とさほど変わらない年齢を思うと様々な思いも去来しますが、想像の範囲でしかない以上は書くことはできませんし、なにがあったとしても2003年の13勝8敗の成績が色あせることもありません。

ヤンキースでは伊良部投手の死去を受けて「深い悲しみを覚えている。ピンストライプのユニホームを着た選手は全員、永遠にヤンキーファミリーの一員」との声明文を発表した、とニュースで読みました。
阪神球団が彼をどう扱うかは知りませんが、私の気持ちはヤンキースと同じです。一度でもタイガースの縦縞を着た選手、まして優勝に貢献した選手は永遠にタイガースの一員です。

私は、この先もずっとあなたのことを忘れません。

 

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